妖怪へべれけハグ魔

 夜宵達がたむろする部室棟。

 そこで椅子を蹴飛ばして、俺は震えていた。

 理由は明白である。



 目前に迫る真っ白な手。

 もう片方の手に握りしめられた缶を眺めながら、ひたすらに逃げ続ける。



「どうして逃げるんですか」

「だって浅間さん酔っ払ってるじゃないですか!」

「私が? 失礼ですね」



 酒には強いのが自慢なんですよ。

 と浅間さんは豊満な胸を張った。

 誰が見ても「酔っている」と認める赤ら顔で。



 俺は彼女から逃げ続けながら、机の上に置いてある空き缶の数を数える。

 一、二、三、四、五……駄目だ数え切れない。



 どんなに酒が強かろうとも、くらりとはする数。

 現在進行系で空き缶を増やして、浅間さんは腕を広げた。



「さぁ私の下へダイブしてきてもいいですよ」

「抱きつき魔だこの人! 面倒くせェ!」



 普段はインテリ眼鏡らしく冷静なのに、一体何があったのか、耐えられないほど酒を飲んでいるらしい。

 もちろん浅間さんのような美人に抱きつかれるのは嬉しいのだが、どうも力加減とかできなさそうで怖いのだ。



「…………」



 床に転がっている鳴神さん――あきらを眺める。

 彼女はすでに死体になっていた。

 先に浅間さんに抱きつかれたのである。

 サバ折りになって儚くなったのだ。



 唯一助けになれそうな夜宵は、ソファに寝転がっている。

 漫画を胸の上において、定期的に上下する。

 おそらく寝ていた。



 つまり万事休すということで、俺は目をつぶる。

 一秒経って、二秒経って、十秒経って――。

 しかし攻撃がない。



「…………?」

「すぅ、すぅ」



 違和感を持ってまぶたを開くと、浅間さんは床に転がって、存外に可愛らしい寝顔を晒していた。

 彼女の寝るときの癖なのだろうか。眼鏡はしっかりと外され、傍らにそっと置いてある。



 そうして俺が九死に一生を得た、と胸をなでおろしていたところ、ぬるりと影が大きくなって軽く手を上げた。



「台風のような人ッスね」



 黄泉の国から戻ってきた命は、額の汗を拭って立ち上がる。

 どうやら死んだふりをしていたようだ。

 あれ、それって俺を見捨てたってことだよな。



「……」

「……なんスか、その目は」

「薄情者だなぁって」

「いやいやボクほど情に厚い人間はそういないッスね」



 彼女はそう言って肩を竦めた。



「それにしても、浅間さんがこんなになるまで酒に溺れるなんて、一体何があったんですか」

「おや、知りたいっすか」

「被害を受けましたからね」

「そりゃそうッス」



 命はしばらく宙に視線を漂わせ、やがて夜宵に向ける。

 気が付くと漫画本は顔からズレており、歪んだ表情がむき出しになっていた。



「端的に説明すると赤城さんのせいッス」

「夜宵の?」

「はい。赤城さん〝あんな〟見た目じゃないッスか」

「あんな……って、まぁ、そうっすね」



 あんな。

 要するにロリロリしいということだろう。



「昨日単車バイク転がしてたら、警察マッポに捕まっちゃって」

「うわぁ」

「見た目の問題でしょうね。中学生くらいは見逃すケド、さすがに小学生は駄目だぞ、みたいな」



 しかも免許持ってなかったから完全にアウトなんスよね。

 と命は沈鬱そうにため息をついた。



「ボク達は暴走族じゃないんで、ケツ持ち――まァ最後尾で陽動役をする人とかいないじゃないッスか」

「はい」

「んで逃げ切れなくて、浅間さんの単車が持ってかれちゃったんスよ」

「何で浅間さんのが?」

「赤城さんが乗ってからッス」



 ――話によると、どうも夜宵のバイクは修理に出していたらしく、代わりに浅間さんのに二人乗りしていたそうだ。

 夜宵を前にして。



 そこはリーダーとしてのプライド的なものだったのだろうか。

 あるいは単純に自分が運転したかったのか。

 運が悪いのはその現場を目撃されてしまったこと。

 浅間さんの愛車は結構な思い入れがあったようで、普段は冷静沈着な彼女が酒に溺れてしまうほど、ショックを受けているのだとか。



 俺は先程の痴態に納得して、命と目を見合わせ嘆息した。



「何とかできないかねぇ」

「何とかできないッスかねぇ」



 意識するのはソファの上だ。

 すでに起きているだろう夜宵。

 彼女はぴくぴくと眉毛を動かし、やがて跳ね起きた。



「――だぁーっ! 本気マジで申し訳ないよー!!」

「どうするんスか赤城さん」

「あたしが取り戻す!」



 しっかりと両足で立ち、夜宵は胸を張る。



「よし! マッポの保管所行くぞっ!」



 とどのつまり、襲撃宣言だった。

 俺と命は再び視線を合わせる。

 両者考えていることは同じのようだ。



「まぁ」

「こーゆーの、不良っぽいッスね?」



 流れに身を任せて立ち上がろうとしたとき、はたと気付いた。



 ……あれ、ちょっと待て。

 何か俺ヤンキーに俗されていないか?

 以前だったら警察署に殴り込むとか、陰キャの小心者な自分にはまったく思いもよらなかったはず。



 それが今では雰囲気に流され、普通に実行しようとしているではないか。

 まずい。このままでは本当に不良になってしまう。



 突然立ち止まった俺を「どうしたんスか? 行くッスよ」と命は引きずる。

 女子に力負けする自分って……と肩を落としそうになりながらも、何とかしてこの状況から抜け出そうと決意を新たにしたのであった。



 俺は絶対に不良には染まらないぞ――!

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