谷川詠はかく語りき
「お断りします」
「……なぜだ?」
不思議そうに谷川さんは首を傾げた。
この状況であれば肯定すると思うのも当然だろう。周りは不良たちが囲んでいて、殺気混じりの視線を向けてきている。
しかし俺は断ることが可能だと踏んでいた。
理由は『フィスト』における谷川詠の存在だ。
「一応、妙義派の人間なので」
「そうか……義理深いやつは嫌いじゃない」
彼女は腕を組むと背もたれに体重を預ける。
しばらく何かを考えたあと、
「だが私もお前を仲間に引き入れたい
そう言うと周りの不良たちを教室から立ち退かせる。
彼女たちは不満そうにしていたが、さすがにリーダーには逆らえないと見えて、大人しく出ていった。
俺と谷川さんのみが教室にいる。
表現の難しい緊張感が走った。
彼女は無言で喋ろうとしない。黒板の上に設置された時計の音が、痛いほどに鼓膜を揺らした。
「……私と赤城さんが同じ中学校出身だってことは知ってるか?」
「はい」
「それなら話が早い。私らは第一中学校出身でな。あの人のあとに番長になったのが自分なんだ。それなりに喧嘩にも自信があって、まぁブイブイ言わせたもんさ」
懐からタバコを取り出し、谷川さんは堂に入った動きで口に咥える。
その際に双眸で「吸っても大丈夫か?」と確認してきているようだった。
あまり得意ではないが、柴方高校で過ごした数ヶ月で多少は慣れてきた。小さな動きで首を縦に振り、彼女は火を付ける。
「ふぅ……でもな、問題があったんだよ」
「問題、ですか」
「谷川詠は親の七光りって言われてたんだ。本当の親じゃないぜ。先輩である赤城さんの金魚のフンをしてたから、第一中学校の番長になれたんだって、腹の立つ馬鹿げた噂さ」
彼女は天井に向かって煙を吐いた。細く吹き出されたそれは柔らかく形を変え、やがて掻き消える。
「見返したいだろ」
「……そうですね」
「赤城さんはお前と仲がいいって話を聞いたからな。出回ってない情報だが、私はあの人と関わりがあるから直接耳にした。そんなお前を仲間にすれば、ふふ、少なくとも男関係では勝利したことになる」
「はぁ」
本当に勝利したことになるのだろうか。
俺は疑問に思って仕方なかったのだが、谷川さんは楽しそうにしているので問題はないのだ。きっと。
『フィスト』における彼女は、早い話がおつむの弱い男である。
基本的に真っ直ぐな人物で嫌われ者ではない。ひたすらにおつむが弱い。頭さえよければ最強になれた男とすら呼ばれていた。
さきほど谷川さんの誘いを断ったときも怒らなかったように、素直な対応をしていれば機嫌を悪くすることはないのだ。
ただ夜宵の御威光によって番長の立場を得たと揶揄されるのだけは、どうにも我慢がならなかったらしい。
谷川さんは苛立たしげにタバコの煙を吸い込んだ。
「やっぱ考えを変えねェか?」
「変えたら変えたで、谷川さんは俺のことを嫌いになるでしょう」
「――違いねぇ!」
あっはは、私のことをよく理解してるじゃん。
と彼女は背中を叩いてくる。
普通に勢いが強かった。何度も迫りくる衝撃ごとに、肺のなかの空気が追い出される。
俺は苦笑しながら、「やめてください」と言葉遣いに気をつけて言った。
◇
部室棟の階段を登っている。老朽化が進んでいるのか、はたまた不良たちの扱いが悪いのか――おそらく両方なのだろう。足を一歩踏み出すたびに、床が抜けるのではないかと心配になった。
木の軋む心臓に悪い音。
それを伴奏にしながら、目的の教室にたどり着いた。
「よし」
覚悟を決めるために深呼吸をする。
肩を緩めて姿勢を正し、勢い盛んに扉を睨みつけ、
「あれ拓馬じゃん」
「……夜宵。奇遇だね」
「奇遇ってゆーか呼んだのあたしだし」
「そりゃそうだ」
帰ろうとしていたのだろうか。鞄を引っ提げた夜宵が目を丸くして立っていた。まるで久しぶりに飼い主に会った大型犬のように、俺の腕を取って教室に引き入れてくる。
もちろん失礼な比喩なので言葉にはしない。
しないが、彼女の様子はまさにそれだった。
ソファに腰を下ろした夜宵は俺をも隣に座らせる。
黒髪のツインテールが勢いに荒ぶり、鼻先をかすめていった。くすぐったくて我慢ならない。
「なんで遅れたの? また何かに巻き込まれた?」
「谷川詠さんという方に少し」
「あー、詠ね」
夜宵は腕を組んで鼻をふくらませた。
もしかすると機嫌を悪くするかな、と身構えていたのだが拍子抜けだ。それどころか彼女はどこか自慢げな雰囲気すら醸し出している。
「詠はいいやつだよ。ちょっと頭が弱いのが玉に瑕だケド、絶対に間違ったことは言わない。少なくとも詠の美学に反するコトは絶対にね」
「話していてそうなんだろうなと思った」
「やっぱり拓馬もわかった? いやぁそうなんだよ。詠はいいやつなんだよ。実はあたしの後輩でね、中学校の番長を継いだんだ」
何か見覚えがある言動だなぁと引っ掛かっていたのだが、しばらく考えていたら答えに気づいた。孫の自慢をする祖父母である。
縁側に座って茶でもすすりながら、来客に念押しするように自慢話をする。暖かい日差しが彼らを照らし、来客は「もう何度も聞きましたよ」と辟易してるところまで想像できた。
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