第3話 呑み屋で出会った方々 その1
酒呑みはその場限りの呑み友達を作る傾向にある。
私も例に漏れず、そういった即席の友達と共に大量のアルコールを消費してきた。
2度と会うことは無いであろう彼ら、だが私1人の思い出にするにはもったいないようなエピソードもあったので、それらも随時、紹介していきたい。
【レモンサワーの老紳士】
出張で東京へ行った。
会議が早めに終わったので、ホテルチェックイン前に夕飯を取ることにした。
どうせなら、観光も兼ねて未知の呑処を開拓したい。
迷った末、上野のガード下を決戦場とした。
しかし。
田舎者の私は、東京の恐ろしさを舐めていた。
時刻は夕方。
そう、ラッシュアワーである。
え、これ、乗れるの?
そう呟いてしまう程、車両にぎゅうぎゅう詰めにされた人! 人! 人!
人と人との間で潰される身体!
身体がねじれる!
間違った整体みたいだ!
混じり合う体臭で汚染される空気!
苦しい!
毎日これ?
耐えられるの?
修行なの?
「あれが嫌だから、東京での就職を諦めたんだ…」
走馬灯のように蘇る父の言葉!
…たった15分程度の移動で、ここまで消耗するとは思わなかった…。
大学生時代は神奈川に住んで居たので、満員電車程度では驚かないつもりだったのに、何というかケタが違っていた。
ようやく上野に到着したが、既にボロボロ。
しかし、酒を呑まなくては。
アメ横を少しだけ冷やかし、目的地へ。
本当に、時間が止まったような小さな店がいくつも並んでいる。
どこにしようか?
と、迷う間もなく、疲れていたので座れそうな店にとりあえず入る。
メニューを見て、とりあえず元気が出そうな豚ガツ刺し身とホッピーを注文した。
とりあえず、で徹底的な失敗をしたことは無いので、こういう時はさっさと決めることにしている。
下町の店に良くあることだが、ホッピーも豚ガツもすぐに運ばれて来た。
すかさずホッピーを流し込み、豚ガツをぱくつく。
ホッピーのナカはキンミヤだ。
豚ガツも生臭くなく、新鮮で美味しい。
他の店にも行きたいな、今夜は何件行けるかな、と、機嫌よく呑み食いしていると。
「あの、あちらのお客様が、1杯ご馳走したいと」
美人な店員さんに、急に声を掛けられた。
店員さんがそっと示した方を見ると。
4人掛けテーブルの老紳士が、手を振って目配せしてくれた。
え?
これは、漫画なんかで見る「あちらのお客様からです」と、いうやつか?
大体舞台がバーで、カウンターをグラスがすーっと滑るやつだ。
確かに憧れはあった。
1度くらい経験してみたかった。
まさか、上野ガード下で叶うとは思わなかったが…。
何でも良い、とのことだったので、その店では高額な凍ったレモン入りチューハイを頼んだ。流石にグラスを滑らせたりはしなかったが、冷えたチューハイはレモンの風味がしっかりしていて、とても美味しかった。
しかし。
私は美人という程ではないし、服だって地味なスーツなのに、何故奢ってくれたのだろう。
理由は、帰り際に駅のトイレに寄った時に判明した。
鏡に映る、化粧が汗で流れた顔。
ラッシュアワーでぐちゃぐちゃに乱れた髪、同じ理由で皺だらけのスーツ。
引っ掛けて伝染しかけたストッキング、疲労困憊の虚ろな表情。
こんな格好の、当時20代の女が、場違いなガード下酒場でガツを貪りながらホッピーを呑み干していたとしたら。
…どう見ても、「ブラック企業でボロボロになった新入社員」もしくは「仕事で凄まじいやらかしをして、自暴自棄な女」である。
自らの人生を儚んで、電車に飛び込んでしまうのではないか。
そんな懸念を抱かれたとしても、何ら不思議は無い。
今となっては誤解を訂正することさえ叶わないが、万が一、あの方がこれを読んでくれるかもしれないので、この場を借りて謝罪したい。
余計な心配をおかけして申し訳ありませんでした。
レモンサワー、最高に美味しかったです。
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