あきのおとずれ

ゆすら

あきのおとずれ

 暦が秋を告げてからひと月が経ったある日、今日も職場では嫌気のさすようなことが続いていた。げんなりしつつもなんとか気持ちを保ち、明日のためにといつもより多く買い出した食材を背負って私は家路についていた。その道中、萎れかけたひまわりにアカトンボが止まっているのが目に入った。真っ向勝負。私は捕まえようと一直線に手を伸ばすがうまくいくはずもなく、それはどこかへと飛んでいってしまった。そのときふと、あの日のことが思い起こされた。


「アキと真っ向勝負だよ!」

 彼女はそう言うと虫取り網を片手にトンボ飛ぶ草原を走り回る。そして掛け声を出しながら網を無茶苦茶に振り回す。何度も何度もそれを繰り返していた。

 一方の私は背の高い草に止まっていたトンボに向かって指をぐるぐるとしてから、さっと翅を指の間で挟んで捕まえる。そして彼女を呼んだ。

「え! もう捕まえたの!?」

息を切らしながら、彼女はおどろいている。

「捕まえ方、コツがあるんだよ。教えてあげる」

 そう言ってどうやって捕まえたのかを話したとき、彼女はムスッとしてしまった。

「……ゃないよ」

「え?」

「そんなの真っ向勝負じゃないよ!」

 目を見開いて大声でそう言い放つ彼女に圧倒され、なんとなく後ろめたさもおぼえてしまう。

「これで捕まえてきて!」

 彼女は虫取り網を突き出す。断れない雰囲気の中、私は黙ってそれを受け取った。そして覚悟をきめる。

「いけーっ!」

 掛け声を合図に私は草原を走り回って網を振り回す。頭が空っぽになっていく。とにかく全力だった。


そのとき捕れたトンボは結局0匹。それでも気分は晴れやかだった。そして彼女と一緒に笑い合った。精神的休養として過ごした親戚の家でのひと夏の思い出は今を生きるきっかけをくれた大切な宝物である。


 いつもより早くはじめた昼食作りも終わり、一週間前のメールを再確認していたとき、インターホンが鳴った。待ちかねていたお客さまである。いそいそと玄関に向かいドアを開けると、そこには変わらぬ様子の彼女がいた。夏の終わり、笑顔のアキがやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あきのおとずれ ゆすら @64_yusura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ