第8話 正直に
夢の前髪が味噌汁につきそうになっている。
「えっ!?いきなりどうしたの!?」
慌てふためく俺は何事かと叫ぶ。夢は相変わらず前髪が味噌汁にダイブしてしまいそうな体制で固まっている。
───まさか
毒を盛られた····とか····!?
····ありうる。タイミング的にはバッチリだ。毒が回ってきて、意識が飛ぶ手前になったら犯人はセリフを決めていたかの如く喋りだす。ごめんさない、とか言い出すのを映画で多く見たことがある。····ここまで出来すぎてたから納得だ。こんな美少女が俺を好きになるわけないか····。
ここから意識がだんだん遠くへいってしまうのかな。·····俺の人生はここまでだったか。·····最後に婆ちゃんの作るカレー食べたかったなぁ~····などとIQの低い事を考えていると、夢はようやく顔を上げた。
「その····春喜様の···推し部屋を作ってしまったことを····お詫びします····」
夢は昨日も見せた泣きそうな顔で俺に謝ってきた。
「あ、ああ。···そっちか」
「?····そっちとは?」
「いや、なんでもない·····」
さっきまで考えていた馬鹿な事を必死に頭から追い出し、先ほどまで寝ていた昨日の寝室を見る。
「たしかに、驚きはしたけど───」
────どちらかというと、部屋を開けた後の夢の反応の方が怖かったし。
俺が黙っていると夢は首を傾げて俺を見つめてくる。····所作がいちいち可愛いな。····可愛さに負けるな!気持ちを強く持つんだ、俺!
「·····謝られる程ではないかな·····確かにびっくりはしたけど······俺がもしナルシストならあの部屋は気に入るかもしれないし····」
上手く言えない自分がもどかしい。
「····ナルシスト?」
夢の首の傾斜が更に傾いた。どうやら脳内で語彙検索でもしてるのだろう。知らない単語を引き当ててしまったか···。咳払いして続ける。
「とにかく!···俺は怒ってないから大丈夫だよ」
「····本当ですか?」
「本当に本当!····信じてくれないの?」
謝られているのはこちらなのに、なんか立場が逆転してるような····。
どうしたら信じてくれるのだろうか?キリっとしたドヤ顔でもしてみるか?俺に出来るだろうか?
····そもそも似合わなそう。
脳みそが通常通り働かないのを寝起きのせいにしながら、可能な限り知恵を絞る。
思考中の俺の顔は変な顔だったらしい。夢が突然笑い出す。
「ふふふっ····春喜様って表情が豊かなんですね」
っ!恥ずかしい!どんな顔してたんだろう!今後の参考に今どんな顔してるのか知りたい。鏡は····この部屋にはないか。
表情が豊かってのは周りにいつも言われている。家族や幼馴染み、親友にも良く言われる。言い換えると顔が五月蝿いのか?
とりあえず、夢が笑顔になってくれたのでホッとする。辛そうな顔は似合わない。
それに。
「やっぱし、君····じゃなかった·····夢ちゃんは笑顔の方が可愛いよ···」
「····!」
気付いた時には遅かった。夢は顔を赤くし、袖口で口元を隠している。
───面と向かって可愛いと言ってしまった。
嬉しさを堪えているのか、恥ずかしさの余り悶えているのか·····どちらなのかは知らないが夢は黙ってしまった。
言っといてなんだが俺も恥ずかしい気持ちになっていた。女の子に『可愛い』なんて直接言ったのはいつぶりだろうか?····なんなら初めてか····。
狭い室内に木々の葉が風で擦れる音····鳥の鳴き声だけが鼓膜を刺激する。───嘘です。他にも俺の心臓の音とかも聞こえてくる····。ドックン、ドックンうるさい····。
「····とりあえず····食べようか····冷めちゃうとせっかくのご飯·····勿体ないし。」
「····そうですね」
何とか捻り出した俺の言葉に夢は肯定してくれる。食べかけの玉子焼きを口に放り込む。····さっきより甘くなっている気がする····。
····良く耐えたな、と自分を褒めていると、いつの間にか通常運転に戻っていた夢がキリっとした声で、まるで秘書のような事を聞いてくる。
「それで春喜様····本日の予定はどうなさいますか?」
「そうだね····謙信さんに色々と話を聞こうかと思っているんだけど···もう起きているかな?」
切り替えが早いなと関心していると、夢は咀嚼をし終わってから喋り出す。
「この時間なら、父上はもう起きていると思います」
「そうか····じゃあ食べ終わったら、伺おうかな」
二人は会話を切り上げて、少しだけ食べるペースを早める。
食べ終わり、合掌して『ごちそうさまでした』をし、立ち上がったのが二人ともほぼ同時だった。何だが息ぴったりじゃないか。
理由もなく嬉しくなっている自分を制して、食器を見つめる。
「本当に美味しかったよ。ありがとう。····食器は何処に片付ければいい?」
「お粗末様でした。こちらこそ。····食器はこのままで。後で片付けますから。···早く父上のところに行って下さい」
「ありがとう。···じゃあお願いするよ」
流しの位置も知らないし(そもそもあるかわからない)、ここは夢に甘えよう。
出来た子だな、と心の中で褒めながら廊下に出る。
廊下からの景色は良かった。下の方に目を向けると城下町。遠くを見据えると山々が連なっている。天気も良いこともあり絶景である。壮観なり。
「····良い眺めだな〜···昨日、
景色を堪能出来るほど余裕もなかったけどね、と心の中で補足を入れていると夢も隣に立って同じ景色を見て言う。
「····はい。私もここから見る景色が大好きです。」
並ぶと夢は俺の肩くらいの身長であるとわかる。この時代の平均身長を考えると間違いなく高いだろう。まだまだ伸びるかもしれないだろうし。しかし····横顔もまた美しいな。うっとりしてしまいそうになる。
───このまま時が止まったらな。
叶うことのない思いを馳せながら、何とか自我を取り戻し、夢に身体を向ける。
「····じゃあ行ってくる····。謙信さんは何処にいるかな?」
「この時間は、自室にいると思います。···そこの階段を降りて、正面の部屋が父上の部屋です」
階段を指差して説明する夢にありがとうの意味を込めて右手を上げる。
───上げた右手をそのまま左右に振りだす。
「じゃあ····色々と····ありがとうね」
「いえ····こちらこそ····ありがとうございました」
ペコリと会釈した夢に後ろ髪を引かれそうになりながら、俺は階段の方へ歩き出す。
最後に何か気の利いた事を言おうかと、歩きながら考えていると後ろから夢の声が聞こえて来た。
「····春喜様っ!····また会えますよね····?」
振り返ると寂しそうな顔で訴えてくる夢がいた。俺はちくりと胸が少し苦しくなるのを感じた。
「····もちろん!···またすぐに会えるさっ!」
元気良く答えると、夢は微笑み、自分の体の前で右手を小さく振ってきた。それを見て俺は大きく手を振った。
振り終わった後、俺はまた体を階段の方へ向けた。寝不足で身体は重いはずだが、足取りは軽く感じられる。
戦国の朝の風を全身に浴びながら、俺は謙信のいる部屋へ歩を進める····。
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