主導権

「わら……った?」


 胸糞の悪いやつではない。ちゃんとした、笑顔だ。

 長い頭に、なにを考えているかわからない顔。しかし今の笑顔は、本物に見えた。

「あ、あんた……そんな顔もできるんだ」

 あたしはなんとなくバツが悪くなってそう言ってそっぽを向く。と、


「あんたは可愛い」


「へっ?」

 また、いきなりの誉め言葉。

「最初からそう言ってる。あんたは赤が似合う。作務衣もいい」

 なに、こいつ。

 もしかして最初からあたしのこと意識してた!?

 ぷっ、なぁんだ、そういうことか。ボンボンを追い出してあたしと二人きりになりたかったってわけね。だったら最初からそう言えばいいのにっ。

 あたしはにまっと笑い、ひたひたとぬらりひょんに近寄る。


「あんた、あたしに気があったんだ。へぇぇ」

 しなだれかかると、なんとぬらりひょんは肩をひょいと躱し、そのせいであたしはぬらりひょんの胸の中に飛び込む形となった。

「ひゃっ」

 そしてそのままあたしを抱き留めるぬらりひょん。やだ、案外積極的。


「あんたはいい匂いだな」

 あたしの首元に顔を寄せて囁く。イケボがあたしの脳に直接入り込んできて、あたしはぶるっと体を震わせた。

「サキュバスってのはみんなこうなのか? 可愛くて魅力的で、男を狂わせる」

 耳元で話すぬらりひょんを前に、あたしは全身から力が抜けていくようだった。けど、ここで舐められるわけにはいかない! 主導権はいつだってこっちが握らなければいけないと、いつかどこかのサキュバスが言っていたもの!


「ええそうよ。サキュバスってのは男をたぶらかすのが仕事。あんたのことも、狂わせてあげるわ」

 あたしはぬらりひょんの頬にそっと手を添えた。東洋の妖怪と対峙するのは初めてだったが、所詮は男。あたしの手にかかれば……


「俺はあんたを狂わせてみたいな」


 ぬらりひょんがそう言って頬を撫でたあたしの手を取った。そのままグイッと上に上げ、もう片方の手であたしの首根っこを押さえつけると、そのまま唇を重ねる。

「んっ、」

 いきなりのことで油断していた! まさか先手を取られるだなどと、このあたしが!!

 けど、ここまでくればこっちのもんだ。あとはあたしのテクでこいつを骨抜きにっ、骨……、


「んっ、む、ん」

 ぬらりひょん、あんたはなんでそんなにキスが上手いんだいっ!?

 あたしは、今までにない激しく甘いキスに、ちょっとばかり骨抜きに


 いいやそんなはずない!

 これは何かの間違いだっ。

 小さく抵抗するも、首をガッチリ固定され動けない。

 更には、右手だけでなく、空いていたはずの左手まで後ろ手に押さえつけられているじゃないか! いつの間にこんなことにっ。


 主導権は完全にぬらりひょんにあった。あたしは何の抵抗も出来ぬまま、奴のキスを受け入れるしかなかったのさ。


 そのうちなんだか頭がボーッとしてきて、あたしはぬらりひょんに抱き締められながら、このまま押し倒されたい、って思い始めてた。けど、ぬらりひょんはキスを続けるばかりでそこから先に一向に進もうとしやがらない。しまいにゃあたしの方が我慢できなくなって、ぬらりひょんを押し倒そうと踏ん張った。

 ああそうさ、踏ん張ったさ!

 だけどこいつ、微動だにしないっ。なんでだっ。


「どういうつもりなんだっ」

 いよいよあたしは腹が立ち、ぬらりひょんに言ってやった。

「どういうつもり、とは?」

 ぬらりひょんは不思議そうに首を傾げてきやがった。

「あんたはあたしにキスをした!」

「したな」

「じゃ、次はっ?」

「次……?」


 ふざけやがって!

 何も知らない子供じゃあるまいに、なんだってこうわざとらしくじらしてくるんだっ。


 ……まさかっ、


 さっきこいつは『俺はあんたを狂わせてみたい』って言ってやがった。

 つまりはそういうことかっ。じらしてじらして、あたしが夢中になるのを待とうって作戦だね!

 そんな手には乗らないさ。あたしはサキュバスだ。狙った獲物は逃しゃしない。それにサキュバスってぇのは短気でね。時間をかけてゆっくりなんてこたぁしない。目の前にいい獲物がいるなら、それを今すぐ食うのさ!

 あたしがガバッとぬらりひょんに襲い掛かったその時だった。


「あずきバー、お待たせ~!」

 玄関先から聞こえてきたボンボンの声に、ぬらりひょんが嬉々とした顔で立ち上がった。


 あたしゃあずきバー以下か!!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る