第2話 長距離走者? 短距離走者? その2

 長距離走者の話をしよう。

 短距離走者とは真逆の存在、時間無制限の、所謂「だらだら呑み」をする者達だ。

 今更だが、私は長距離走者である。

 短時間では泥酔できないし、気持ち良く酔うこともできない。

 時間をかけて呑むから、メガジョッキのビールは温くなる。チューハイは氷が溶けて薄くなる。

 だから、長距離走者は小さめの酒器を好む。

 ひたすらにおかわり…おかわり…。

 だらだらと怠惰に杯を重ね、気がつけばかなりの量のアルコールを消費している。

 小説家の中島らも先生は、宅飲みだと「することが無い」という理由で本を読みながら呑み続け、一升瓶を開けてしまったそうである。

 長距離走者のお手本のような呑み方だ。

 のんびり、だらだらと呑むから、酔いの感覚が曖昧で、いつまでも呑み続けてしまう。1番気持ちの良いほろ酔い状態を、いつまでも、いつまでも持続させようとしてしまう、ある意味短距離走者よりも貪欲でたちの悪い呑み方である。

 楽しいから、呑んでいるんじゃないよ。

 長距離走者たちの中には、こんなことを言いながら呑む人もいる。

 忘れたいから、呑んでいるんだよ。

 呑むのを辞めたら、いずれ酔いが醒める。悲しく辛い現実と向き合うことになる。

 だから、呑むのだと。

 

 格好良い。

 格好良すぎる。


 同じ長距離走者として、一度は言ってみたい台詞だ。

 場所は古めかしいバーが良い。

 ウィスキーもしくは焼酎の瓶を傍らに置き、手酌で杯を重ねると尚良し。

 更には眉間に皺を寄せ、人生の苦悩を表情だけで語りながら、溜息のひとつでも吐きたいものだが、ふくよかな体型でタヌキ顔の四十路女がやっても滑稽なのでやめておく。

 ただ、勘違いしないでいただきたいのだが、この「忘れるために呑み続けている」というのはあくまでポーズ、本当はただの酒好きで大した苦悩も無い場合に限られる。

 もしも本当に現実逃避で呑み続けている人がいるなら、それは長距離走者ではなく危機に直面している人だ。現実の救済を必要としている人だ。

 度数の高いチューハイや、味の無いホワイトリカーなんかを四六時中、それこそ寝ている時以外に呑み続けているようなら、要注意だ。

 至急、医療と行政に繋がってほしい。


 話が逸れてしまったが、短距離走者か長距離走者か、という点で見ると、その人の元々の性質も遠からず関わっているような気がする。

 格好良い短距離走者が明るい酒呑みだとしたら、格好良い長距離走者は暗い酒呑みだと思う。

 どちらが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとか、そんなことを言いたいわけではない。

 陸上の短距離選手と長距離選手を勝負させることができないように、酒の呑み方の優劣なんて、本人が楽しく呑んでいるならそれが最高で正解なのだ。

 ちなみに。

 ごく稀に、だが。

 「短距離走者」のスピードを保ちながら「長距離走者」の時間無制限呑みが出来てしまう、最初から全力疾走でマラソンをトップ完走する「人間機関車」エミール・ザトペック選手のような本物のモンスターも存在するにはするので、出会った時はくれぐれも張り合わないように。

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