知っている気がするが思い出せない
俺は正座をしていた。
あまりに綺麗な正座だと思う。
雰囲気のせいで姿勢を正さずにいられないのだ。
「………………」
「………………」
目の前には静かに座る
彼女はすっと湯呑みを机に置き「粗茶やけど」と一口呷った。
「なかなか趣味のいいお家で……」
「遠慮せんでええわ。〝魔境〟とか言いたいんやろ」
「いや」
図星である。
壁には
白染めのそれの一部は赤い。
何で汚れているのかを考えるのはやめた。
俺は気まずい空気を誤魔化すために湯呑みを手に取り、できる限り音を立てないように啜る。
「白根さんも
「せやで。拓馬クンもやろ」
「まぁどっちも制服着てるしね」
「しかも同学年やろ? 白根さんとか薄気味悪いから、尊でええわ」
彼女は嫌そうに舌を出した。
「……ほんま、助かったわ。うちの妹ケッコー方向音痴でな、よく迷子になるねん。その度に探しに行くんやけど、今日はあんまりにも見つからんかったから」
お礼だということで、白根さん――尊は大好物らしい
しかし目が悲しそうだった。
糸目だから虹彩は見えないが、なぜか寂しそうな印象を受ける。
謎の申し訳なさを感じながら一口。
のほほんとした空気の中、俺は些細な違和感に苛まれていた。
――白根尊。どこかで……。
数日前に読んだ新聞記事をふとした瞬間に思い出すような、ふわふわとした、それいでいて記憶に引っかかる感覚である。
『フィスト』の登場人物であっただろうか。
いや覚えていない。
自分は熱心な読者というほど読み込んではおらず、少し名前が紹介された程度のキャラクターでは、記憶に残っている可能性が低いだろう。
もしかすると学校ですれ違ったとか、そんなものかもしれない。
あるいは完全な勘違い。普通にありえる。
◇
帰っていく高群拓馬の背を見送って、白根尊は不思議な感慨に襲われていた。
それは高校生になってから初めて男子と話したせいかもしれない。
とにかく、尊の心中は暖かった。
「ええ人やったな……」
斜陽に一人呟く。
思い返すのは妹のことだ。
心配していた妹が、知らない男と――それに柴方高校の制服を
拓馬の影がなくなってから家に戻る。
しかし、誰もいないと思っていたそこに、表情を愉悦に歪めた一人の女の姿があった。
「げ、カーチャン」
「ついに尊にも春かいな」
「アンタみたいな男漁りばっかしてるやつと一緒にせんといて。拓馬クンは優のこと家まで連れてきてくれた恩人やで」
尊の母親はまた喧嘩でもしてきたのだろうか、白い特攻服を返り血で染め、けれども自らは無傷で笑う。
まるで子供の癇癪でも見たかのような反応に、尊の機嫌は悪くなった。
言葉も交わさず横を抜け、そのまま自分の部屋にまで行く。
勢いよく扉を閉めると制服も脱がずにベッドに倒れこんだ。
「ハァ…………」
足をばたばた。
尊は立派な乙女である。
――しかし、ただの乙女ではない。
スカートのポケットに突っ込んだままの携帯電話が鳴った。
彼女は表情を消し、通話に出る。
『白根さん、二年の斎藤を引き込みました』
「ええやん。このまま遠藤も頼むわ」
『わかりました!』
漫画では活躍を見せる前に赤城夜宵に倒され、たったの一コマで登場が終了したモブキャラ。
しかし拓馬の影響なのか、彼女は裏から支配を進め始めた。
すでに勢力は柴方高校の三分の一に迫る。
入学してから数ヶ月でそれだけの実力を備えたのは、やはり尊の才能によるものが大きいだろう。
現在の柴方高校の勢力図は三分割されており、妙義湊が最も弱く、白根尊が二番目に強かった。
にもかかわらず、尊の名前はほとんど知られていない。
彼女は知っていた。湊の後ろにいる夜宵が動けば、自分の勢力など簡単に壊滅させられるであろうことを。
ゆえに暗躍。
影から派閥を増やし、気がついたときには手遅れ状態にする。
尊は天井に手を伸ばして、ほのかに色づいた頬でため息をついた。
「拓馬クン、かぁ……」
そんな彼女も高群拓馬のことは知らなかった。
彼の印象は「妙義派の男」ではなく「妹を助けてくれた優しい男子。しかも同じ学校で同い年」という
拓馬の存在は知らず知らずのうちに、漫画の展開を大きく変えている。
本来ならば序盤で退場するモブが、こうして一大勢力として成り上がっているのだから。
「嫌われとらんよな……いやお家まで来てくれたんやから、少なくともソレはないはず。
尊は顔に枕を乗せて悶えた。
白い髪が乱れに乱れ、わずかに覗く赤い耳の先端が目立つ。
「もしかして付き合えたりするんやろか……」
想像する。
彼と手を繋いで歩いている姿を。
ニコリと笑いかけられ、そのまま流れるように――。
「だあああああああああああああ!!」
枕に叫んだ。
うちは、なんて恥ずかしいコトを!?
一人のイレギュラーによってもたらされた変化が、一体どのような結末を迎えるのか。それを知る者はまだ誰もいない。
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