第6話 台本

 教室を出て、廊下を歩く悠真の心には、ひたひたと満足感が広がっていた。三浦亮太が、自信満々で主役を務める舞台――それが、彼の転落の瞬間になるという確信が、悠真の心を静かに高揚させていた。リリスの力を使い、悠真が仕掛けた罠は完璧だった。明日、全校生徒の前で三浦は嘲笑の的になる。それを考えるたびに、彼の胸の奥に潜んでいた憤りや屈辱が、徐々に喜びへと変わっていくのを感じた。


「もう一度、確認しておくか……」


 悠真は思い立ち、舞台裏へと向かった。すでに放課後の校内は静けさを取り戻し、生徒たちも帰り始めていた。人の気配がない廊下を歩きながら、悠真は胸の高鳴りを抑えきれなかった。これまで、自分のような陰キャは、ただ周囲に流されるだけで、何もできない存在だと思っていた。だが今、自分には力がある。そして、明日はその力を存分に発揮し、自分を見下してきた者たちを跪かせる瞬間を迎えるのだ。


 舞台裏にたどり着くと、悠真は周囲を見回した。誰もいない。もうすべての準備は終わっており、クラスメイトたちも帰宅していた。静かなその場所に、悠真はゆっくりと足を踏み入れた。彼の足音が、舞台裏の狭い空間に響く。薄暗い照明の中、悠真は手にしていた三浦の台本を取り出した。


「さて、どこが変わったのか、もう一度確認しよう」


 彼は台本のページを開き、変更された部分を指でなぞるように確認していった。細かく修正された台詞は、見た目にはごく普通のものに見える。だが、その裏には巧妙な罠が仕込まれていた。三浦が明日、何も疑わずに口にするであろうその台詞が、観客にどれだけの滑稽さを与えるか――その効果は、明日、舞台の上で明らかになる。


「完璧だ……これで、間違いなく三浦は失墜する」


 悠真は小さく呟きながら、さらに細部を確認していった。リリスの力を使った台詞の書き換えは、人間の心理を巧みに利用したものだ。三浦が自信を持って演じれば演じるほど、その台詞は彼自身を滑稽に見せ、周囲からの嘲笑を引き寄せる。観客の誰もが、三浦の言葉を真剣に受け取ることはなく、逆に彼の失態を楽しむだろう。


「君、かなり準備に入念ね」


 ふいに、悠真の耳元にリリスの声が響いた。彼女の声は甘く、そして冷酷な響きを帯びていた。リリスは悠真の心の中に住まう存在として、常に彼を見守っている。彼女の存在は、悠真にとって力そのものであり、彼の復讐心を煽る源でもあった。


「確実に、失敗はしたくないからな」


 悠真は小声で答えた。彼は慎重だった。せっかく手に入れたこの力を、無駄にするわけにはいかない。リリスから与えられた力を使い、今までの自分を超えるためには、徹底した準備が必要だった。そして、その準備は今、最終段階に来ている。


「君の慎重さ、嫌いじゃないわ。けど、もう十分じゃない? 明日は、間違いなくあの男は滑稽な姿を晒すでしょう」


 リリスの声に、悠真は静かに頷いた。確かに、これ以上確認する必要はないかもしれない。だが、悠真は不安を払拭するためにも、もう一度すべてを確認したかった。今までの自分は、失敗ばかりの人生だった。だからこそ、今回だけは、失敗するわけにはいかなかったのだ。


「……これで、明日は決まりだ」


 悠真は再び台本を閉じ、胸の奥で確かな手応えを感じていた。舞台上で自信満々に演技をする三浦の姿を想像する。その姿が、観客たちの笑い声に包まれて崩れていく瞬間を思い描くだけで、悠真の心は満たされていく。今まで味わってきた屈辱や孤独が、一瞬で晴れるかのような感覚があった。


「俺は……もう、無力な存在じゃない」


 悠真は静かに呟いた。それは、自分自身への宣言でもあった。今までの自分は、周囲に流され、誰からも見向きもされない存在だった。だが、リリスの力を手に入れた今、彼は変わった。自分を笑い者にしてきた連中を、自分の手で逆転させ、復讐を果たすことができる。


 悠真は台本を元の場所に戻し、ゆっくりとその場を後にした。薄暗い舞台裏を静かに歩きながら、彼の心には確かな勝利の予感があった。リリスの声はもう聞こえず、彼は一人でその静かな廊下を進んでいく。明日、すべてが決まる――その瞬間を待つ鼓動が、彼の中で静かに響いていた。


 校舎を出ると、外はすでに夕暮れだった。西の空が赤く染まり、明日への期待と不安が入り混じったような不思議な空気が漂っている。悠真はその空を見上げ、深く息を吸った。自分の中にある「力」を感じながら、彼は決意を固めた。


「明日、すべてを終わらせる……そして、俺の復讐が始まる」


 悠真は静かにそう呟き、ゆっくりと校門を後にした。彼の心には、確かな手応えと共に、明日への期待が膨らんでいた。長い間、彼の心を支配してきた無力感や孤独感――それを乗り越えるための一歩を、悠真はすでに踏み出していた。明日、すべてが変わるのだ。

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