文蘭

ラッセルリッツ・リツ

文蘭

 それほどおもしろい話ではない。たとえば君の友人が君を笑わせるために作った嘘話でもなければ、君を泣かせるための恋愛映画でもない。生きていればいくつもある馬鹿馬鹿しい話よりもつまらない。くだらない少年の話だ。以降その少年は私と自身を名乗るだろう。


 私が高校一年生になった当日、すなわち入学式の日。その桜は雨に萎れ、車に轢かれた花弁が象徴的だった。そうしばらく過ごせれば少しは綺麗ごとにできるものだが、廊下にこびりついていた大きなホクロのようなガムが幾らか目に入るとそうもいかなかった。すぐに前を向いた。場所は想わぬ以上にひどいのなら前を向くか、上を向いて歩くしかなかったようだ。やや曖昧に表現しているが、一言でいえばまず受験に失敗したのだ。

 まずと述べたのはもう一つ失敗していたからだ。失恋だ。たまたま隣の席になった真面目な子を好きになった。そしてその子はたまたま私と同じ高校を受験するとなって、私が落ち、私はそのすぐに告白して振られた。ひどい話である。振られたときに言われたのは「看護師の勉強で付き合う暇はない」というものであるが、この理由がまかり通るなら看護師は生涯独身であろう。そんなわけがあるまい。幸運にも私はそれほどに馬鹿であったので、その嘘にも騙された。ただどんな理由であろうとも失恋は傷つくものだろう。

 こうも悲しくもならない話をしていても進まないのでさっさと話したのだが、本題ではないので簡単にまとめたが、回らず圧縮したデンプシーロールの一撃を貰ったような痛みがか細い心に響いたのでこれも大概だった。短くすれば気軽なわけでも無いみたいだ。かといってこの話も長くない。一つの春の分しかないのだから。その代わりに四倍以上の濃度がある。今もなおわずかに残っている気もする。

 話を戻すとする。私はその日、雨に濡れながら滑る床を小走りして教室へ向かっていた。実は遅刻していたのだ。理由は渋滞だ。そうして急いで教室へ入ると、すでに生徒は皆静かに座って、教師が何か話していた。して私に気づいて一斉にこちらに視線が集まって沈黙した。私は焦ってもなお焦った。そもそも私は人見知りなのだ。だから注目を浴びてひどく緊張した。またこういうときは何か言わなければならない、時間が固めたのは私だからだ――――というような意味を込めた、けれども呆れた目つきに変わった教師が「さっさと座れ」と私を座らせた。この教師というのもなかなかの癖のある人間であるが、この話においてもう出番はない。しかし挫折してやってきた途端、初っ端からうまくいかないとは。くわえてだ、この出来事は尾を引くことになった。なにせ、教室に見知った顔がまったくない。完全に孤立しているところからのスタートなのだ。なのに第一印象がこれでは面目が無い。教師が太い声で話している間にそう気づいてひどく席の間の通り風が冷たく、胃も冷えたものであった。

 そんな状態のまま私は入学式へ臨むこととなった。しては体育館の移動中もまたひどく寒いものだった。心は早く家に帰りたいの一色だった。けどもやはりこういった行事は予想する五倍ほどは長いもので、その間も沈黙して座り尽くしてねばならない。元々こういったのは無駄に思えて心底嫌いであったが、この時はそれ以上だった。もちろん今、校長が何を話していたかは覚えていない。ただこれはおそらくその話を終えた途端でも同じだっただろう。もしもこの時の私が答えてくれるなら、きっと首も取れるほど激しく頷くくらいには、早く入学式が終わってほしいと願っていたと思われる。

 して時間はどんよりと過ぎ、私はやっと席を立てた。あくびの一つをかいて入学式の終了を祝福する所業をした。どうやらここで解散のようである。生徒たちもまばらになっては適当にしていた。適当にするといっても大方は同じ中学の知り合いや友達と静かに話すか、配られた名簿を眺めているか、あとは帰るか。男ならばふざけて走り回るのもあったか。私はというと無論、知り合いがまったくいないのだから帰るのみだった。名簿など読む必要もない、それほどに見かけないのだから。と荷物まとめて体育館を出ようとしたら不思議なこと、知っているような顔にぶつかった。しかし人違いでは失礼だから私は速やかに去ろうとした。

 「おい、お前もいたんだな」

 無法にも彼は私の肩を掴むとむさ苦しく声を掛けてきた。うむ、逃げられなかったか。と私は諦めた。

 「ひさしぶり」

 「体育の授業以来だっけ?」

 まさにである。予想がついているかもしれないが私はコイツが苦手なのである。彼の言うとおり、私と彼の面識は中学での体育の授業。同じクラスではなく、隣のクラスと集めて行われるタイプのほう、つまり近いクラスのたまたまその特徴的な顔を見たことがある程度、または友達の友達程度だ。私はさきの通り人見知りであるから、友達の友達なんぞとは話さない。だからまともに話すのはこれが初めてかもわからないのに、まぁ印象の通りに距離感がやけに近い。以降彼はたびたび登場するため、東 御と呼ぶことにする。

 「いやぁ、まわり見ても誰もいないな」

 東御は馴れ馴れしく言う。

 「そうですね」

 私は適当に返す。

 「名簿みたらここ、○○中学って書いてあったから来たんだよ」

 東御はぎゅうぎゅうに折った名簿の小さな私の名前を太い指で指してくる。

 「あ、ほんとですね」

 私はまた適当に返す。ちなみに俺はこのクラスとなぜか元気に紹介してくるものだから、よしここには近づかないようにとちゃんと覚えた。するとその警戒心を感じ取ったのか何なのかわからぬが、東御は変な顔をした。

 「敬語じゃなくてもいいぞ?」

 「わかった。西御」

 「東御だ。ちなみに漢字はほら」

 また名簿を押し付けてくる。かなり私の眼前に見せるが、私の視力を気遣ってなのだろうか。まずそのレベルの視力ならば東御の顔を見てもやはり気づかないだろうに。

 そう喧しい名簿を放そうとするとちょうどピントが合ったくらいにひと際目立つ名前があった――――渡里文蘭、○○中学――――クラスは一組。私はすぐその方へ視線をやると、女子と集まって話している彼女の姿があった。やはり美人だった。非常に整った、まるで神が長年の計算を経て辿り着いた美の完成系のような顔をしている。私は遠くからであったが、視線が釘付けになった。こう言うのは、この感覚は以前にも味わったことがあったからで、私はその名前を見た途端に中学二か三年のとき、彼女が集会で皆の前に立って話していたのを思い出した。またそのときの美しき顔立ちを。こうもなっては見向けずにいられるわけも、目を離せるわけもないのだ。このまま石となったとしても。そう半分固まっていると横から声が射してきて浮かびかけた心が引っ張り戻された。

 「渡里さんは一組だな。お前は六組だから遠いな

 「一組?」

 「ああ、そうだ。ほら」 

 東御がそう言ってふたたび名簿を押し付けてきた。たしかに一組と書いてある。彼女を見ている間に忘れていた。東御の言うとおり一組では遠い。ほとんど会う機会はないだろう。そう気づくと心も平常に戻った。ただもとよりここにあったのは恋心ではなく、また友情などのそれでもない。もっと神秘的な観念だった。女の子として見ていたわけではなく、芸術の美として伺っていたのだ。だからあまり執着しなかった。

 こののち、私は東御にサッと挨拶をして帰った。その帰路に浮かぶのは今日の災難や彼女の美しさでもない。雨から晴れた青の空、一つ詩でも読みたくなるような、健やかな気分だった。


――あとがき――

 なんかもっとややこしくなりそうなのでここで一度やめておきます。万が一気が向いたらこの続きを書くかもしれないです。あるいはさらに万が一続きを望む声があれば。


 この短編集の目的は自分の求める文の書き方を探すことなので、実は物語の内容はさほど重要ではないのです。だからここで切ってもすでに十分だと止めました。

 この話では日記形式の文を書いてみてどうなるかという自己への客観視です。ちゃんと読めるものになっているか。自分は書けるのか。あるいは付随して現れる表現、文調、あとは展開です。その感想としては大丈夫そう、という感じ。表現がつまらなかったり、文が退屈なのはあるかもしれないですが、とりあえず味のない伝わる文から少し個性が出てる程度だと。


 ちなみに『まるで神が長年の計算を経て辿り着いた美の完成系のような顔』の比喩は個人的にはぴったりはまる表現ですが、絵として浮かぶ人とそうでない人がいると思います。またその絵もまちまち。これが文学のおもしろいところでして、でも感覚としては伝わってるのかもしれないです。浮かぶのなら。また少なくとも個性や能力としては理解しうるのなら十分だと、そう甘く自負しておこうと思います。


 あとでまた読み返して評価してもおこうと思います。

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