第16話 意識


 夢は謙信の部屋の引き戸を二回軽快に叩いた。


 やっぱし、二回だったか。


 昨日の俺、正解っ、と一人で《戦国マナー》の答え合わせをしていると、夢があれ、と声を上げる。


「·····父上?····いらっしゃいますか?」


「···謙信さんいないの?」


 一歩前に出ていた夢は俺の方に振り向き、いやそんな筈は、と困り顔をしている。····いや〜、その困り顔も可愛くて俺も困っちゃう〜。


 俺はまさかな、と思い一歩前に出て引き戸に耳を当てる。


 ごく僅かではあるが音が聞こえる。


「······寝息が聞こえる·····」


「······本当ですね·····」


 夢も俺のすぐ横で同じ体勢になって目を瞑って耳を引き戸に当てる。·····うつくしゅうお顔がすぐ近くにっ!


「····寝かしておこうか?」


「····そうですね」


 ヒソヒソと話し、目が合うと二人同時にふふふ、と笑った。


 こんな小さな事がとても幸せに感じる。心が暖まるような感覚を得る。


「····豆大福どうしようか?」


「ここに置いていきますか?」


 『ヒソヒソ会談』の結果、豆大福は置いていかれる事になった。悲しいけど、連れていけない·····元気でね。


 いや、食われるのだから元気もクソもないか。ん?···食われるから結局は『クソ』になるのか·····と俺が生物の体の構造を脳内で展開していると、夢がさっきより少し大きな声で笑った。


「本当に春喜様は·····表情が豊かなのですね」


 ······俺ってそんなに顔に出るの?


 俺は豆大福が入っている紙袋を謙信の部屋の前に置く。ここなら確実に気づくだろう。


「さて···それじゃあ二人でお昼にしようか?」


「そうですね····二人ですし私の部屋で食べましょうか」


 謙信には悪いが二人だけのランチに浮かれてしまう。しかも····。


「ちなみにお昼ご飯って·····どなたがお作りに?」


「?···もちろん私が作りますよ」


 当然です、と笑顏で答える夢に俺は浮かれゲージがMaxになっているのがわかった。もといゲージを振り切っていた。今まで生きて良かった。····いや、転移してきて本当に良かった。


 昼ご飯は誰が作るのかはしていたため、朝ご飯は軽く済ませていた。


 さっきからお腹が鳴りまくっている。


「····お腹空いたから早速お願いしたいです····」


「はいっ。喜んでっ」


 やる気に満ち溢れている夢に続いて俺も階段を上がる。


「····そういえば、春喜様って食べれない物ありますか?」


「いや、特に好き嫌いはないよ」


 夢が作ったものなら何でも食べられる気がする。それに、昨日夢が作った朝食が完璧すぎて不安な気持ちは一切ない。


「それなら良かったです。実はもう何作るのか決めてたので····」


「え···そうなの?···何作ってくれるの?」


「それは····内緒です」


 先を行く夢は体を反転させて、華奢な体の前で、腕でバツをつくり、一昨日の夜に見せてくれた少し意地悪の顔になった。


 ·····そのお姿、お顔······ずるいっす。


 俺が一人感動していると、夢はくるりと反転して軽快に階段を登っていく。


 俺は夢のテンションが上がっているのを感じ取れていた。

 顔によく気持ちや考えている事が表れると言われる俺に言われたくは無いことかもしれないが、夢もまた分かりやすい部類だと思っている。つまり同類であると言える。


 戦国こっちでは兄妹ってことになっているのだ。本当なのか疑われる時に似ているところは多い方がいいだろう。

 ただでさえ顔が似てないというがあるのだ·····。


 他に似ているところはないのだろうかと探りながら、夢にごく普通の疑問を投げかける。


「そういや料理ってどうやって学んだの?」


 夢は元々あった笑みに少しだけ照れた表情を付け足した。


「····料理の本ですかね····春吉様が持ってきてくれて····漢字が読めない私のために、ひらがなのルビを本に書き込んでくれました···」


 感謝しています、と夢は笑顔で親父にお礼を言っている。


「····侍女の方とかからは?」


「ほぼありませんね。一緒に住んでいたのは幼い頃までですし」


「じゃあ───」


 ───その先の言葉は発せられなかった。


 俺は今言おうとしていた言葉を寸前でやめた。


「····どうしたのですか?」


「いや···何でもないよっ!」


 無理やり明るい声を出したせいか、少し声が裏返ってしまった。


 そうですか、と再び階段を登る夢に俺は黙ってついて行く。


 寸前で止めたセリフ。それは····。


 ───お母さんからは教わってないの?


「·····」


 いきなり黙って静かになると夢に心配されるかもしれないと思った。だが、夢は特に気にしてない様に見えたので、他人と話す事で使う思考を考察へ全力投入する。


 俺の考えでは、少なくとも夢の母親は戦国こっちには


 そしてもう一つが、現代あっちで生きていても、何か事情があることは間違いないだろう。


 でなければ、『最低でも現代あっちでも一人で生きていけるように』など謙信は言わない。


 考えたくはないのだが····もし、夢が幼い頃に母親を亡くしているのなら·······俺と境遇がになる。


 こんな俺の想像なんて外れてくれと願う反面、そうとしか思えないヒントが出揃ってくる。


 では何故、寸前で止めたのか·····


 答えはすぐに出た。


 それは夢の笑顔が消えるのが嫌だったからだ。


 せっかく好きな人である俺に、料理を振る舞うのだ。楽しい気分でいさせてあげたい。


 それは俺に関わる事以外でもそうだ。笑って過ごして欲しい。今日に限らず、毎日、何時でも。


 ───そう。俺は夢に笑っていて欲しいのだ。


 すると、ドクッと心臓の跳ねる音がした。


 いつも夢の声を聞いてなる感覚とはまた違う。


 この気持ちは····。


 最後の段を登りきり、外が一望できる廊下に出る。


 夢は少し離れてしまった俺を待っていた。


 正午過ぎの活発な太陽がやる気を出しており、雲という遮蔽物も無い事も相まって、日が当たる廊下の床はとても暖かくなっていた。


 遠くに目を向けると、高くそびえ立つ山々が今日も堂々としており、自然の力強さを見せつけられている気がする。


 澄み渡った空に一匹のとんびの鳴き声が響き渡る。いつもは動物の鳴き声を聞いても何も思わないのだが、この時だけは何故か寂しそうな声に聞こえた·····。

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