第5話ゴミ漁り

 人は怒りをコントロールする事は難しい。


 古代の哲学者「セネカ」は著書「怒りについて」で人々に怒りの醜悪さを説いた。


 更に怒りとは人間の本能を支配する防御反応であり攻撃反応でもある。

 怒りは人を残酷にする。

 まるで裁量権が自分にあるかの如く。


 だがいかに怒り狂おうとも、他人から見たら「醜悪」以外の何物でもない。「危ない人」だなぁ。関わらないでおこう…そう思われるのがオチである。

 匿名性の高いネットの世界だと、顔を見るよりも関係性が薄い為に「怒りの発露」が容易い様に思う。


 だが対面より多くの人の目に触れるネットの世界。怒りのお気持ち表明は余計に醜く映る。


 そんなネットにふれる前の高校生の時。

 私はステーキハウスで働いていた。

 決して要領の良い人間ではないので正直ミスも多かった。

 そこで私はオーナーシェフに目を付けられた。

 何かしらミスが発覚する度に私に矛先が向いた。

 ある日、後輩に仕事を教えていたのだが、「へーへー」と言うだけで仕事をしない。


「ちゃんと仕事をしろ!」

 今では怒鳴らなくもなったが若かった私は怒鳴っていた。

 だが侮られている私はオーナーに告げ口をされて結局好悪が逆転。私が罰せられる立場に。


 一体どうしたら好悪が簡単に逆転するのだろう。理由が分からなかった。


 更にオーナーは癇癪持ちだった。

 怒りを覚えるとどれだけ忙しかろうと「掃除」の命令が下るのだ。


「心の汚れだ」

 そんな事を言って断行する。かなりの迷惑だった。個人的な怒りに巻き込まないで頂きたいものだ。

 それで当時の最低時給の¥700だったのだからやってられない。


 そしてある時事件が起きる。

 個人経営のステーキハウスだったので結構な節約をしていた。結構アウトだと思うのだが、ラップの使い回しや、殻付き海老をお客様に提供して、下げられた海老の殻をスープの出汁に使う等など。

 そしてステーキ鉄板を磨くシートがある。それを二つ折りにして四回に渡り使うのだ。


そのシートを四回使い終わる前に「私が処分した」と言う因縁が付いたのだ。


「君、ゴミ箱から見つけるまで厨房に戻るな!」

 怒り狂ったオーナーに「ゴミ漁り」を指示された。


 巨大なポリバケツ3個分のゴミ漁りだ。すぐには見つからない。

 更には生ゴミに塗れた磨きシート等発見したとしても「掃除に使う」事など出来はしない…

 完全に罰直であった。


 三十分程ゴミ漁りをしただろうか。見かねたスーシェフがオーナーシェフに意見をしてくれ、やっと罰直から解放されると言う始末。

 オーナーに意見できるスーシェフには随分同情された。


「見付けたって使えないのに」

 そう言って慰められた。17歳には何とも辛いことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る