主人公くんちゃんが転校してきたぞ
ここ一ヶ月で発覚したことだが、どうも貞操逆転とはいえ男女比までは変わっていないようだ。
街なかを歩けば普通に男性がいるし、男女の振る舞いが過剰に強調されているわけでもない。
ただ、柴方高校においては、残念ながらその傾向があった。
「ふーっ……」
俺は何とか逃げてきて、背中に体重を預ける。
私立柴方高校は屈指のヤンキー校ということもあり、男女比が異常に狂っている。右を見ても左を見ても女子、女子、女子。
一瞬ハーレムとか夢みたいなことを考えるかもしれない。
けれども不可能だ。
なぜなら不良だから。
「危なかった……トイレに連れ込まれるところだった……」
さっきもトイレの前を通ったら、ぐわっと腕が伸びてきた。
咄嗟に逃げ出さなければ酷い目にあっていただろう。
これが日常茶飯事なんて泣きそう。
肩は重いし足は棒のようだが、授業はある。
俺は立ち上がって、教室を目指して歩き出した。
◇
「席つけー転校生を紹介すっぞー」
担任のやる気なさげな声が響く。
教室内にはどよめきが満ちた。
「こんな時期に転校生なんて、タイミングわりぃーね」
「そうだね……なんで自分の席に戻らないの?」
「拓馬クンが襲われたら心配っしょ」
「過保護が過ぎる」
湊は俺の背もたれに肘をついて、「にしし」と首を傾げる。
コンビニでの例の一件以降、なぜか彼女とはよく関わるようになった。
こちらのことをチョロい男だと思っているのかもしれない。
そんな騒がしさも扉が開くと静まる。
すらりとした足取りに淀みはない。
「
俺は息を呑む。
知っている名前だったからだ。
――榛名千明。
湊と同様、『フィスト』の登場人物。
正真正銘の、この世界の主人公。
今は女の子だが。
「じゃあ榛名は空いてる席に座ってくれ」
「ウス」
担任の命令に従って、彼女は歩を進める。
やがて椅子を引いたのは俺の隣だった。
偶然にも、空席はここだけなのである。
「私は榛名千明。アンタは?」
「……
「そ。拓馬クンよろしく」
千明は澄ました顔で黒板を見つめる。
それを思い切り睨みつける視線があったことに、俺は苦笑しながら気付いていた。
あぁ、本当に物語が始まるんだなぁ、なんて。
遅すぎる納得をしていた。
裏庭に二人の不良が立っている。
「なんで呼び出したワケ?」
「オイオイオイ、
湊は千明の眼前に指を突きつけた。
「なァに拓馬クンに色目使ってんだゴラァ!!」
「ハァ?」
千明は顔を歪める。
一切の覚えがなさそうだ。
俺は二人の様子を窓から眺めていた。
さすがに呼び出しの原因である。見届けないわけにはいかない。
「目ェ腐ってんの? いつ私が色目なんて使ったんだよ」
スカートのポケットに手を突っ込んで、千明は一切引かなかった。風に黒髪が舞う。まるで決闘が始まる前のような雰囲気だ。
対する湊は、
「全身から漂ってきてんだよなァ! 『あっ拓馬クン格好良すぎいっぱいちゅき♡』ってゆーメスの匂いがサァ!!」
「私とアンタって初対面だよな? そんな失礼なこと言われるようなことしたか?」
空気がコケた。
窓枠に肘を突いていた俺も顎が滑る。
『フィスト』において榛名千明と妙義湊は初対面で喧嘩をした。
理由なんてしょうもないもので、やる気のなさそうな千明が弱そうに見えたから喧嘩を売っただけだ。
まぁ普通に湊は負けるけど、ここから二人の関係が始まる。
読者から金魚とそのフン、あるいはクジラとコバンザメだとか様々な呼ばれ方をする二人の関係が。
「メンドクセーこと言ってないでさ、どうせやるんだろ喧嘩。さっさと始めよーぜ」
千明はグッグッと腕を伸ばす。
準備は万全のようだ。
「え? ……あぁうん、やってやんよ!」
まさか本当に買われるとは思っていなかった様子の湊は――喧嘩をふっかけたのは彼女なんだが――、慌てて肩を回した。
二人の間に緊張が走る。
遠くから眺めているだけの俺にまで、それが伝わってきた。
思わず固唾をのんでしまう。
「……しぃッ!」
「うぉっ!?」
千明の右ストレート。
数メートルあった距離は消えた。
たった数歩の踏み込みで詰めたのだ。
反射的に滑り込ませた腕でガードした湊は、続けて打ち込まれた左フックに気付けない。もろに入る。
「……ごほっ、ごほっ!」
彼女は崩れ落ちた。
相手の千明もぽかんとして、自分の拳を見つめている。
「え? 私の攻撃そんな強かった?」
急いで校舎から出て、俺はその場に走った。
拍子抜けな空気が流れている中、
「そこまで! 勝者は榛名千明!」
「拓馬クン? どうしてここに」
「窓から喧嘩してるのが見えてさ」
訝しんでいる千明に笑みを向けて、しかし思い出して湊に駆け寄る。
「大丈夫?」
「……あぁ、何とか。ハンマーで殴られたみたいな威力だった」
「えジャブなんだけど……」
「千明は静かに。湊のメンタルがやられる」
不服申立てを黙殺しつつ、グロッキーな彼女を担いだ。
普段の言動からは想像もできないほど軽い。
「弱っちいのに喧嘩なんてするから」
「拓馬クンを……守らなきゃって……」
「いや何もしてないのにガン付けられたのこっちなんだケド。被害者どっちかってーと私じゃね?」
「千明は静かに。湊のメンタルがやられる」
再度の不服申立てを黙殺する。
千明は不満そうに頬を膨らませた。
不良漫画における清涼剤。
あるいはギャグパート担当。
妙義湊はそんな存在なのだ。
だから喧嘩をよく売る割にはすぐに負けるし、それで問題を起こして千明に泣きついたりする、情けない男だった。
でも俺は結構そんな湊が好きなのである。
「これに懲りたら喧嘩売るのやめようね」
「前向きに検討する……」
「絶対これ善処しないやつだぞ」
そりゃあそうだろう。
だって湊だから。
何とも言えない空気の中、二人で介護をする。
千明は微妙な表情をしていた。
微妙な
こういう優しいところは変わっていないようだ。
見た目はまったく違うけど。
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