第2話 ― 偶然の再会 ―

 悠斗の生活は、それからというもの、不安定なものとなった。前世の記憶の断片が何度も彼の頭をよぎり、そのたびに心がざわつく。だが、肝心な部分――彼女の名前や顔――は、未だに霧の中だ。まるで重要なピースが欠けたパズルを完成させようとしているようだった。悠斗はその焦燥感を抱えながら、日々を過ごしていた。


 そんなある日、学校は新入生歓迎会で賑わっていた。体育館にはクラスメイトや先輩たちが集まり、部活動の紹介や、さまざまな催し物が行われている。悠斗はクラスメイトたちと一緒に座っていたが、心ここにあらずといった様子で、周りの賑やかさに集中できなかった。


 未央が隣に座り、小声で囁いた。「ねぇ、悠斗。部活とかどうする?せっかくの高校生活だし、何か始めてみたら?」


「うーん、そうだな…。でも、今はちょっと他のことで頭がいっぱいなんだ」


 悠斗は答えたものの、言葉には覇気がなかった。未央は少し眉をひそめたが、無理に勧めることはせず、彼に任せることにしたようだ。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 歓迎会が終わり、校庭に出た悠斗は、気分転換にと校舎の裏手にある桜の木の下へ足を運んだ。そこは普段はあまり人がいない静かな場所で、ひとりで考え事をするのにちょうどいい。桜の花びらが風に舞い、地面に淡いピンクの絨毯を敷き詰めたようだった。


 悠斗がベンチに腰掛け、ため息をついていると、ふと誰かの気配を感じた。振り返ると、一人の女子生徒が桜の木の下に立っていた。


 その瞬間、悠斗の胸が高鳴る。――あの女性だ。前世の記憶に浮かぶ、あの「妻」と同じ雰囲気を感じる。彼女は長い黒髪を風になびかせ、優雅に桜を見上げていた。まるでこの場所が自分の居場所だと言わんばかりに、彼女の存在感は際立っていた。


 悠斗は無意識に立ち上がり、彼女に近づこうとしたが、言葉が出てこない。どう話しかけていいのか、何を言うべきなのかが分からなかった。ただ、その背中がとてつもなく懐かしい。そして、彼女もまたこちらに気づいたようで、振り返った。


「…こんにちは。北條君だよね?」


 思いもよらない言葉に、悠斗は一瞬動揺した。彼女が自分の名前を知っていることに驚きを隠せなかった。


「え…あ、そうだけど…。えっと、君は…?」


「私は藤崎涼音(ふじさき すずね)。クラスは違うけど、入学式の時に見かけたんだ」


 彼女――涼音は、柔らかな笑みを浮かべながら、悠斗に視線を向けた。その笑顔が、前世の記憶の中の「彼女」と重なり、悠斗の心を大きく揺さぶる。しかし、どうやら涼音は前世の記憶を持っていないようだ。普通の女子高生として、目の前に立っている。


 悠斗は動揺を隠しながらも、笑顔で応じた。「そっか、藤崎さんか。こんなところで何してるの?」


「桜を見に来たんだ。ここ、きれいだよね。私、昔から桜が好きなの」


「…桜、好きなんだ」


 その言葉に、悠斗ははっとした。前世の記憶の中でも、彼女――涼音は桜を見ていた。もしかしたら、彼女の中にも前世の名残があるのかもしれない。しかし、今の涼音は普通の高校生だ。前世の話を唐突に切り出すわけにはいかない。


「うん。なんか、見ると心が落ち着くんだよね。悠斗君は?」


「俺も、結構好きかも。こうして落ち着ける場所って、大事だよな」


 二人はしばらくの間、桜を眺めながら穏やかに会話を交わした。その時間は不思議なほど自然で、悠斗の心に平穏をもたらした。涼音と一緒にいると、彼女が前世で自分の妻だったということを忘れそうになるくらい、心が安らいだ。


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 その日以来、悠斗と涼音は自然と仲良くなり、学校で顔を合わせるたびに挨拶を交わすようになった。涼音は明るく社交的で、誰とでも気軽に話すことができる性格だったため、クラスメイトや先輩たちからも好かれていた。


 一方、悠斗はその日々の中で、彼女との距離が縮まることに嬉しさを感じると同時に、ある種の焦りも覚え始めていた。涼音には前世の記憶がない。彼女は今の涼音として生きているのだ。それなのに、自分は前世の「妻」を重ねて見てしまっている。それは果たして正しいことなのだろうか?


 ある日、悠斗は未央に相談することにした。彼女なら、きっと何か良いアドバイスをくれるだろうと思ったのだ。


「ねぇ、未央。ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」


 放課後、未央と二人で帰り道を歩いていた悠斗は、少し躊躇いながら口を開いた。未央はすぐに察したようで、真剣な顔で「どうしたの?」と問いかけてきた。


「藤崎さんって子がいて、最近仲良くなったんだ。でも、彼女が前世の俺の妻だった気がしてさ…。でも、彼女には記憶がないんだ。俺だけが前世のことを覚えてて、彼女は普通に今を生きてる。それで、どう接していいのか分からなくなってる」


 悠斗の言葉に、未央は少し驚いた表情を見せたが、やがて静かに頷いた。


「そういうことか…。それって確かに複雑だよね。でも、悠斗が前世の記憶を持ってるからって、今の彼女がその記憶に引きずられる必要はないんじゃないかな。今の藤崎さんは、今の彼女なんだよ」


「でも、俺は…」


 悠斗は言葉を詰まらせた。彼女に前世の自分を押し付けることが正しいのか、それとも今の彼女として接すべきなのか。どちらが本当の答えなのか、分からなかった。


「悠斗、きっと時間が経てば答えが見えてくると思うよ。でも、今は藤崎さんをちゃんと知ることが大事なんじゃない?前世のことだけじゃなくて、今の彼女をね」


 未央の言葉に、悠斗は少しだけ心が軽くなった。確かに、彼女は今を生きている。その事実を尊重しなければならない。そして、自分自身もまた、前世の記憶に囚われすぎてはいけないのだ。


「ありがとう、未央。そうだな、今の涼音をちゃんと知ることから始めてみるよ」


 悠斗はそう決意し、前を向いて歩き出した。彼の中で、涼音との新たな関係が動き出す瞬間だった。

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