「第六話」自業自得
面倒なことになった、と。
アタシは目の前の加害者にして被害者である恭太を睨みつけながら歯噛みした。
目の前にいる男は確実に様子がおかしかった。加えて変形した顔面、この覚えのある妖気……これは、朝に倒した妖魔である大顔が取り憑いていることを明確に示していた。
だが問題は、そこではない。
(野郎、よりにもよってあのガキに憑依しやがって)
ああ、ただの人間に取り憑いているだけならどれほど良かっただろうか。
妖魔が人間に憑依する場合、多くの場合は弱体化する。何故なら人間の肉体のスペックでしか動けず、魂に込められた力などを存分に使えないからだ。
だが、例外はある。
取り憑き先の人間の魂が、妖魔に負けず劣らずの下衆だった場合だ。
(おおかた延命措置ぐらいの気持ちで肉体を乗っ飛んたんだろうが、悪運の強い奴め……悪意マシマシの魂で更に力を増しやがった!)
『……ぁ』
男の狂った表情筋が、歪む。
それは丁度、笑っているように見えた。
『あ、あぁぁぁみぃいいつけたぜぇえええええ金華ぁぁぁぁぁ?????』
金華。それは、今を生きるアタシの名だった。
数千年を平気で生きる妖魔ならば、アタシのことを金時と呼ぶはず……いいや、まさか。
「テメェ、まさか自分から妖魔を受け入れてんのか!?」
『へっはっはっはっ! そうさ、そうさぁ!』
高笑いを続けながら、赤髪の男は両手を広げた。
『俺はお前らに復讐がしたかった!』
『オレはお前らを殺す力が欲しかった!』
妖魔として歪んだ顔面は大顔、人でありながら歪みきった顔面は恭太の顔。
利害一致、目的一致による最悪の共存を成しているそれらは、どちらも滅さなければならない魂であることは変わりなく、どちらもアタシと雷火の命を狙っていた。──半妖。それの弱体化バージョンに近い存在である。
『折角最強の力を手に入れたんだ! お前を殺した後、俺はこいつと王になる!』
『おうよ! この世の人間の肉体と魂を貪り食らってやらぁ!』
無駄に息の揃った一人芝居を見せられた後、恭太の肉体が音を立てて変化していく……骨が砕け、肉が膨らんでいき、車内に収まりきらないほどの巨体へと変貌していく。
「っ! 雷火、立て!」
怯える雷火の返事を待たず、アタシは彼女を米俵のように担ぎ込んだ。そのまま窓ガラスが張ってあった後方から飛び込み、ゴロゴロと地面を転がりながら脱出した。
ドォン!
その直後、バスの車体が熱と光とともに大きく爆発した。
「きゃあっ!」
雷火が蹲る。何が起きたのかわからないといった様子で震えている。
「……しぶといな」
あの爆発で勝手に死んでくれればよかったのだが、どうにもそういうわけにはいかないらしい。焦げ付いた車体の残骸、炎上し続ける黒煙の中……それは、立っていた。
『にぃいいげぇええんんあぁよぉおおおおお』
焦げながら再生する四肢。手足の関節が何本にも分かれたその形相は、昆虫などの地を這う存在に近いイメージを持たせてきた。
三メートルを優に超える背丈が、悍ましかった。
とても、元々の肉体が人間のものだとは思えなかった。
『殺してやるぅううぶっ殺してやるぅうううううう』
肩らしき部分からそれぞれ腕が生えてくる。今か今かと、アタシの四肢を引き千切ろうと隙を伺っている。
「……なぁ」
あれは、もはや姿形において人間ではない。
だが、だが。……心は、人間だけが持つ誇り高き精神は、どうだろう?
「なぁ、お前」
『あ? 命乞いなら聞かねぇぞ?』
「今からでも人間に戻りたいとか……助けてとか、思うか?」
『……へへっ』
困惑したような顔。
しかしそれはすぐに、肉に埋もれた笑みへと変わっていく。
『あーっひゃっひゃっひゃっひゃっぁあああああああああ!!!』
解答に使われたのは言葉ではなく、四本に増えた腕による異形の暴力だった。
殺す、と。
俺は化け物としてお前を殺す、と。そういう、言葉無き殺意有る返答だった。
「……そっか」
ああ、残念だ。本当に、本当に残念だ。
でも、逆にありがとう。──おかげで、躊躇いなくぶっ殺せる。
『あははははっは、は、はは……あ?』
間抜けな声が聞こえた。
増やした腕を、めちゃくちゃにズタズタにされた……いつの間にかされていた外道の声が。
「始めに言っとくけどよ、こう見えてもアタシは殺生が嫌いだし暴力が嫌いだ。相手が人間なら尚更だ……殺したくねぇよ。ああ、殺したくなかったさ」
『おっ、俺の腕……えっ、千切れて、ああ、あああああ!?!?』
半狂乱。ヤケになった異形の醜い面には、最早人間としての面影は無い。
「だが、まぁ──」
握りしめたフライパンの柄を、向かってくる異形の顔面に向けて叩きつける。
初めに打撃。骨を叩き折る感触、骨が肉に沈む感触。
次に音。打撃に先行されたそれは、若干鈍い音を響かせ、そして。
「自業自得だ、くたばれ」
轟音、風圧。
炎上するバスの炎を吹き飛ばすほどの爆風が吹き荒れると同時に、顔面を潰された異形の肉体は水を入れすぎた水風船のように破裂し……恭太の体だけを残し、霧散して消えていった。
「……ぁ」
その声を最後に、妖魔から開放された恭太は気を失った。ぐったりと、しかしまだ死んではいなかった……その事実にアタシは、ちょっとだけ安心していた。
「……金華ちゃん」
「雷火、大丈──」
「金華!」
雷火は飛び掛かってきた。そのまま地面に押し倒され、抱きしめられた。
「金華、金華……金華金華金華ぁ!!」
泣いていた。
強く強く、アタシを抱きしめながら。もう離すまいと、そんな強い意志を感じるぬくもりも含ませて。
「……うん」
泣いてほしくない。
どうにかして、泣き止んでほしい。安心してほしい。
「大丈夫、大丈夫だから」
どうすればいいかなんて、分かっていた。
抱擁に、抱擁を返す。負けないぐらい強く抱きしめて、ここにいるんだよってことを……私はちゃんと生きているんだと、心臓の鼓動は止まってなんかいないんだぞということを、密着して示してやる。
(……なぁ、頼光さん)
あの時、アンタにもこうしてやればよかったのかな。
そんな、そんな……余りにも遅すぎる気づきを押し潰すように、雷火の泣き声は静かに、しかし激しくアタシの耳元で響いていた。
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