第2話 帰宅後の異変

 悠真が家に帰り着いたのは、夕方の少し過ぎた頃だった。空が薄暗くなり、部屋の窓から差し込む夕焼けの光が、彼の心の中の虚しさをさらに強調する。鞄を床に放り投げ、制服のままベッドに倒れ込んだ。


「……どうして、ああなるんだ」


 悠真は天井を見上げながら、今日の出来事を思い返していた。放課後の屋上で見た三浦と橘綾音の姿。そして、自分が間に入ろうとした瞬間の無力さ。それが頭の中で何度も再生される。綾音が怯えた表情を浮かべる中、何もできなかった自分が情けなく、悔しさが胸を締め付ける。


「もっと強かったら……俺がもっと何かできていたら……」


 何度も何度も、その思いが心に押し寄せてくる。しかし、現実は変わらない。自分はただの陰キャで、力もなければ、自信もない。そう考えると、自然と涙がこぼれた。涙が枕に落ちる音だけが、静かな部屋の中に響く。


「俺は、変わりたい……」


 ポツリと呟くように、その言葉が口をついて出た。しかし、それは誰に向けたものでもない。自分自身に対する無力な願いだ。誰かが助けてくれるわけでもなく、突然奇跡が起こるわけでもない――そう思っていた。


 だが、その瞬間、部屋の空気が変わった。


 まるで、時が止まったかのような静けさが部屋を包み込む。外の音は一切聞こえなくなり、窓の外の景色さえも動きを止めたように見えた。悠真はその異常に気づき、体を起こして辺りを見回す。


「……なんだ?」


 胸の奥で、何か不安が芽生える。しかし、その不安はすぐに別の感情に変わった。突然、部屋の中心に黒い霧が立ち込め、その中から人影が現れたのだ。


 悠真は驚いて息を呑んだ。目の前に立っていたのは、一人の美しい女性だった。彼女は長い黒髪を肩まで垂らし、透き通るような白い肌をしている。その瞳は深紅に輝き、まるで悠真の心の中まで見透かすかのように鋭く光っていた。


「初めまして、日向悠真」


 彼女の口元がゆっくりと動き、甘く低い声が部屋に響いた。悠真は混乱しながらも、その声に引き込まれるように耳を傾けた。どうして自分の名前を知っているのか、そして、なぜこんな状況になっているのか、全くわからなかった。


「君、悔しかったでしょう? 今日、あの場で何もできなかったこと。それとも、もう忘れてしまったかしら?」


 彼女の言葉は悠真の胸を鋭く刺した。確かに、今日の出来事は彼にとって大きな挫折だった。そして、それが頭から離れない。だが、なぜこの女性がそれを知っているのか、悠真には理解できなかった。


「……君は、誰なんだ?」


 悠真は怯えながらも、勇気を振り絞ってそう尋ねた。彼女は優雅に微笑み、その場に立ち尽くす悠真にゆっくりと近づいてきた。彼女の香りが空気中に漂い、悠真の鼻をくすぐる。何か異常な状況であることはわかっていたが、彼女の存在には奇妙な引力があった。


「私はリリス。君に力を与えるためにここに来たのよ」


「……力?」


 悠真はその言葉に驚きと疑念を抱いた。リリスは再び笑みを浮かべ、悠真の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳は悠真の奥底に眠る感情を引き出すかのように、鋭くも美しい輝きを放っている。


「そう、君が望むなら、君に力を授けるわ。君が手に入れたいもの――力、復讐、尊敬――何でも手に入る。君を苦しめる者たちに『ざまぁ』と言わせることだってね」


 リリスの言葉は、まるで悠真の心の中の闇を具現化したかのようだった。悠真の脳裏に浮かんだのは、三浦亮太の顔だった。いつも自分を見下し、バカにしてくる三浦。彼のような奴を見返してやりたい、そんな思いが悠真の胸に芽生え始めた。


「でも、そんなことが本当にできるのか……?」


 悠真は半信半疑だった。力が欲しい――それは確かだ。だが、現実的にはそんなことができるはずがないと思っていた。しかし、リリスは悠真の疑念を楽しむように微笑んだ。


「もちろん、できるわ。君にはその資格がある。君の心の中には、強い闇が眠っているから」


 悠真は彼女の言葉に一瞬怯んだ。闇? 自分の中にそんなものがあるのか? しかし、確かに心の奥底には、抑えきれない怒りや憎しみが渦巻いていた。普段は押し込めている感情。それを彼女は見透かしているようだった。


「……本当に、俺に力が……?」


「ええ、もちろん。さあ、私に誓いなさい。君がこの力を使い、君自身の運命を変えると誓うのよ」


 リリスは悠真の目を見つめ、優しく囁いた。その声は甘く、そして誘惑的だった。悠真の中で、次第に決意が固まり始めた。今のままでは何も変わらない。だが、この力を手に入れれば、三浦を――そして自分をバカにしてきたすべての人間を見返すことができるかもしれない。


「わかった……誓うよ。俺は、この力を手に入れて、すべてを変えてみせる」


 悠真がその言葉を口にした瞬間、リリスは満足そうに微笑んだ。そして、彼女はゆっくりと悠真に近づき、彼の胸に手を当てた。


「これでいいわ。さあ、受け取りなさい、君の力を」


 その瞬間、悠真の体が熱くなり、胸の奥から力が湧き上がってくる感覚が広がった。まるで自分の内側が燃え上がるかのような、強烈な力の波が全身を駆け巡る。息が詰まるような感覚の中で、悠真は確信した。


「これが……力……」


 リリスは満足そうに悠真を見つめ、再び微笑んだ。


「そう、これで君はもう無力じゃない。君は、この力を使って君の思うままに世界を変えられる。さあ、楽しみなさい、日向悠真。これからが君の本当の人生の始まりよ」


 リリスの声が次第に遠のく中、悠真は新たな力に満ちた自分を感じていた。そして彼の心には、明日への期待と復讐心が芽生え始めていた。

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