◆Ⅱ或る聖職者の夢

 年老いた水夫を看取った或る女の聖職者は彼の箱を回収して、教会の金庫に入れようとしたが、金庫は黒い箱でいっぱいだった。彼女は仕方なく家の引き出しの中に入れた。

 十三年に一度の法祭の日に、一つ上の位の聖職者が漁村でできた箱を回収しに来るのだが、彼女は前任者から引き継いでから今まで一度も法祭を迎えたことはなかった。今年の冬、法祭が行われる。村も法祭に向けて浮足立っていた。彼女も浮足立っていた。

 漁村での時はゆっくりと流れる。待ち遠しかった冬の訪れを知らせたのはしんしんと降る雪と祈り組む手にできたあかぎれだった。

 法祭の日、高貴な服装を身にまとった男の聖職者が村を訪れた。彼は教会で酒を飲み、村の娘たちに囲まれて賑やかな夜を明かした。

「どうだね、君も箱を開けてみないかね?」

 彼女はその聖職者に数ある箱の中から一つを選んで開けてみてはと提案された。これは昇進の提案でもあった。聖職者は箱を開けることでようやく一人前として認められるのだ。彼女は未だに一度も箱を開けたことはないと記録されていた。だが、彼女はその提案を丁重に断った。もう箱は開けないと彼女は決めていたのだ。

 彼女は子どもの頃、友人を殺していた。毎日海で一緒に遊んでいたその友達は、あっけなく溺れて死んだ。助ける勇気がなかった。殺したのも同然だ。事が終わった頃になって後悔した。どうせなら一緒に死んでいた方がましだと思うくらい、彼女は胸が締め付けられた。せめてもの償いに彼女はその友達の箱を開けた。その友達が背負っていたものを彼女も背負うことにしたのだ。そして、もう箱は開けないと誓った。

「そうか、残念だ」

 男の聖職者は翌朝その漁村を去った。彼女は昔に犯した友人殺しの罪が暴かれないか心配であったが、それは杞憂に終わった。彼女が家に帰ると、水夫の箱が回収されずに残っていることに気づいた。

『私は今、あなたの双眸の奥に神を見ています。おお、神よ。神に通じる全ての存在たちよ、本当にありがとうございます』

 水夫が死ぬ間際に残したこの言葉が脳裏に蘇る。あれはどういう意味だったのか。彼女は水夫のその言葉がどうしても気になってしまった。そして今、いくつかの偶然がこの箱を彼女の掌の上に存在させていることに神の導きまで感じていた。だからなのか、彼女はその黒い箱を開けることにした。

「そうだったんだ」

 その時から、箱の記憶・水夫の人生を追体験した彼女の瞳は、死に際の水夫と同じでここではないどこか遠くを見据えていた。それから彼女は昇進し、いくつもの箱を開けるようになった。そして、最高位神官にまで上り詰めた彼女の死後に残った箱は、十三神皇の一人、7thが開けることになった。

「7th様。私はあなた様の瞳の奥に神の存在を感じているのです。ああ、あなたが神だったのですね。ありがとうございます」

 今際にそう言い残した彼女に7thは一言「ご苦労様」と告げ、彼女の死後、淡々と残された箱を開けるのだった。

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