第7話教育する側される側

 本当に恥ずかしい。ですが私を形作る一つのピースに小学生の頃の記憶があります。


 皆様は小学生時分の頃を覚えていらっしゃいますか?

 私は良い事より悪い事を記憶している人間です。故に小学生時分の頃を思い出すと奥歯を噛む次第。


 小学校5年から6年は正直に申し上げて「担任教師」と馬が合いませんでした。


 1つ目の恥部。イベント設営。

 誕生日会をする事になりました。何故か私が実行委員に任命されました。そして「一人で」飾り付けや幕を作らなければならなくなりました。

 担任教師はと言うと「一人で出来るよね」と放置。何を作らなければならないか?材料は?様々を5年生に丸投げです。これは「自由意志」ではなく「放置」であります。


 私は苦肉の策で自前のハサミ、ノリを用いて、折り紙等も支給されておりませんでしたからただで使えた「新聞紙」で飾りを作りました。放課後の鐘がなっても「帰宅許可」が下りなかったので残り続けました。


 一部屋だけ明かりがついているものだから見回りの先生に見付かり、「途中で良いから帰りなさい」と言う事で帰宅を許されました。


 翌日が誕生日会でした。

 誕生日会には派手な折り紙で飾り付けがなされ、私の作った飾り付けはわざと見えるところに「山積み」になって捨ててありました。


「飾り付けも用意出来ないなんて」

 クラスメイトの前で吊し上げ。


 大人になっても思う。どだい無理な話なのだ。小学生に材料も与えず、期限も一日もない。更に一人で用意をさせるなんて…

 更に「いかに太刀山が無能か」を晒し上げる…


 ああ、私はこの人が嫌いだ。



 2つ目の恥部。

 理科の時間だったと思う。そこでガスコンロについて話があった気がする。そこで火に近いと熱く、火から遠ざかると冷たい…みたいなやり取りだったと思う。それから太陽の話になった。

 私は疑問を口にした。


 太陽とガスコンロが同じ「火」なら何故高い山に登るっても暑くないのか?太陽に近くなるのに…

 そんな事を言ったと思う。結果は「クラスメイトと教師からの嘲笑」だった。

 理由は「当たり前じゃん!」と言うことだった。

 私が理解不足なのだろうか?5年生全員が簡単な「熱伝導率」等知っているものだろうか?

 何故当たり前で片付けるのか?疑問にも答えず「相変わらず鈍い」とまで言われる始末。正直に申し上げて教師のすることでは無い。


 

 3つ目の恥部。

 次は国語の時間だったと思う。


 春・夏・秋・冬。こう書いて皆様はどう読まれますか?


 私は教師に当てられて「はる、なつ、あき、ふゆ」と読みました。


 するとクラス中が嘲笑に包まれた。

 教師も腹を抱えて笑いながら「お前ならそう言うと思った」と返ってくる。


 答えは「しゅん、か、しゅう、とう」


 私は言いたい。春・夏・秋・冬と書いて音読みか訓読みかの違いで「嘲笑」するのは如何なものか?どちらも同じ漢字の「読み」として間違えではない。

 ただ「作者」がどう読ませたいか?もしくは文体に相応しいか?その程度の物で「間違い」では無いのだ。


 羽柴秀吉だって自身の手紙の中で「倶利伽羅峠くりからとうげ」を「栗殻峠」と書き記しているし、木村宇右衛門覚書では森氏の事を毛利氏と記録している。

 国語は難しく紐解けば紐解くほどに簡便になったり難解になったりもする。


 今だったら私は5年生の私を抱き締めてやりたい。

 辛かったろう。だけど学ぶ事を嫌いにならないで欲しい。

 好きな事を学べば良いだけだから。


 そう言ってやりたい。



 今では教師を「やりがい搾取」や「過労死枠」等と同情的に見ているが、子供の教育と言う立場にあり、私の様な「鈍い子」を「吊し上げ」「捌け口」にするのは間違っていると言いたい。


 それで子供が不登校になる事もあるのだ。



 子供にも教師を選ぶ「権利」を認めてほしい。

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