第9話 呑めない酒 その3 『配給のリンゴ酒』

 創作物に登場する酒が呑みたい。

 しかし、作り方が不明だったり存在そのものが怪しかったりで、実際にありつくことは不可能に近い時もある。 

 次に紹介させていただくのは、こちらの酒だ。



第3位: 配給のリンゴ酒


 この名前だけでピンと来た方もいるのではないか。

 太宰治著『やんぬるかな』に登場する酒だ。

 『津軽』にも登場するらしいが、こちらは未読なので触れないでおく。

 太宰の文章は好きだが、私は読みたい短編を片っ端から乱読し、気に入ったものだけを何度も読み返す、ファンの方が見たら憤死しそうなお行儀の悪い読者なのでご勘弁を。

 ちなみに、狂ったように読み返しているのは、こちらの3作である。

 『酒の追憶』

 『酒ぎらい』

 『禁酒の心』

 何のひねりも無くて申し訳ない。  


 さておき。

 『やんぬる哉』の内容は次の通りだ。

 東京から青森に疎開して来た太宰は、地元に住む医者から晩餐会に呼ばれる。

 別に親しい間柄でも無く、太宰からしたらほとんど知らない相手だ。

 晩餐会に出たくない太宰は、中止にしてくれと医者の自宅まで頼みに行く。

 医者は受け入れてくれたものの、それなら配給のリンゴ酒があるから、せめて呑んでいけ、と…。

 私は初めてこの場面を読んだとき、「えっ」と思った。

 配給のリンゴ酒?

 そんなものがあるの?

 どうやら、リンゴの産地の青森県にはあったらしい。

 リンゴ酒はビール瓶に入っている。

 太宰はこれを、普段は『大きいコップで』呑むそうだ。

 友人と3人がかりとは言え、一晩で一升瓶を空にする太宰がそんな呑み方をするのだから、アルコール度数はさほど高くないのだろう。

 現に、医者に小さなお猪口を持ってこられた太宰は心底つまらなそうである。

 アルコール度数3%ないしは5%のチューハイを、お猪口で呑むようなものか。

 こんなの、呑んだ気がしねえよ!

 しかも、ツマミがナマズの蒲焼って何なんだよ!

 この医者、「鰻の蒲焼と変わらない」とかほざいているぞ!

 正気か?

 どんな鰻食ってきたんだ?

 太宰は医者の「都会者は馬鹿! 疎開してきたからって憐れんでもらえると思うな!」「この蒲焼うちの奥さんが作ったんですよ! 凄いでしょう! うちの奥さん天才で」と、いう、『田舎者のひがみ』と『過剰な奥さん自慢』を混ぜ合わせた酒の不味くなる最悪トークを聞きながら、内心毒づきつつもチビチビとリンゴ酒を呑み続ける…。

 この短編を未読の方で、『太宰治=苦悩の作家』というイメージをお持ちの方は、今頃怪訝な顔をしていらっしゃるだろう。

 お察しの通り、『やんぬる哉』は、コメディ小説だ。

 太宰は、意外に笑える話も書いている。

 と、いうか、ギャグセンスがかなりある。

 ちなみに、私が好きな↑の酒関連の短編も全てコメディである。

 良く知らない相手の、死ぬほどつまらないマシンガントーク。

 ちょっとずつしか呑めないから、全然酔いが回らない酒。

 加えて、肴が不味い。

 ナマズというから、調理の仕方が悪くて、恐らくは生臭いのではないか。

 そもそも、リンゴ酒に合うとも思えない。

 最悪である。

 早く帰りたいと祈りながらお猪口を傾ける、太宰の渋面が浮かんでくる。

 リンゴ酒そのものだって、実際そんなに美味しくはないのだろう。

 とにかく物質が不足していて、皆が苦労していた時代だ。

 余ったリンゴが腐るといけないからリンゴ酒を作っていたのかもしれないが、たかだか嗜好品を苦心惨憺して美味くしてくれたとは思えない。

 適当に作って適当にビール瓶に詰められたリンゴ酒は、現在のシードルとは比べ物にならないくらいに粗末な酒だったのではないか。

 じゃあ呑まなくても良いじゃないか、と言われそうだが、それでも私はこの酒が呑みたい。

 リンゴ酒を呑みながら、太宰は心の中で思う。

 東京に帰りたい!

 安い焼き鳥とウィスキーが欲しい!

 酒を呑んでいるのに、他の酒が呑みたくなる。それも、「ビールは好きだけど最後は日本酒がいい」みたいなポジティブな理由ではなく、かなりネガティブな理由で。

 このどうしようもない、叫びだす程では無いけれど気まずくて面倒くさくて嫌ーな感じの、もやもや、苛々を私も味わってみたいのだ。

 タイトルでこそ『酒ぎらい』『禁酒の心』だが、太宰はめっぽう酒好きで、しかも大酒呑みである。

 上記の酒短編はどれも傑作だ。

 私のようなアル中でなくても、酒が好きなら共感できる点がたくさんある。

 そんな酒好き太宰治が書く作品には酒がバンバン登場するし、どれも何だかんだ言いながら美味しそうである。

 はっきり「不味そう!!」と感じたのがこの、『粗末なリンゴ酒をみみっちいお猪口で〜ナマズの生臭さを引き立てるフルーティーなリンゴとの素敵マリアージュ、田舎者の都会への憎しみを添えて〜』なのだ。

 酒好きな人が、ここまで不味そうな呑みの様子を描くとは恐れ入る。

 最悪だからこそ、味わってみたい。

 太宰の隣に座ってリンゴ酒を小さなお猪口から舐め、神妙な顔で立ち上がってからボソボソお暇を告げ、医者の家を出て角を曲がった辺りで、「不味かったな!」「本当に最悪!」みたいな愚痴を盛大にこぼし合いたい(ちなみに太宰は、小説の最後で盛大なやらかしをしているが、それには触れないものとする)。

 しかし、擬似的にこのカス酒宴を再現するとしても、だ。

 ナマズはギリギリどうにかなるかもしれないが、リンゴ酒が無理なのだ。

 レシピが無い。

 食い意地及び呑み意地のはった日本人は、美味しければ全て残しているはずなので、製造方法不明というのは、つまりそういうことなのだろう。

 青森県五所川原市(太宰治の故郷の現在の呼び名)は、太宰治のリンゴ酒を再現するプロジェクトに乗り出した。

 そして、『太宰が飲んだ!? 幻のリンゴ酒』と、いう商品を完成させた。

 再現度を高めるためか、クラフトビールの瓶に詰めて販売している。

 しかし。

 どうにもまだ、美味しすぎるような気がする。


 あと、できたらナマズとセットで売ってくれ。

 

 

 

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