谷川さんは酔っていると子どもになる

 ひとまずの意識は取り戻したので、谷川さんには自分でお風呂に入ってもらうことにした。

 いや一人で入らせるのは本当に怖いのだが、異性と一緒にお風呂はさすがに。

 俺のようなあまりコミュニケーションを得意としない人間だけでなく、ほとんどの人が拒否するのではないだろうか。

 拒否するというか恥ずかしいというか。



 とにかく彼女には自分で入ってもらっている。

 しかし怖いのもたしかである。

 なので俺はくもりガラス越しに谷川さんの影を眺めながら、何かあったらすぐに助けられるようにしていた。

 壁に背を預けて天井に視線を移動させる。



「………………」



 くもりガラスなんて壁として機能しない。

 音はダイレクトにこちらへ伝わってくる。

 さきほどは相手があまりにもアレだったから反応しなかった。

 けれども、今となっては。



 俺は悶々とした感情を消すことに意識を集中させていた。

 まぶたを思い切り閉め、耳すらも塞ぐ。

 それでも入り込んでくるシャワーの音。

 自然と想像される谷川さんの裸体。



 壁に後頭部を打ち付けた。

 最低だ。まるで本当にそういうこと・・・・・・を目的として谷川さんを連れてこんだみたいではないか。

 


 頭をがりがりと掻きむしると、シャワーの音が止まっていることに気がついた。

 唐突に前触れもなく確認すらなく、くもりガラスの扉が開く。

 当然向こう側にいるのは谷川さんだ。

 シャワーを浴びるというのに服を着ているはずもなく、柔肌に雫を滴らせながら、そこに立っている。



「拓馬ぁ」

「ちょ、何してるんすか」

「……? シャワー浴び終わったよ」



 じゃあ終わったって言ってください。

 俺は壁を睨みつけながらため息をついた。

 まだ酔っているらしい。彼女の目はとろんとしている。おまけに呂律も怪しい。まさに子どものような表情だった。



「どうぞバスタオルです。着替えはろくな物がなかったので、母親のですけど。大きかったり小さかったりしても我慢してください」

「えぇ……私が着てたのでいいよぉ」

「あんなゴミだらけの着たら、シャワー浴びた意味ないですよ」

「そうかなぁ」



 谷川さんの衛生観念はどうなっているのだろうか。

 自分だったら洗ったとしても二度と着たくないと思うレベルなのだが、彼女は普通に袖を通そうとしていた。

 慌てて止めたが、ストップが入らなければ着ていたのだろう。

 これも酔っているせいだと信じたい。



 母親の服を投げるように渡して、俺は脱衣所から出ていく。

 朝の空気に水蒸気が混じっていた。あるいは己の頬から上がっているのかもしれない。恥ずかしくて仕方がなかった。



 廊下にずるずると腰を下ろす。



「はぁ……」



 朝から散々だ。

 気分良く散歩できたと思ったら、こんなことになるなんて。

 爽やかな気持ちはどこかへ行ってしまった。

 


 どうやら着替えが終わったようで、脱衣所の扉越しに谷川さんの柔らかい声が聞こえてくる。

 いいよぉ〜なんて若干信用できない声だ。

 少し疑いつつも扉を開けた。



「……谷川さん」

「うん?」

「いったいそれはどういうつもりですか」

「どういうつもり、って?」

「なんでそんな中途半端な格好・・・・・・・・・・しているんですか、って意味ですよ」



 谷川さんは服を着ていた。

 服を着ていたのだが、服を着ていなかった。

 少なくともこの格好で外に出たら逮捕されること間違いなしだ。

 猥褻物陳列罪。



 母親の服は花がらのとてもダサいものなのだが、どうにも谷川さんにとっては小さかったようで、腹部が露出している。

 ボタンも閉められていない。胸元が堂々と見えていた。

 しかし彼女には一切の羞恥心がない。

 威風堂々。そんな言葉が脳裏をよぎる。



 まったくもって褒めていないが。

 むしろ責めてすらいる。



 下半身は比較的まともだった。

 いったいどういうつもりで母親は購入したのか、絶対に知りたくないミニスカートを履いて――弁明するようだが、適当にクローゼットを漁ったらこれが最初に出てきたのだ――谷川さんは腕を組んでいる。



「私は最善を尽くした」

「尽くしたらもう少し、こう何とかなるものじゃないですか」

「酔っていたので手先が不器用になった」

「ははぁ酔っ払いって便利なんすね」



 俺は諦めた。

 諦めて自分のパーカーを手渡した。



「これは?」

「自分のです」

「着ろってこと?」

「さすがにその格好で放置するのは、誰の目がなくても心の中の俺が責めてくるんです」



 申し訳なさがすごい。

 谷川さんに酔った勢いで何かひどいことをしている気分になるのだ。

 悲しくなって思わずパーカーを自室から取ってきてしまった。

 


 いそいそとパーカーを着込んでいく谷川さん。

 普段自分が袖を通しているものを異性が――それも美少女がまとっているのを見ると、まるでイケナイことをしているようだった。

 頬を赤くして視線を別のところにやる。



「あー、いつまでも廊下に立っててもあれなんで、俺の部屋に行きましょう」

「襲われるってこと……?」

「襲いません」



 まだ酒はだいぶ残っているようだ。

 見当違いのことをのたまった彼女を連れて、階段を登っていく。

 軋む音で親が起きないように慎重に。



 無事に二階までたどり着き、谷川さんを自室に案内した。



「はぇ〜これが拓馬の部屋ね。私、男の子の部屋に来るのなんて初めて」

「俺も異性を招待するのは初めてですよ」

「じゃあ私が初めての相手だね」

「谷川さんって酔ったら下ネタ言うタイプなんですか? いつもは絶対に口にしませんよね、そんなこと。多分」

「そうかなぁ、私は結構好きだよ」



 そりゃ貞操逆転しているから、俺の元の世界の価値観に合わせてみれば、男子が下ネタを言っているのと同じなのだろう。

 だからといって前の世界でいうところの女子――つまり自分の前で発言するのもどうかと思うが。

 


 俺が友だちと猥談に興じていたときは全員男子だったから問題なかったが、女子が下ネタを口ずさんでいると、ものすごく雰囲気が固くなるものなのだな。

 一対一でもこうなのだから、おそらく多人数だともっとひどいのだろう。



 座るところもないので彼女に椅子を提供すると、自分はベッドに座った。

 ヘタれたスプリングの感触を臀部に感じながら口を開く。



「えぇと、それでなんでゴミ捨て場で寝てたんでしたっけ」

「さっきも言ったよ? やけ酒してたの」

「俺のせいですか」

「そうだね。拓馬に振られたせいだよ」

「うーん、すみません?」



 これで謝罪する必要はあるのだろうか。

 実に気になったが、とにかく謝る。

 谷川さんは「よきにはからえ」と見当外れなことを言った。

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