第29話 素直な接近

 その日、悠真が放課後に綾音と一緒にいたことを知った美咲は、翌朝、彼に話しかけてきた。最近の彼女は少し変わり始めていた。


「日向君、昨日は橘と一緒に勉強してたんでしょ?」


 美咲の言葉には、わずかに嫉妬の色が感じられた。彼女はいつも通りツンとした態度を取ってはいるが、その裏には彼に対する焦りが隠されているのを、悠真は感じ取った。


「え、まあ……図書館で少しだけな。なんで?」


 悠真は、なるべく平静を装って答えたが、内心では美咲がこんな風に直接的に自分に話しかけてくることが珍しいことだと感じていた。彼女もまた、自分に対して少しずつ素直になろうとしているのかもしれない。


「別に。私はあんたと勉強するつもりなんてないから。ただ、あんたが橘と一緒に居たのが気になっただけよ」


 美咲の口調は相変わらずだったが、その言葉の裏に隠された不安や嫉妬が、悠真にははっきりと伝わってきた。彼女は綾音が悠真に接近していることに気づいており、それに対する焦りを感じているのだ。


「霧崎……最近、少し変わったよな。前よりも素直になってきたっていうか」


 悠真はふと口にしてしまった。彼女が少しずつ自分に対して気持ちを開き始めていることが嬉しかったのだ。しかし、その言葉を聞いた美咲は、顔を真っ赤にして言い返した。


「はあ!? 別に私は変わってないし、素直になんかしてないわよ!」


 美咲は強がって見せたが、その言葉にはどこか揺らぎが感じられた。彼女は自分の感情に気づき始め、それを認めようとしている――そんな姿を見た悠真は、彼女もまた自分にとって大切な存在であることを再認識した。


 美咲のツンとした態度は相変わらずだったが、悠真は彼女の強がりの裏に隠された不安や焦りを感じ取っていた。彼女の表情や声色、そして微妙に揺れる瞳――それらが、悠真に対する特別な感情を隠しきれないでいた。


「本当に素直になってないのか?」


 悠真は少し微笑んで、美咲に問いかけた。彼のその態度に、美咲は一瞬言葉を詰まらせた。彼女は自分の中に芽生えている感情をどう処理すればいいのか、まだはっきりと理解できていないようだった。


「……そ、そうよ! あんたに素直になんかならないわ!」


 美咲は再び強がって言い返したが、その声はどこか揺らいでいた。彼女自身も、自分の本音を隠しきれないことに戸惑っているのだろう。悠真と綾音が親しくしていることが、彼女の心に嫉妬という炎を燃え上がらせ、それが彼女を変えようとしていた。


「でもさ、最近は美咲も前より俺に話しかけてくれるようになったよな」


 悠真は、少し柔らかい声でそう言った。その言葉に、彼女は反応するように顔を赤らめ、視線を逸らした。彼女が悠真に対して持っている特別な感情を、彼もまた少しずつ受け止め始めていた。


「それは……その……」


 美咲は明らかに困惑していた。彼女は自分でも分からない感情の波に揺れており、それをどう表現すべきか迷っているようだった。今までは悠真に対してツンとした態度で接することで、自分の気持ちを隠してきた。だが、最近はその態度も崩れつつあり、彼女は自分の本音と向き合わざるを得なくなっていた。


「日向君が……他の女とばっかり一緒にいるから、なんとなく気になっただけよ! 別に、それ以上の意味なんてないから!」


 美咲は焦ってそう言い訳したが、その言葉には説得力が欠けていた。彼女の気持ちは明らかであり、悠真もそれをしっかりと感じ取っていた。彼女が悠真に嫉妬しているのは明らかだった。


「そっか、気にしてくれてるんだな」


 悠真は、彼女の素直になりたい気持ちと、それを押さえ込もうとする葛藤を感じ取り、少しだけ微笑んだ。美咲の心の奥にある純粋な感情が、彼を動かしていた。


「べ、別に、そんな意味じゃないってば! ほんとに……」


 美咲は顔をさらに赤くし、反射的に悠真の方に目を向けると、彼の優しそうな表情に気づき、一瞬言葉を失った。彼の瞳に込められた優しさが、彼女の心を包み込み、少しだけ心を開かせる力を持っていた。


「……なんで、いつもそんな顔してるのよ。ずるいじゃない……」


 美咲はついに、少しだけ素直な気持ちを口に出した。その言葉は、まるで自分自身に向けて言っているようだった。悠真が他の誰かと親しくしているのを見るたびに胸が痛む自分、その気持ちを隠し続けていることが辛くなってきた。


「ずるいのは霧崎の方だろ。こうやって俺に話しかけてくるくせに、本音は言わないしさ」


 悠真の言葉に、美咲は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに眉をひそめて反撃する。


「な、なんで私がずるいのよ!? あんたの方こそ、なんでそんなに……優しいのよ……」


 最後の言葉は小さく、かすかに震えていた。美咲は今まで素直になることを拒んできたが、悠真の優しさに触れるたびに、その壁が崩れていくのを感じていた。


「俺は、霧崎が大切だから優しくしてるだけだよ」


 悠真の言葉は真剣で、彼女の心に直接響いた。彼の何気ない一言が、彼女にとってどれほど大きな意味を持つのか――美咲はその瞬間、自分が本当に求めているものが何かを感じ始めた。


「……大切、って……」


 美咲はその言葉を反芻しながら、さらに顔を赤らめた。彼女は自分の中で抑え込んできた感情が、今まさに溢れ出しそうになるのを感じた。だが、それをすべてさらけ出すにはまだ勇気が足りなかった。


「ま、まあ、あんたがそう言うなら、そうなのかもしれないけど……」


 彼女はなんとかツンとした態度を保とうとしたが、もうその態度も限界に近づいていた。彼女の心は、悠真に向けて少しずつ素直になり始めていた。嫉妬と焦りに苦しみながらも、彼女は次第に自分の本当の気持ちに気づき始めていた。


「でも、他の子ばっかりじゃなくて、ちゃんと私のことも……見てよね」


 美咲は最後にそう言って、顔をそらした。彼女の言葉には、確かな素直さが込められていた。悠真もその変化を感じ取り、彼女との関係がこれからどう進んでいくのかを考えずにはいられなかった。


「もちろん。俺は霧崎のこと、ちゃんと見てるよ」


 悠真のその言葉に、美咲は少し驚いたように彼の顔を見つめた。彼の言葉が、彼女の心に何か大切なものを刻み込んだ瞬間だった。


「……ふん、そう。それなら、いいけど」


 美咲は少し照れくさそうにしながらも、その表情はどこか満足げだった。彼女はついに、自分の気持ちを少しだけ素直に表現することができたのだ。


 悠真はそんな美咲の姿を見て、彼女が自分にとって特別な存在であることを改めて感じた。そして、綾音との関係も考えながら、これからどうすれば二人の気持ちに応えられるのかを、真剣に考え始めていた。

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