第2話 襲来

 ぴんぽーん

 ピンポン、ピンポン、ぴんぽーん

 ぴんぽーん

 家のチャイムが連打される。

 インターホンなんていいものじゃない。

 ましてやカメラ付きなんてどんな便利道具ですか。

 そういいたくなるくらいに、我が家の設備はロートル。

 いや、付け替えればいいだけなんだけどね。

 気に入っているので、昭和の団地をリノベーションした住宅に元々付いていた物を、そのままにしているのだ。


「はいはい」


 平日の夕飯時、三十代男性の住宅を訪ねてきてチャイムを連打するなんて、限られた人間だけだろう。

 ってことでドア窓も確認せずに玄関を開けて、固まった。


「よっ」


 そこにいたのは確かに条件に当てはまるけど、想定していた人物ではなかったので、そのまま扉を閉める。


「ぅえええええ? お兄ちゃん? おにいちゃあん、あけてぇ~入れてぇえ」


 さすがに近所迷惑になるレベルではないものの、ドアの向こうでの騒ぎに息を吐く。

 はあ。

 しぶしぶ身幅の分だけ扉を開けたら、ぐいぐいと身体をねじ込ませて、猫みたいに中に入ってきた。


「律、何しにきた」

「お腹空いたの」

「ウチは食堂じゃねえ」


 勝手知ったる何とやらで、靴を脱ぎ捨ててコートを脱いで、居間のソファにダイブしてくつろぎ始めたこの女。

 浜田律(はまだ りつ)。

 俺の……浜田匡(はまだ きょう)の歳が離れた実妹。

 歳が離れているからか、甘やかしすぎた。

 それぞれ家を出て社会人として独立したっていうのに、何かっちゃあウチにくる。

 まあ、実家はな、予定せずふらっと行けるところじゃないけどさ。

 物理距離もそうだけど、今もまだ現役でバリバリと働いている母が、父を溺愛しているので。

 未だにデートだとかで家にいないことも多い。

 父は子どもがかわいいからと言って、予定を変えることは厭わないけど、後で母の拗ねっぷりがすごいことになる。

 結果何かっていうと弟妹は、俺のところに息抜きにくるのだ。

 妹もそれなりにかわいいから、いいのだけど。


「暇になるとウチに来てさあ、お前、デートの予定くらいないのか?」

「ない。別れた」

「ああ、そう……」


 親なら「年頃の娘がだらしない」って、言うんだろうなぁって格好で、ソファの上でだらけている。

 外では絶対に見せないだろう、律の姿。

 小柄で色白で目がくりっとしていて髪はつやつやさらさらの、ぱっと見がかわいい小動物系の妹は、当然それなりにもてる。

 もてる分、隙を見せると足元をすくわれるので、外ではそれなりに気を張って過ごしているらしい。

 しょうがないなあと、床に放置されていた上着を拾い上げて、ハンガーに掛けてやった。


「多分、後でりん兄も来るよ」

「ああ、そう」


 妹の口から出た名前に、微妙な気持ちになる。


「結局うまくいかなかったって言ってたから」

「倫が?」

「他に誰がいるの」


 俺と律は十歳違い。

 間に、倫という弟がいる。

 俺の最愛。

 先週会ったときには、気になる女性がいると言っていたので、しばらく顔を見ることはできないかなと思っていたのだ。

 それでもチャイムが連打されると、いそいそと玄関に向かってしまうわけだけど。

 そうか、だめだったか。


「浜田匡さん、質問があります」

「はあ? なんだよ藪から棒に」


 だらけた姿勢のまま顔をこっちに向けて、律が言った。


「お兄ちゃん、りん兄のこと、好きなの?」

「……だったら、どうする?」

「別に。聞いておきたかっただけ」


 真顔で律が言った。


「お兄ちゃんはさ、あたしたちにデートはないのか恋人はいないのかって言うけど、自分はどうなのよって感じでさ」

「言っとくけど、今まで相手が誰も居なかったんじゃねえから。最近、居ないだけだから」

「知ってるよそれくらい。けど、お兄ちゃんのスペックで全力でかわいがられてみ? どんだけハードルが爆上がりすることか」

「んなわけねえだろ」

「あるの。でも、あたしはいいの。求めるものがお父さんだから。でも、りん兄は違うじゃない。だから、お兄ちゃんどんなつもりなんだろって思ったの」


 あー。

 律の言葉にイタいところを突かれて、俺は天井を見る。

 ウチの両親は言うなれば『女王陛下と忠実な側近』。

 迫力美人でキャリアウーマンの母がぐいぐい攻めて、おっとり癒し系の父を落とした組み合わせ。

 なので、律が求めるのはリーダーシップとか年上の包容力とかじゃないってことだろう。

 じっとこっちをみていた律は、肩を竦めてからスマホを眺めだした。


「まあ、いいけど。お兄ちゃん、今度、外で晩ご飯おごってね。りん兄ぬきで」

「はあ?」

「おごりたくなった時でいいからね」

「なんだそりゃ」


 律はそれ以上何も言う気がなさそうだったので、俺は台所に立つ。

 倫が来るのが本当かどうかは知らないけど、米をセットしておかなきゃ食うものがない。

 先に連絡くらいしろっての。

 俺一人なら冷や飯温めて終わってたんだよ。

 米を研いで炊飯器をセットしたところで、律の予告通り、チャイムが連打された。

 玄関に行ってドア窓を確認せずに扉を開ける。


「よっ」


 いつものように笑顔でそこにいたのは、倫だった。

 素早く玄関に目を走らせ「女の靴?」って騒ぎながら、当たり前のように中に入っていく。

 靴のチェックをするくらいなら、遠慮ってやつを覚えろよって、倫が相手じゃなきゃ言っているところだ。


「ああ、りん兄」

「なんだお前かあ」


 意識しているのかいないのか、倫がほっとしたように力を抜いた。

 いつもウチに来たときに鞄を置く場所に、当たり前のようにぽいっと鞄を置いて、その上に脱いだ上着を置く。

 だから、ハンガー使えっての。

 倫と律でソファの場所取りをしているのを横目に、倫の上着を拾ってハンガーに掛けた。


「お兄ちゃん、お腹空いた」

「あ、おれも腹減った」

「だからウチは食堂じゃねえっつの」

「えーお兄ちゃん」

「兄ちゃ~ん」


 声をそろえてねだるんじゃない。

 欠食児童かお前らは。


「手伝え」


 台所に向かうついでに、倫の頭に手を置いた。

 さらりとした髪。

 形のいい頭蓋骨。


「やったー」

「えええ、おれぇ? 律は?」

「後で。三人で立ったら狭いだろうが」

「それもそっか」


 俺は母親に似て背が高く、倫と律は父親に似て小柄。

 隣に立つ姿に、安堵する。

 俺の最愛は、まだしばらくここにいてくれるらしい。




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