第8話 呑めない酒 その2 『錠剤の酒』
創作物に登場する、呑みたいけれど現実には呑めない酒。
引き続き紹介していく。
第4位: 錠剤の酒
読んで字のごとく、液体ではなく錠剤の形に固められた酒である。
いきなり固形物を出してしまって申し訳ない。
この奇妙な酒は、古谷三敏著『BARレモン・ハート』に登場する。
話の舞台となるバー、『レモン・ハート』の常連であるライターが、ある発明家の元を訪れる。
発明家はライターに、自らの発明品を披露する。
これこそが、錠剤の酒である。
本当に、錠剤としか言えないような素っ気ない外見で、丸や三角や四角の無機質な塊が皿の上に並んでいる。
私達がビタミンやカルシウムの補給にポリポリ齧るような、ああいったお菓子の親戚のような感じだ。
錠剤は形や色によって『焼酎』『ウィスキー』等に分けられているが、銘柄などは一切書かれていない。
錠剤を貰ったライターは、さっそくそれをレモン・ハートに持ち込み、『ウィスキー』を食べてみせる。
ちゃんとウィスキーの味がして、しっかり酔える。
だが、マスターは苦々しい顔だ。
それはそうだろう。
1粒食べるだけで酔っ払う酒、そんなものは酒を呑むことの楽しみを否定している。
ショットグラスをぐいっと呑み干して酒場を去る、それも西部劇のガンマンのようで格好良いが、私はウィスキーはゆっくりと味わいたい方である。
グラスに注がれた琥珀色を愛で、香りを楽しみ、少しずつ舌先で転がしながら、時間と共に味の変化を楽しむ…などと言ったら流石に格好つけ過ぎだが、穏やかな酔いが静かに全身に巡って行くのはとても気持ちが良いものだ。
そこに『美味しい』があれば、これ以上幸せなことは無い。
大体、錠剤をボリボリ噛って酔っ払って終了、なんて、楽しくも何ともない。
おつまみを味わったり、人と話したり、今呑んでいる酒の歴史に思いを馳せたり、映画や本を肴に長々と至福の時を過ごしたり…と、楽しい過程を全てすっとばして、酔いという結果だけを得たいなんて、余りにも悲しいしもったいないではないか。
酔いだけを求めてしまう人にとっては、この酒錠剤は救いに思えるだろう。
そういう人はきっと、この錠剤を携帯するようになる。
仕事中だろうとデートだろうと、トイレに隠れてボリボリ噛っては自分を奮い立たせるような、危機的状況に自らを追い込んでしまう。
1粒が2粒、3粒と増え、段々感覚が曖昧になってくる。
最初は「ウィスキー味が好き」なんて言っていたのが、段々味なんかどうでも良くなってくる。
酔いの感覚さえ、すぐに得られるならば何でも良い。
そうなると最早、麻薬と変わらない。
それが当たり前の世の中になってしまうと、馬鹿な政治家とマスコミは錠剤酒ではなく、アルコールそのものを糾弾するわけで…。
…自由に酒を呑む権利が…。
まずい!
発明家には悪いが、こんなものは絶対に世の中に出るべきではない!
アル中製造機を通り越して、廃人製造機だ! やめよう! 酒は美味しい肴と共に、ゆっくり楽しもう!
何なら私が奢るから!
話ならいくらでも聞くから!
…アル中、アルコールが無いと死ぬので、呑む権利を守る為に必死である。
もしも今、この酒錠剤を一瞬でも「欲しいな」と思ってしまった方は要注意だ。
早急に環境を変えた方が良い。
逃げるのはそれほど難しくない。
人間関係やら信用やらイメージやら、自分の健康と天秤にかけたら安いものだ。
…ここまでボロクソに言っておいて何だか、もしも実際に販売されたら、1度は買ってしまうと思う。
宇宙食の、水に溶かして呑むフリーズドライのウィスキーだって、漫画で見つけた時は「不味い」という感想にも関わらず心惹かれた。
とりあえず酒ならばチャレンジしてみたい、それがアル中なのだと思う。
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