第3話

 目が覚めた。今日もアブソルに起こされることはなかった。

アジトの外を見ると、日はもう一番高い所を通っていた。

試しにアブソルの部屋のドアを開けてみる。やはり今日も目の前にあるベッドはもぬけの殻で、部屋の中にも見当たらない。もちろんアジトの仲間に聞いてもアブソルの居場所はわからなかった。


 姉を殺した犯人に復讐でもしに行ったのか、それとも死に怖気付いてアジトから逃げていったのかはわからない。セラータが死んでからここ数日、誰もアブソルの姿は見ていなかった。

だが、だからと言って探すつもりはなかった。いなくなったらなったで別に構わない。関係のないことだ。


 俺はいつものように狩りに出かけた。今日は王都に近い村で狩りをしよう。辺境の村と比べたら比較的豊かだからそれなりの物が盗れるだろう。

 村を見下ろせる丘の上で物色する。

中央の広場で元気に遊ぶ子供や井戸から水を汲み上げる女、畑仕事をする男の姿が見える。

ふと、渓谷の目の前にある家が目に止まった。目がチカチカするほど赤い家だ。あんな全面を赤くするほどならば、それなりに良いものを持っているだろう。


 人目の少ない道を通り、素早く移動し、赤い家の前。いつものように短剣を構え、その赤いドアを蹴破る。

家の中からふわっと甘い香りがした。

「おや、お客さんかね?はいはい、中に入って少し待っとくれ。」

年老いた男の声がした。隣の部屋から、赤い杖をついた老人が出てくる。

「今ちょうどアップルパイが焼けたんじゃ。良かったら一緒にお茶するかい?……盗賊さん?」

俺と目が合う。あの老人は襲いにきた俺を見て驚いたり恐れたりせずに、ただ、穏やかな目で見つめている。

こいつはきっと手強いやつだ。標的から一瞬でも目を離してはいけない。そして相手が一瞬でも隙を見せたらそこから襲う。

俺は手に持った短剣を構え直す。

 老人が一歩、俺に近づいた――

と思った次にはもう、俺は喉に杖を突かれて壁に貼り付けられていた。強い力が加わっているわけでもないのに身動きができない。

一瞬だった。あいつから目を離さなかったはずなのに。

「こんな物騒なもの持ってちゃいけないじゃないか。」

俺の持っていた短剣もいつの間にか奪われていた。ついでに切られた右腕の傷も、痛みを感じないほど綺麗で深い傷だった。

「おまえさん、なかなか手練れな盗賊じゃな。今まで何度か盗賊に襲われたことはあるが、わしのことを一目で手強そうだと判断したやつはおまえさんが初めてじゃよ。」

老人は杖を俺から離し、短剣の刃を折り使えなくする。身動きが取れるようになったが、反撃をしようとしても一切隙を見せようとしない。

「あぁ、その右腕、すまなかったな。ついつい切ってしまった。わしも流石に老いぼれたかな。今治療道具を持ってくるからそこの椅子に座っていなさい。」

老人は杖をつき、隣の部屋へ消えていく。

 はたりと血が垂れる音がする。

こんな深い傷を負ったのは初めてかもしれない。だが、その椅子には座りたくなかった。敵の言いなりになっているような気がして気に食わなかった。

「わしゃぁ、おまえさんがこのまま逃げても構わないが、それはおまえさんが困るじゃろ?なんて言ったってその実力じゃ。このまま怪我して帰ったら仲間になんて言われるかのぅ。」

赤い箱を持った老人が部屋から出てくる。

「いいから椅子に座りなさい。治療がしにくいじゃろ。」

老人は俺のパックリ割れた傷を慣れた手つきで縫い合わせ、包帯を丁寧に巻く。誰かに治療されるのは初めてだからなんだか気持ちが悪かった。

「よし。それじゃあ、アップルパイを持ってこよう。冷めないうちに二人で食べてしまおうか。」

老人は俺の治療が終わると、隣の部屋へ道具をしまいにいった。どこを見ても赤が目に入る家。座っている椅子でさえ赤色だった。


 少しするとふわりと甘い香りを感じ、大きなアップルパイを持った老人がきた。老人はナイフでアップルパイを切り分け、紅茶と共に俺に渡す。

それにしてもこの老人はなぜこんなことをするのだろう。何かの罠だろうか。このアップルパイに毒が仕込まれているとか?

「毒なんぞ仕込まれていないからな。安心してお食べ。早くしないと冷めてしまうよ。」

老人は俺の心を見透かしたかのように言う。老人も自分に切り分けたアップルパイを口に入れ、紅茶を上品に啜っている。

 俺もフォークをアップルパイに突き刺し、恐る恐る食べてみる。噛んだ瞬間サクッという音が鳴り、甘いバターの香りが鼻を抜ける。シロップの甘さとりんごの程よい酸味がとても良い。こんな美味しいものを食べたのは今までにない。

「はっはっはっ、おまえさんはとても美味しそうに食べてくれるな。焼きたてだから美味しいじゃろう?」


 しばらく俺はこのアップルパイを貪り食っていた。目の前にいる敵のことも忘れて。敵の老人もまた、優雅に紅茶を啜っている。

「そういえば自己紹介がまだだったね。わしはガロファーノじゃ。まあ、ガロンとでも呼んでくれ。お前さんは何て言う名前かい?」

「……俺は、ルイだ。」

「そうか、ルイか。いい名前じゃな。ところでルイよ、この後はどうするつもりかい?帰るにしてもその傷じゃあ仲間に顔向けできんじゃろ?」

確かにそうだ。こんな大きな傷じゃ俺の名に傷がつく。盗賊にとって名誉・名声はとても大事だ。それらのない盗賊には狩りの仕事はやってこない。つまり、死を意味する。

「良かったらじゃが、しばらくここに居ても構わんぞ。別に王都の方へ通報するつもりはない。」

ガロンが言う。考えてみればわざわざアジトに戻らなくていい。俺は他の仲間と違って別に盗賊に固執してるわけじゃない。他に行く当てがなかったから居ただけだ。しかも、今戻ったところでどうせ相棒はいない。

「……わかった。とりあえずこの傷が治るまで居座らせてもう。だが、怪しい行動を少しでもしたら出ていくからな。」

「そうか。助かったよ。こう見えてもわしはもう歳じゃ。若い人手が必要だったんじゃ。」

ガロンはしわくちゃの顔で微笑む。


全てが赤いこの部屋にアップルパイの甘い香りが漂う。

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