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音無ハルカ

第1話

「ねえ、ここはどんな世界なの?」


 「綺麗な世界だよ、とっても」


 いつもの会話。僕はフードを深く被り、肩に担いで片腕で固定した身長ほどの長さの細い斧を、もう片方の手で撫でる。


 国の中でも、最も迷いやすいと言われる、暗い森の最奥。僕は少し顔をあげ、先ほどの会話の相手である少女を見やる。


 ほっそりとした四肢。日にさらされることを知らないように真っ白だ。柔らかな印象を与える軽くウェーブのかかったブロンドの髪によく映える、純白のワンピースを着ている。


 どこからどう見ても、美しい少女だ。しかし、少女に直接触れることは叶わない。


 少女は、巨大な鉄製の鳥籠に入れられていた。鳥籠の中には、何もない。ただ、少しさびた鳥籠に、少女一人が入っている。その様子はあまりに異様だったが、あまりにも神秘的であった。


 少女は、神託者として国に保護されていた。聞けば、幼いころ病気で視力を失った後、神託が聞こえるようになったらしい。この国は数年前から戦争をしており、物資も苦しくなってきていたが、少女には衣食住が保障されていた。


 この鳥籠は、神が作ったものだとされている。その効果なのか、雨風は完全に凌ぐことができるようで、少女曰く、中は快適らしい。しかしながら、強い力で変形したりするなど、万能ではないようだ。


 数人の足音が迫ってくるのが聞こえてくる。僕は立ち上がり、音のする方を注視した。


 「番人。今日は」


 「変わりありません。神託もないようです」


 やってきたのは、国の役人だった。一日三回、少女の食事を持ってくる。


 「最近、まったくお告げがないじゃないか。我が国はこの戦争に勝たなければならないというのに」


 僕は役人から少女が見えないよう、少し移動する。


 「まあ、いい。神託が降り次第報告するように」


 役人が去っていく。僕が少し振り返ると、少女の目は少し潤み、自分を抱きしめるように縮こまっていた。


 「大丈夫?」


 返事はなかった。僕はまた座り、鳥籠にもたれる。斧が鳥籠とぶつかる音が、静かな森に響いた。


 「食べなよ」


 パン、スープ、数個の果物。どれだけ物資が困窮しても、少女の食事は変わらなかった。森からしばらく出ていないので詳しい状況はわからないが、やはり食物の確保も難しくなっているようだった。


 鳥籠についている小さい窓から食事を渡すと、少女は小さく頷いた。


 「ねえ」


 「なに」


 「またあの話、して。宝石の国の話」


 「…好きだね、それ」


 宝石の国とは、僕が以前滞在していた国のことだ。僕は所謂放浪者で、様々な国を訪れては、現地の人々と交流をしていた。しかし数年前、この国に訪れてすぐに戦争が始まってしまい、国が閉鎖され出られなくなってしまった。しばらく定住するしかなくなったものの、外から来た僕に対して国民は警戒が強く、受け入れてもらえる場所が見つからなかった。


 そんな僕に国が与えたのがこの番人という役だった。信用できるかわからない放浪者を管理するにはちょうどいいと思ったのかもしれないが、やろうと思えば少女をどうとでもできてしまうような状況に置くところを見ると、この国の神に向ける目にも大体察しがつく。


 少女が食事をしているところを見ながら、僕は語り始めた。僕の話は、目の見えない少女にとってたいそう面白いものらしい。この話は何度も少女にねだられては話していたので、一度も話が途切れることはなかった。


 話し終わると、少女の表情がだいぶ柔らかくなっていた。僕はふっと口元を緩める。


 「いっぱいいろんな国の話を聞いてきたけど、私、やっぱりこの話が一番好き」


 「それはよかった」


 「どの国でも、神さまを信じているの?」


 「…確かに、神を信仰している国は多かったけど。神じゃないものを信仰している国もあったし、そもそも国で信仰するものがなかった国もあったね」


 「そっか…」


 すると、どこからかがさり、と音が聞こえる。僕は反射的に立ち上がり、周囲を見渡す。すっかり日の落ちた夜の森では見えづらかったが、人影はないようだった。


 「…気のせいか」


 僕が座り直すと、食べ終わった少女の皿に、パンが一つ残っていることに気がついた。少女はそれを僕の方へ差し出す。


 「食べて」


 「いいって」


 「でも、ずっと食べてない」


 ちゃんと分かるものなのだなと思いつつ、優しくパンを少女に戻す。


 「前から言ってるけど、僕は食べなくても大丈夫だから。それは自分で食べな」


 そこまで言って、ようやく少女はそのパンを口に入れる。食べる様子を見せない僕を心配してか、少女は毎日僕に食事を分けようとしてくれる。


 「食べたら寝な。もうだいぶ日も落ちてきたし」


 少女はパンを食べ終えると、こちらをじっと見つめてくる。


 「どうしたの」


 「今日、星は見える?」


 「見えるよ。今日はいつもよりよく見える」


 「星って、綺麗だよね。目が見えなくなる前、見たことがある。でも私、宝石は見たことない。宝石、綺麗だったって言ってたよね。どっちが綺麗なの?」


 確かにこの国で宝石が採れるとは聞いたことはないが、戦争をする前は、この国にも宝飾品はあったはずだ。周りに着けている人がいなかったのだろうか。


 「そうだね、どっちも自然のものだし、単純に比べるものじゃないと思うけど。星の方が綺麗かもね」


 「そうなの?」


 「だって、星は人間が介入する余地がないから。宝石は、金に換えようとしたり、人を動かすための材料に使おうとする奴がたくさんいるからな。人間の嫌な感情が混ざった途端に美しくなくなるんだよ。ああいうのは、手に入らないようにして見ているのが一番綺麗なんだよ」


 あまり理解できなかったのか、少女はふうん、と呟く。僕は空を見上げ、なんとなく星座を探しながら、語り続ける。今はなぜか、もう少し話したかった。


 「宝石も好きだけどね。宝石の国でもらった石が…あぁ、あった」


 僕が上着のポケットから、手のひらほどの黄緑色の石を取り出した。


 「黄緑色の石でね、サーペンティンって石なんだそうだ。最初、なんでこれをくれたのかわからなかったよ。多く採れるってわけでもなかったしね。でも、後から知ったんだけど、これ、石言葉—宝石にそれぞれこめられた意味みたいなものなんだけど。サーペンティンの石言葉は『旅の守護』らしいんだ。優しいよね。ただの浮浪者の僕にさ…」


 そこまで話して、僕は少女がすっかり眠ってしまっていることに気が付いた。すこし話しすぎてしまったかと思い、僕はサーペンティンをしまい直す。


 「僕は変わらないな」


 月明かりでぼんやりと照らされる森の中で、僕は夜の冷たさを感じていた。


 数日後の朝。


 役人が朝食を運んできてから、僕はずっと落ち着かなかった。


 「どうしたの?」


 「いいや…」


 ここのところ、ずっとどこかから視線を感じる。直接人影は見えないが、ずっと見られている。しかも、複数人。


 見えない限り何もできないし、少女のそばをはなれるわけにはいかない。次に役人が来たら報告しなければと思いつつ、一旦腰をおろした。


 「なんでずっと、守ってくれるの?」


 「なんでって、僕番人だし」


 「でも、外から来た人なんでしょ?神さまのこともあまり知らないのに守るの、嫌じゃないの」


 「まあ、ここの人に比べたら知らないだろうね、でも、僕には合っている仕事だよ。それとも、外からきた男が番人をするのは嫌だった?」


 「そうじゃない。でも…」


 少女は俯く。両手の指を忙しなく動かし、落ち着きがない。


 「私、神さまの声が聞こえてるのかな」


 「そうなんじゃないの」


 「だって、私、聞こえたことないよ。昔、たまたま喋ったことが当たったら、お母さんもお父さんも神託だって大喜びして…それだけなの」


 聞くと、視力を失った後に大雨を予知したことがあるらしい。周りの大人は視力を失った引き換えの力だと、大騒ぎになったそうだ。しかし、少女にしてもなぜその時予知できたのかわからないし、それ以来、神託らしいものを聞いたことはないらしい。


 「でも、役人から聞いた感じだと、何回か神託を言ったそうだけど」


 「だってあの役人さん、私が何も言わないと、すごく不機嫌になるから…」


 「実際、それって当たったの?」


 わからない、と少女は首を横に振る。しかし、役人の反応を見る限り、全くうまくいってないわけでもなさそうだ。本人が自覚していないだけで、少女にはなにか視えているのかもしれない。


 「ねえ、世界ってどんなものなの」


 「綺麗なんじゃない?君次第で」


 そうこうしているうちに、役人がまたやってきた。今日は時間の進みが、やけに早い。


 「役人。昨日から、この森を誰かが見張っているようです。おそらく複数人」


 「…そうか」


 大した助けは得られなさそうだ。というより、役人の様子が何かおかしい。


 上の空というか、焦っているというか…とにかく、こちらのことを気にしている余裕はないというふうに感じられた。


 「堂々と出てくればいいのに…」


 苛立ちが抑えられず、少し乱暴に斧を振る。少女は檻の中でぼんやりとしていた。


とりあえず少女に食べるよう促し、僕は座らず、ずっと立っていることにした。


 「大丈夫?」


 「うん。何か変だと思ったらすぐ言って」


 結局、もう一度役人が来て一日経っても、特に変化は起こらなかった。


 次の日の夜。


 役人が少女の食事を持ってこなかった。正直抗議したかったが、少女を残しておくわけにいかない。


 お腹が空いているからか、先ほどから少女はあまり話さなかった。


 「悪いけど、明日まで我慢して。僕もここを離れられないし…」


 「うん、大丈夫」


 なぜかはわからないが、あれだけずっとあった視線が、今日は不自然に少なくなっていた。今となっては、ほとんど感じられない。


 「役人が対策を取ったようには見えなかったけど…」


 一瞬、それはかなり遠くから僕の視界を掠めた。ゆらりと揺れる、赤。そして、だんだんとそれは大きくなっていく。


 来る、と感じた僕は急いで斧を構える。が、迫るものが、想像より大きかった。


 二十人はいるだろうか。松明、斧、剣…それぞれの武器を片手に、迫ってくる。


 「まずいな。一人でこの数は捌けない…」


 僕たちの前に来た集団は、そのまま襲いかかってくる。明らかに、この森のことを熟知している動きだった。


 一瞬、集団の狙いは僕かと思った。外から来た存在である僕を、排除しに来たのだろうと。


 しかし、その考えはすぐに打ち砕かれた。


 「壊せ!番人は一人だ、どうにでもなる。今すぐその子供を連れ出せ!!」


 少女を守りに行こうにも、完全に包囲された状態で移動できない。鳥籠の窓は少女の体より小さいのですぐ連れ出されることはないが、壊されたら、少女が危険だ。


 しかし、いくら戦闘にある程度慣れているとはいえ一対多で勝てるわけがなく、僕は地面に押さえつけられた。


 必死にもがくが、そう簡単に離してくれない。斧すら取り上げられてしまい、なす術がなくなってしまった。


 籠を壊している集団は、皆口々に何かを叫んでいる。怒声が混じり合い、全ては聞き取ることができなかったが、その中に、お前のせいだ、や、偽物、という言葉が混じるのを聞いた。


 僕の表情を見てなにか察したのか、僕を押さえつけている男が話しかけてきた。


 「あんた、外の国から来たんだろ?こんなことに巻き込まれて、気の毒にな。でも許してくれよ。あのガキは神託者なんかじゃない」


 「は…?」


 「あのガキがたまに言ってたらしいことを国がやってもなあ、戦争は終わらないんだよ!勝つのも負けるのも、どうでもいい。俺たちは昔の平和な国が欲しいんだ!神は戦争を望んでいるのか?もし本当にそうなんだったら、神なんぞいらない。俺たちにとっての神はそんなんじゃない!」


 男の顔が歪み、僕を押さえつける力が強くなる。僕の周りを囲っていた人々の瞳に、怒りの色が強く宿る。


 「もし君たちがそう思っていたんだとしても、それは神に言うことであって、あの子には関係ないことだろ!」


 つい声を荒げてしまう。しかし、男は狂ったような笑みを浮かべるだけだった。


 「分かってねえなあ。神が俺たちを救ってくれないっていうのは、あのガキが俺たちを救ってくれないのと同じだ。同罪なんだよ。神サマは直接裁けねえからな、代わりにあいつを俺たちで裁くんだよ!」


 男が高らかに宣言した直後、ガシャン!!と大きな音が響く。まさか、と目線を籠の方へ向けると、籠が破壊されていた。


 少女の悲鳴が耳を刺す。集団は少女を乱暴に捕え、引き連れようとしていた。


 「離れろッ!!」


 僕の叫びも虚しく、少女は見えなくなってしまった。


 「撤退するぞ!」


 誰かの号令と同時に、僕の周りにいた数人が離れていく。直接僕を押さえつけている男は、一瞬森の入り口に目を向けた。


 「あんたを殺すつもりはねえよ。だがちょっと、眠っててくれ」


 男はいつの間にか、こぶし程の大きさの石を握っていた。まずい、とさらに抵抗したが、もう遅かった。


 ゴッ、と鈍い音がして、頭に強い衝撃が走る。何度もされたら、死にはしなくともしばらく起き上がれないはずだ。避けることもできない。


 と、その時だった。


 バン!!と音が聞こえた。明らかに銃声だった。その音に一瞬、男の力が緩む。


 「ッ!!」

 

 僕はその一瞬で男を殴り返し、怯んだところで起き上がって気絶させた。


 僕は地面に落ちていた自分の斧を拾い、無我夢中で駆け出す。すぐに、集団の姿が見えた。その行手を阻んでいるものがいるようだ。


 よく見ると、それは国の憲兵だった。止まるよう命令しているが、そんなものが通用するわけもなく、激しい交戦になっている。


 両方、僕が来たことには気づいていない。僕は急いで、少女を探す。と、戦っている隅の方で、数人に固められた少女がいるのに気がついた。


 僕は騒ぎに紛れて後ろから近づき、数人を攻撃する。不意打ちの攻撃だったからか、相手はすぐ倒れた。


 「来て!」


 怯えた表情で震えていた少女はその声で、僕だと気づいたようだった。僕は少女の腕を強く掴み、森の最深部へ向かって走り出した。


 そこから僕たちは、三十分ほど無言で走り続けた。途中で少女の方が限界になり、最終的には背負って走ることになった。


 途中で、なんとか身を隠せそうな場所を見つけ、そこに一旦身を潜めることにした。


 「降ろすよ」


 僕が少女を降ろしたが、少女は僕の腕を離さなかった。


 「…怪我」


 「怪我?」


 「血の匂いする」


 そういえば夢中で意識していなかったが、頭を負傷していた。指摘されて急に痛みだ襲ってくる。


 「ちょっと…ごめん」


 僕が木にもたれると、少女が隣に座る。


 「ありがとう」


 「いいけど、これからどうするつもり」


 少女は俯く。そんなこと当然、考えられないだろう。僕は小さく息をつく。


 「…出ろ」


 「え?」


 少女が驚いた顔をするのに、僕は言葉が足りなかったことに気が付く。


 「ここもどうせ、一日足らずで見つかる。だったら君だけでもこの国から出ていけ」


 「でも、どうやって」


 「僕も伊達に放浪者やってないんだよ。ここを東に、真っ直ぐいけば出られる場所がある。隣国とは陸続きだし、歩けば着くはずだ」


 少女は、言葉もないといった様子でこちらに目を向ける。じゃあ、と言葉が滑り落ちた。


「何で今まで、使わなかったの」


 血の流れる頭を抑えながら、唇を片方釣り上げる。


 「前も言っただろ。僕は綺麗なものは手に入らないことろで眺めるのが好きなんだって。僕も見つかれば処刑は免れない。どちらにせよ、ここは危険すぎる」


 「嫌だ」


 「何言ってるの。死ぬよ」


 「一緒に」


 僕の腕を掴む力が強くなる。確かに目の見えない少女を一人で行かせるのは不親切だと思ったが、一時的にでも目をくらませるものが必要だと思った。


 「僕がいると分かったら、みんなは先に僕を追うはずだ。一緒にいると思っているだろうし、もし君がいなくても僕を捕まえさえすれば居場所を聞き出せるしね。…まあ、安心しなよ。何されても居場所は喋らないからさ」


 少女は激しく首を横に振った。ちょうど、神に祈る信者のように、僕に縋り付いてくる。


 「絶対嫌だ。…お願い、


 どくん、と心臓が跳ねる。イズ。それは僕の名前だった。かなり前に一度だけ、少女に教えたことがあった。覚えていたのか。


 「僕といたって、ろくなことがない。知っての通り、僕は浮浪者だ。定住先もない。それに、一生僕と追われ続けることになる。…分かっていってるの?」


 少女は、いつもの無表情ではなかった。見たことのない、覚悟の決まった表情をしていた。


 「一人で行っても、追われるのは同じ。だったら、一緒に行きたい」


 「世界は、綺麗なんでしょ?」


 返答に詰まる。この世界が綺麗だと少女に言ったのは、僕だ。だったら、その言葉の責任をとるべきだとも思った。


 「…絶対、後悔するなよ。もう、帰せないからな」


 僕は立ち上がる。少女の腕を掴んで立ち上がらせると、静かに微笑んだ。


 「行こう…


 少女—ニアが嬉しそうに笑う。そうして僕たちは、東へと歩き始めた。


 綺麗な世界を、見にいくために。


 『Stand by Me』

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SbM 音無ハルカ @Otonashi_write

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