第10話 教授の思い出
創作物に登場する、呑みたくても呑めないお酒。
本来なら続きを紹介すべきなのだが、ちょっと休憩して、思い出話でもしてみたい。
真面目な話(?)ばかりだと、アル中は
世間的には珍しいのかもしれないが、私と妹は同じ大学に通っていた。
卒業論文のテーマは、私が江戸文学、妹が漢詩だったので、当然異なる教授の元で学んでいた。
江戸文学の先生は、下戸。
私は、その頃はアル中ではなかったけれど、酒は呑める。
漢詩の先生は、大酒呑み。
妹は、下戸。
人生とは、かくもままならない。
酒呑みサラブレッド家系の中では異端な妹であったが、真面目なのが幸いし、卒業後は学生時代から交際を続けていた恋人と無事に入籍した。
披露宴には恩師である漢詩の教授、S岡先生も出席したが…しこたまビールを召し上がった先生がどんな風であったかは、あの方の名誉の為に触れないでおく。
言い訳させていただくと、S岡先生は漢詩の分野では相当な功績を残されている上に大変な人格者で、専門家や院生からの信頼も厚い。
ただ、人より酒呑みというだけである。
酔っ払いながらも、教え子へお祝いの言葉をくださった先生に、我が家は後日、お礼の品を贈った。
地元青森の地酒、2升。
更に、津軽びいどろの盃を2つセットで。
更に更に、地元産の味噌漬けを1袋。
もうお気づきだろうが、『酒』『器』『ツマミ』の酒呑み3種の神器が揃ってしまった。
『終わり』の始まりだ。
折悪しく(?)、荷物が届いた日に来客があった。長く合っていない、気の置けない友人だった。
論語のこの一節は、友達と呑み明かすのは楽しいよね、という意味ではなく。
学問を続けていると、同じ志の仲間達が集まって来るのが嬉しいよね、と、いう意味らしい。
が、酒呑みには真実なんてどうでも良いのである。
S岡先生は、翌日凄まじい頭痛と吐き気と共に目覚めた。
それは遠方より来た友人も同じで、机の上には味噌漬けの残りと、空になった一升瓶が2つ並んでいたらしい。
誰も、一気に全部呑めなんて言っちゃいないのに…。
S岡先生からこの話を聞いた時は、家族一同呆れ返ったものだが。
酒呑みという生き物は、呑んで楽しくなると自制心のタガが外れてしまうことが少なくない。まして、久しぶりに会う親友と一緒なのだ。
積もる話もある。この時間がいつまでも続けば良い、そんな思いからつい、お開きを口にするのが躊躇われて、また1杯、あと1杯と呑み続けてしまう。
気をつけよう。
漢詩の先生だから、というのではないが、以って他山の石とせねばならないだろう。
そして、母と妹が口にした言葉がこちら。
「三升贈らなくて良かった」
S岡先生は良い先生だし、そんな意図は全く無かったが、殺人未遂を疑われていた可能性もある。
酒好きに酒を贈る際は、意図的に少なめにした方が無難かもしれない。
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