第13話 お隣さん


 玄関のドアがガチャッと開く。


「春喜君、いらっしゃい。梅花、おかえり」


「お邪魔します。まきさん」


「ただいま〜。お母さん、急にごめんね····大丈夫だった?」


 手を合わせて母親に謝る梅花を見て、俺もペコリと頭を下げる。


「すいません···急に夕飯をいただく事になって···」


「いいのよ〜。三人分も四人分もそんなに変わらないから」


 巻さんは屈託のない笑顔で答える。


 巻さんは親父と同い年なのだが、三十代後半って言われても不思議ではない容姿をしている。梅花に遺伝したのだろう····中性的な顔立ちで、それでいて柔らかく、人当たりの良さそうな印象を与える若干のタレ目·····これもうめかに遺伝したとされる····肩まで伸びている少し薄い茶髪がとても似合ってらっしゃる····。


 性格は梅花とは似てないよな、と俺が思っていると、あっ、そうそうと、巻さんは自分にとって大変ありがたい情報をくれた。


「今日·····潤君、帰り遅くなるって言ってたから、安心してね」


「そ、そうですか····」


 俺は心の中で胸をなでおろす。『潤君』····本名、潤一郎は梅花の父親である。

 

 実際、梅の家に行くことで一番の懸念点は潤一郎さんだったのだ。とても俺に対して当たりが強い····。いつもボコボコに言ってくるもんな····。あれはメンタルがやれらる····。


「さあ、入って入って」


 巻さんは笑顔で家に入るように促す。


「お邪魔します」


 二回目の『お邪魔します』をして玄関に入ると、既にいい匂いが立ち込めていた。あっ····この匂い····カレーかな?


「この匂いっ、カレーだね!」


「そうよ〜。今日はビーフカレーにしてみました〜」


「いえーい!うーし!うーし!うーし!」


 牛を連呼している梅花と一緒に先ずは手洗い、うがいをするために洗面所に向かう。先に玄関に入ったのが自分であったため、梅花より前を俺が歩いている。俺が先頭で歩いていけるのは、この家の間取りを把握しているからだ。何度も来たことがあるので迷うことはない。


 二人同時に入っても余裕のある洗面所に入る。俺は後から入ってきた梅花に先を譲る。


「·····梅、先いいよ」


「あんがと」


 牛連呼女うめかは礼を言って、先に手洗いとうがいをした。俺は壁にもたれ掛かって待つ。俺を待たせないように配慮しているのだろうか····手洗い、うがいを高速で終わらせる。


「ふぅ~、はい、ハル」


「お、さんきゅー」


 梅花から今使コップを受け取った。


 俺は一旦コップを置き、手洗いをした。暑い中歩いてきたから、身体が火照ほてっている。冷たい水が気持ちいい。

 手を洗い終わって先程受け取ったコップに水を入れ、口に水を含む。


「ハルってさ···」


「ガラガラガラガ」


 うがい中に話しかけられても困るんだが····。水を吐き出した後で聞き返す。


「····どした?」


「いや·····何でもない」


 何か言いたそうな梅花は、さてとカレーだっカレーだ、と言って洗面所から出た。


 続いて洗面所を出た俺は、梅花が何を言おうとしたのか引っかかったが、キッチンから放たれる圧倒的なカレーの匂いに思考を消された。


 匂いに吸い込まれるように俺はリビングへ入っていく。部屋には入ってすぐ正面に食事用のテーブルと椅子が四つ、その近くにカウンター付きキッチンがあり、奥には水色のソファーと低いテーブル、テレビがある。青色をベースに整えられた空間に居心地の良さを感じる。


 早々にテーブルの椅子に座った梅花は、オタマで鍋の中身のカレーをクルクル回している巻さんに向って鳴く。


「お母さんっ!お腹減ったから早く食べよう!」


「そうね〜。まだ少し早い時間だけど、春喜君はお腹減ってる?」


「そうですね·········俺も····お腹空いています」


 ·····正直なところまだお腹は空いていない。あのお化けパフェを食べてから三時間も経っていないのだから····。けど、断れなかったのは····梅花が俺を睨んできたからだ。·····はい····わかっております。 


 俺はごく自然に梅花の隣に座った。考えて座ったというよりは、そこが俺の席であるかのように。座ってすぐに巻さんは俺に尋ねた。


「春喜君、どれくらい食べる?···普通盛り?大盛り?」


「えっと、普通盛りでお願いします」


 おっけーっと、巻さんはカレー皿にご飯とカレーをよそってくれた。続けて梅花の分であろうカレー皿にご飯とカレーをよそい始める。すると、自分には聞いてくれないのが気に食わなかったのか、梅花はブーブー言っている。


「お母さん。なんでウチには聞いてくれないの?」


「だってどうせ大盛りでしょ?」


 へへっ良くわかってんじゃん、と途端に上機嫌になった梅花を横目に俺は流石だなと関心する。···いつも思うのだが、巻さんは娘の機嫌のとり方が上手い。伊達にこの大食おおぐらいの母親はやっていない。


「はいっ。おまちどうさま」


「待ってました〜!」


 巻さんは俺と梅花の分のカレーを持ってきてくれた。テーブルに二人分のカレー皿を置いたら、すぐにまたキッチンへ向かおうとした。


「水も持ってくるね」


「あ、すいませんっ」


 何から何までお世話になるのはどうかと思ったので、少しは手伝おう、と立ち上がりかけた俺に、巻さんは右手で制した。


 巻さんは『梅花の相手をしてあげて』と言わんばかりの顔をしてくる。かしこまりましたっ。


 素直に従った俺は、もう我慢出来ないでいる隣に座る牛····じゃなかった梅花に対応してあげる。


「····巻さんが座るまで待ちなさい」


「も〜〜〜···早く食べたいよ〜」


 やっぱりこいつは牛なんじゃないかと思った俺に、梅花は至近距離で引き続き『も〜も〜』と鳴く。


 牛と人間のはざまに立つ我が子を相手にする俺の気持ちを察したのか····巻さんは苦笑いで俺に救いの手を差し伸べる。


「···先に食べていいわよ。···春喜君も遠慮しないで食べて」


「やった〜!いただきます〜!」


「····じゃあお言葉に甘えて···」


 俺はしっかり合掌して『いただきます』と言った。隣のうめかさんを見ると、とても美味しそうに·····そのうえバクバクとビーフカレーを口にかきこんでいた。


 共食いになるんじゃないかと思考していると、巻さんは自分の分のカレーを持ってきて、梅花の前の席に座る。


「えっ、お母さん、それしか食べないの?」


「うん。夏バテ気味でね」


 え〜それなら尚更しっかり食べないとじゃん、と心配する梅花を他所に俺もカレーに口をつける。


「···うんっ!美味しいです!」


「ありがとう、春喜君。そういってもらえると作った甲斐があるわ〜」


「おかわりっ!」


 梅花は元気におかわりを要求している。····俺はまだ一口しか食べてないんですけど。


 はいはい、と言いカレー皿を受け取った巻さんはこの子ったら、と半分呆れながらおかわりをよそいに行く。


「···あのな、もっとよく噛んで食べろよな」


「何よ····ジジくさいこと言ってないでお母さんのカレーを堪能しなさいよっ!」


「····堪能しなさいよってことで良く噛めっていってんのっ!」


 長時間煮込んだと思われる柔らかい牛肉が、飲み物のように噛まずに飲まれては不憫だろうが····。


「は?何いってんの?····ウチはね、胃袋でも味わえるのよ!胃袋でも!わかる!?」


「わかんねーよ!」


 悲報。幼馴染みは人間でも牛でもないことが判明。脳内でレスポンスが絶対に来ることのない『急募、胃で味わえる動物はいるのか』を脳内掲示板に貼り出す。


 俺がくだらない事を考えていると、梅花は、これだからハルはカタブツだ、とか、学校でボッチなんだよ、と罵られる。それに俺が反論していると、梅花のおかわりを持ってきた巻さんが嬉しそうに笑いかける。


「本当に二人は仲がいいね〜。学校でもこうやってよく話すの?」


「へっ····ボッチで可哀想だから相手してあげてるだけです〜!」


「ボッチじゃねーわ!友達いるわ!」


「いたって一人や二人でしょ!?」


「あのなぁー!友達ってのは数じゃないの!?わかる!?」


 二人してギャーギャー騒いでいると、微笑みを崩さずに巻さんは持ってきた福神漬を入れた皿をテーブルに置きながら、何か懐かしいような顔付きで俺と梅花を交互に見る。


「···本当に昔の私達を見ているみたいで楽しいわ〜」


 ····何を隠そう梅花の両親───巻さんと潤一郎さんは、俺の親父となのだ。 


 だからこうしてただの以上の交流がある。····ただのお隣さんだったら夕ご飯を一緒に食べることはないだろう。その点はとても感謝しているし、素直に嬉しい。

 ···特に巻さんは幼い頃に母親を亡くした自分にとって、祖母の次に自分を可愛がってくれるみたいな存在だ。この人には数え切れない恩がある。


 一人懐かしい気持ちになっているに、先程から形勢が悪く、押し切られそうでピンチである俺は助け舟を出す。梅花を止めて頂きたい、と俺は目でチラチラと訴えるのだが·····駄目そうだな。····巻さんは微笑んで俺達を見守っているだけだった。


 諦めた俺はしばらくの間、梅花のサンドバッグに徹した。

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