第8話 転落の瞬間

 観客席から笑い声が漏れ出したその瞬間、三浦亮太の世界が一変した。


「え……なんだ?」


 彼は自分が何を言っているのか理解できずに一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。舞台の上で三浦はクライマックスの台詞を言い終えたところだった。彼の自信に満ちた演技と堂々とした立ち振る舞いは、これまで順調に進んでいたはずだ。それなのに、なぜ観客たちは笑っているのか――彼にはその理由が全く分からなかった。


「……どうして笑ってるんだ?」


 三浦の心の中で、焦りが徐々に広がり始めた。彼は観客席を見渡し、次々と広がる笑い声に困惑していた。クラスメイトや教師たち、さらには保護者たちまでもが、彼の演技に対して笑っているのだ。誰一人として彼を真剣に見ていない。まるで三浦が、舞台の上で何か滑稽なことをしているような反応だった。


「これ、台本通りだよな……?」


 三浦は台本に従って台詞を口にしたはずだった。彼はリハーサルを何度も繰り返し、完璧に覚えた台詞を自信を持って言った。だが、今その台詞が、観客の耳にはまるでおかしな冗談のように響いている。それがどうしてなのか、彼には理解できなかった。


「おかしい……こんなはずじゃない……」


 焦りが加速する。三浦は再び台詞を思い出しながら、続けようとした。しかし、言葉が口から出るたびに、観客の笑い声はますます大きくなっていく。


「な、なんだよ……!」


 三浦は喉が詰まったような声で、観客席に向かって言い返そうとしたが、それがさらに状況を悪化させた。笑い声は一層大きくなり、観客の何人かは彼を指差して笑い始める始末だ。舞台の上で自分がどれほど滑稽な存在に見えているのかが、ようやく実感として彼に降りかかってきた。


「どうしてこんなことに……」


 三浦の頭の中は混乱し、どうすればいいのか分からなくなっていた。舞台上の他の出演者たちは、彼を助けようとする素振りを見せず、ただ困惑したまま立ち尽くしていた。まるで自分たちもその場に取り残されているかのように、誰も動けないでいたのだ。クラスメイトたちの目には、驚きと戸惑いが浮かんでいたが、彼らもまた笑いをこらえることができずにいた。


「おい……誰か、助けてくれよ……」


 三浦は心の中で叫んだが、誰も彼を助けようとはしなかった。リーダーであり、クラスの中心であった彼が、今や完全に孤立していた。自分を取り巻いていた人気や注目は、あっという間に消え去り、代わりに彼を嘲笑する視線だけが降り注いでいる。


「何が起こってるんだ……」


 三浦の足元がぐらつき始めた。彼は自分が舞台の上で笑い者になっているという現実を、徐々に受け入れ始めていたが、それでも信じられなかった。今まで自信満々で周囲から尊敬を集めていた彼が、たった一つの台詞で、ここまで滑稽な存在に成り果てるとは夢にも思っていなかったのだ。


「俺が……こんな目に……」


 三浦の体が震え始めた。冷や汗が額を流れ、胸の中で恐怖と絶望が広がっていく。これまでの自信は、すべて粉々に砕け散っていた。観客の笑い声が頭の中でこだまする。自分が全校生徒の前で滑稽に笑われる――それがどれほどの屈辱であるか、三浦はようやく実感していた。


 観客の笑い声は止まらなかった。三浦がどれだけ必死に演技を続けようとしても、その度に観客たちは彼の動きや言葉に対して大笑いしていた。三浦は何度も台詞を繰り返し、取り繕おうとしたが、すべてが無駄だった。どんなに必死になろうとも、その努力はただ観客をさらに笑わせるだけだった。


「もう、終わりだ……」


 三浦はその場に立ち尽くし、観客席を呆然と見つめた。彼の視線は虚ろで、すでに敗北を受け入れているかのようだった。これまでの自分が築き上げてきたもの――人気、地位、名声、すべてが一瞬で崩れ去った瞬間だった。


 舞台の後ろでクラスメイトたちがこそこそと話している声が聞こえた。


「亮太、どうしたんだよ? なんであんな台詞になったんだ?」


「なんであんなことになっちゃったの? 彼、どうしちゃったんだろう……」


 彼らの声が三浦の耳に届いたが、それをどう受け止めることもできなかった。彼は舞台の上で孤立し、誰一人として助けてくれる者はいなかった。彼が信頼していたクラスメイトたちも、今では彼に距離を置くようにしている。もはや誰も彼の味方ではないのだ。


「もう……終わりだ……」


 三浦はようやくその事実を受け入れた。彼はゆっくりと視線を落とし、舞台の床を見つめた。その場に立ち尽くす彼の姿は、まさに「転落」の象徴そのものだった。彼が誇りに思っていた自信は、今や消え去り、残されたのは無力感と絶望だけだった。

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