ゴミ捨て場の中から
夜宵の孫自慢――もとい谷川さん自慢を乗り越え、不思議と重い足を引きずりながら帰路についている。
おそらく夜宵のせいではないはずだ。
まさか自慢話があまりにも長くて、同じようなことを手を変え品を変え、数え切れないほど提供されたなんてありえない。
背負っている鞄にはほとんど何も入っていなかった。
それにもかかわらず、ひどく重い。
ストラップは細さゆえに肩へと深く入り込み、足を一歩踏み出すごとに体と一体化し、家に着く頃には俺はすっかり疲れ果てていた。
「ただいま」すら言わずに階段を登る。
自分が生まれたのをきっかけに建てた家だそうだが、やはり十五年も経つといろいろとガタが来るらしい。
底が抜けるのでは、と心配するほどではないけれども、多少耳障りな木の軋みを利きながら二階へたどり着いた。
ゆったりとした動きで扉を開き、床に鞄を放り投げる。
己すらも投げ捨てる気持ちで、ベッドに飛び込んだ。
「あぁ……」
体が沈み込んでいく。
意識すらも沈み込んでいく。
転生したことを自覚した直後は、よく疲れて寝落ちをしていたものだ。最近はめっきりなくなっていたのだが、今日はずいぶんと疲労が溜まっているらしい。
お風呂に入らなくちゃ、なんて気持ちも忘れてしまうほど早急に俺を支配した睡魔は、時計の短針が四を指し示すまで開放してくれなかった。
熱いシャワーを浴びて意識がスッキリした。
最高の目覚めと言ってもいいだろう。
現在は火照った体を冷ます目的で、かつ健康にもいいということで、朝の散歩を決行していた。
早朝と言うには早すぎる時間である。おかげで外には人があまりいない。時たまに見かけるのは犬を散歩しているご老人。
俺は元気よく挨拶をして――普段はとても不可能なのだが、朝の前向きな空気のせいだろうか。一切の躊躇がなかった――意気揚々と歩を進める。
夏休みまであと一ヶ月ほどあるが、昼間になると夏の気配が姿を見せることがある。大抵は体育の時間などに肌で感じるものだ。
しかし鳥すらも起きていない時間帯である。夏の気配なんてものは遥か遠く、代わりに暴走したバイクの排気音が街に響いていた。
ビル越しに反響するぐおんぐおんという音。
あるいは増幅されているのではないだろうか。向こうから訪れる音の波が、空気を揺らして目で見えるようだった。
しばらく散歩をしてそろそろ帰ろうか、という気持ちになった頃、道端に一人の少女が落ちているのに気がついた。
落ちているなんて表現は適当でないだろう。
より詳しくいえば――捨てられていた。
青みがかった黒髪はゴミに塗れており、昨日捨てられたものなのだろうか、バナナの皮が頬に乗っかっている。
髪を結い上げずに下げたスタイル――つまりダウンスタイルなわけだが、それが悪かった。髪束の先端がゴミ袋にダイレクトエントリーしている。
おそらく気を使って購入したのであろうバレッタも、見るも無惨な姿に。
しかも何が嫌かって知っている人間だった。
昨日出会った人である。
谷川詠さんだ。
彼女は非常に酒臭い空気を撒き散らしながら、赤ら顔で「えへへぇ」と無邪気に笑っている。
傍から見ている俺は決して笑えない。
何か世の中の知ってはいけない真実を知った気分だ。
助けるべきか、見捨てるべきか。
すでに捨てられているという事実からは目をそらして、しばしの思考にふける。
まず考えるべきは谷川さんが何らかの問題に巻き込まれた可能性だ。しかしこれはかなり薄いだろう。なぜなら怪我一つない。
一応知った仲なので彼女に近づき、自分の鼻をつまみながら起こそうとしてみる。
けれども谷川さんはうんともすんとも言わない。ひたすらに気持ちよさそうに寝息を立てるばかりだ。
うん、やはり問題には巻き込まれていないな。
『フィスト』の谷川詠は馬鹿であった。
おまけに呑兵衛である。
下戸なのに。最悪の組み合わせ。
酒癖が悪く酔ったらダル絡みし、周りが止めても飲酒をやめない根っからの酒好き。ハイスピードで肝臓を壊すルートを突っ切る彼の勇姿は、主人公である榛名千明すらも頷いてしまうほどのものだった。
いや全然感心できないが。
俺は正気を取り戻す。
いくら何でも知り合いをゴミ捨て場に放置していくのは忍びない。
もしかすると業者に回収されてしまうかもしれないし。
うんしょ、と谷川さんの体を持ち上げ――意外と重い――首筋に落ちた髪に鳥肌を立てる。ゴミがついた。
相変わらず頭の上にはバナナの皮があったのだろう。
数歩進むと天よりバナナが落ちてきた。
滑らないように慎重に回避する。
清々しい朝の気分は台無しになり、家に帰る頃には汗だくになっていた。せっかく熱いシャワーを浴びた意味がない。
早朝ゆえに親は起きておらず、異性を拾ってきたのも見咎められないのは幸運である。ゴミ捨て場から異性を拾ってくる時点で、まぁ幸運じゃないけれど。
いつまでもゴミを纏わせておくのもよくない。
風呂場まで彼女を運んだときに、はたと気づく。
「……どうするか」
大問題発生だ。
あまりに異性としての魅力が皆無だったもので忘れていたのだが、そういえば谷川さんは女性である。
それも現在の状況に目をつぶれば、かなりの美少女と表現される類の。
犬猫でも洗うくらいの感覚でいたのだが、そう認識してしまうとどうにも難しい。俺は唸った。
お風呂場の固い地面に寝転されたことで、ようやく目覚めたのだろうか。
「うぅん」と小さくあくびをした谷川さんがまぶたを開いた。
悪意はなくともさらってきた形である。勘違いされるとまずいと顔が青くなった。
「……ここはぁ?」
「俺の家です」
「俺って……あー、拓馬じゃぁん」
「た、谷川さん?」
彼女は子どものように純粋無垢な笑みで抱きついてくる。
美少女に抱きつかれたとは到底思えない感想が、心の底から自然と湧き上がってきた。
「私ねぇ、つらかったんだよ」
「………………どうしたんですか」
「拓馬に振られちゃったからさぁ、やけ酒してたの」
そしたら大して飲んでもいないのにさぁ、周りの子が逃げちゃった。谷川さんに付き合わされたら明日に響きますよって。ひどいよねぇ。
と彼女は慟哭する。
まったくもってそのとおり、と同意したいところである。
俺は誰だか知らないが
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