新しい秩序
柴方高校は変わった。以前は――夜宵が番長をしていたときは喧嘩こそあったものの、一応のルール的なものがあったように思えた。
しかし現在ではまったく違う。
トップが妙義湊という新しい存在になったことで、いたるところで秩序のない喧嘩が勃発するようになっていた。
俺が登校してからまだ一時間も経っていない。
この学校において遅刻だとか欠席だとかは当たり前だが、前世の常識もあって普通に登校しているのだ。
「オラァ!」
「んなクソォ!」
教室の後ろで殴り合いが発生中。
自分の席は最後列だから気まずい。
ひたすらに無視をするしかないのである。
ちらりと隣を盗み見てみると、バトルジャンキーである千明が口角を上げていた。
今すぐに喧嘩に突撃しそうな感じではない。
しかし、まるで餌を前にお預けされている肉食獣のようだ。いつ爆発するか不明で俺はこわごわと時間を過ごしていた。
のんびりとチャイムが鳴って数分後に入ってきた教師も、やはり柴方高校の人間である。季節の風物詩でも眺めるかのような態度で、「おぉやってんねぇ」とただ呟くばかり。
一切止めようとする気配はない。
これが柴方高校。
赤城夜宵がいなくなったことで生まれた、新秩序。
まぁ夜宵は別にいなくなったわけではないのだが、積極的に学校の風紀に介入しようとする感じではなくなった。
つまり
授業が終わり、俺はつかつかと湊のもとへと歩いていく。
「番長さん」
「……拓馬クンその呼び方するのやめてくれねェ? どーも私のポジションを狙ってるやつが何人もいるみたいでサ、殺気がめちゃくちゃ込められた視線が向けられてんのよ」
彼女は寒そうに体を震えさせた。
事実、湊には教室中から視線が向けられている。
皆一様に瞳をギラつかせ、確実に
けれども夜宵の喧嘩の誘いに乗ったのは彼女で、曲がりなりにも勝ってしまったのも彼女だ。責任を取るとまでは言わないが、せめて何らかの行動を起こすべきではないのだろうか。
……と、ここまでの俺の言動はすべて布石である。
漫画を読んでいればこの後の展開がある程度はわかるため、想像しうる最悪のものには運びたくない。だから湊の行動を早めようとしていたのだ。
俺たちの話を聞いていたのか、のったりと千明が歩いてきた。
「湊さんよォ」
「ぴえっ」
「さっきから聞いていればゴチャゴチャゴチャゴチャ言い訳ばかり。男を前にして女が口にする言葉かソレが?」
「でも……だって……」
「だってもヘチマもねェだろうよ!」
千明は湊の机を叩く。
そのあまりの力強さに、彼女の片手に握られていたバナナミルクが、ストローの先からわずかにこぼれた。
どうやら流出に気がついていない様子の千明は続ける。
「〝妙義派〟だとか言い出したのは湊だぜ。お前が始めたんだ、結果がどうであれ走り抜けろよな」
「わ、わかったよ……ってゆーか、千明そんなコト言っておいて目的は違うんだろ?」
あぁん? と千明は首を傾げた。
しかし何を意図されたかは理解しているようで、抑えきれない笑みが口の端に浮かんでいる。
「面倒くさがり屋の千明が
「ひどくね? 私はいつだって正義の味方だぜ」
「どの口が言うんだよどの口が。私の知ってるやつのなかで一番お前が喧嘩好きだぜ。正義とか倫理とかの真反対にいるのが千明だろ」
結構な言われようだ。
だが千明は納得しているのか、反論もしないで腕を組んでいる。
無言で湊の席を蹴っているけれど。
ガンガンと揺れる机を押さえながら、湊は茶髪を掻き上げた。
「だから実際のところ、千明がしたいのは
疲れたように彼女はため息をつく。
きっと本当に疲れているのだろう。普段から細部に気を使って――というほどではないが、湊はそこそこ容姿を整えているようだ。
しかし現在は寝癖もそのままに目の下には隈。水分補給も怠っているのか、唇はカサカサに乾燥している。
『フィスト』でもこんな展開があった。
小心者な妙義湊は、いざ番長になってみると重圧に弱ってしまう。
まぁその後に巻き込まれていく戦いとかで成長して、中盤頃には――強さとかは度外視して――立派な番長になっていた。
彼女の指摘を真正面から受けた千明は、ハッと鼻を鳴らしてバナナミルクを飲み干す。その際にこぼれていることに気が付いたようで、悲しそうな顔をしながらハンカチで拭いた。意外なマメさである。
「よーくわかってんじゃん。私ってば転校する前に結構な規模の抗争に参加してね、懲りて喧嘩はしないでおこうって決めてたんだけど。まぁ赤城さんとのアレがあったろ。それでどうにも血が蘇っちまったみたいなんだよ」
高ぶる戦闘欲求が漏れ出ているかのごとき姿。
湊の表現したとおり、まさに壊れたバイク。
ブレーキの効かない暴走機関車だ。
その圧を眼前に受けてしまった湊は、ただひたすらに首を縦に振るしかなかった。こちらも壊れた水飲み鳥のごとき姿である。
俺は哀愁を感じて、そっと目の端に浮かんだ涙を拭った。
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