緑の男(2)

 「はい。総合システム部です。」


 私はデスクの内線電話を取る。


 「毎度。植木です。」


 「あー、毎度さまです。何かありましたか。」


 電話の相手が植木さんだとわかった私は、営業用の声から2オクターブは下がったのではないかという地声で返事する。


 「だからー、なんで声低くなるの。」


 毎回、電話の度にされるやりとり。

 植木さんは私にずっと営業用の声で話して欲しいらしい。

 以前親会社に用事があって訪れた時、女性社員の内線電話への応対を聞いたことがあるのだが、それはもうぞんざいなもので衝撃を受けた。

 どの部署でもそれがデフォルトとは限らないが、少なくとも彼は電話口の優しい女性の声に飢えているのかもれない。


 彼の部署から受注した仕事はもう終盤を迎えていた。

 最終調整を終えて納品すれば、任務完了。

 彼との仕事上での繋がりも終了である。

 何しろ多忙な彼なので、早い段階で打ち上げの日取りを決めようということになっている。

 私が調整役となり、二週間後の金曜日に飲み会が設定された。



 打ち上げ当日。

 本当は少し女らしい格好でもしたいところだが、制服がない会社に勤めていると服装の変化に外野は敏感だ。

 仕方なく、今週は赤に近いピンクの血色ネイルでせめてものお洒落をし、昨晩は爪の先にゴールドを足してみた。

 剥げてきた、とでも言えば誤魔化すのは簡単だ。


 繁華街にある落ち着いた雰囲気の居酒屋には四人が集まっていた。

 参加者は私と植木さんのほかに、私の上司と、作業を手伝ってくれた後輩の高山さん。

 乾杯すればすぐ、話は弾みだす。

 お互いの会社の話題がメインだが、プライベートな話題も多少は混ざる。

 私の上司は少し、いや大分クセのある人物で、四十代半ばの現在も結婚相手どころか彼女もいない。

 毎回そこを誰かに突かれ、反論し、呆れられる。

 そこまでがワンセットだ。


 こうして色々な話題で盛り上がり、あっという間に二時間は過ぎた。

 上司は絶対に二次会に参加しない人なので、はじめから二次会は設定していない。

 高山さんは彼氏と週末デートだということで、店の前で解散となった。


 私と植木さんはなんとなく同じ方向に歩き出す。


 「もう一軒行く?」


 植木さんが聞いてきた。


 「いいですねー。

  日本酒飲みたいです、わたし。

  ビールのあとは日本酒です!」


 私はなんともかわいくない提案をする。

 つい、仲の良いお酒の強い友達と飲む時と同じ感覚で言ってしまった。


 「よし。じゃ、あそこがいいかな。」


 彼には馴染みの店があるらしく、そこに向かって二人でゆっくり歩いた。


 ビルの中にある、照明をかなり落としたちょっと高級そうな居酒屋。

 内装は洋風だが、棚に並ぶ酒類はほとんどが日本酒だ。

 テーブル席に案内された私たちはお酒を選ぶ。


 「甘いのがいいです。

  日本酒は辛口だ、なんてみんな言いますけど、わたしは甘いのが好き。

  どれが良さそうです?」


 「それならこのへんかな?」


 彼もお酒には強いとこれまでの会話でわかっている。

 私たちが日本酒を飲んだところで、潰れる心配はないだろう。

 チーズなどの軽いつまみも注文し、会社で話すのと変わらないおしゃべりを続けていた。


 「ほんとに付き合ってる人いないの?」


 なんとなくの流れで聞かれる。


 「いないですね。

  趣味に忙しいので、今は必要ないかなって。

  自分の時間が減っちゃうじゃないですか?

  わたしは独りで好き勝手やってたいんです。」


 「趣味って何?」


 「えー。マンガとかアニメとか。

  あと、好きなバンドのライブにも行きます。

  他県に遠征したり。」


 植木さんは学生時代、野球少年だったが、今は地元サッカーチームを応援しているらしい。

 熱中しているものがあるのは同じだが、二人の趣味はなんとなくかみ合わない。


 だいぶん酔いも回ってきて、終電の時間も近付いてきた。

 帰る前にお手洗いに行ってきます、と私は席を立つ。

 私が席に戻ったらお開きだ。

 入り口のカウンターでバッグから財布を出そうとすると、ありがとうございましたとマスターに言われた。

 もう払ったよ、と当たり前のように彼が言う。

 こんなシチュエーションはドラマ以外で初めてだ。

 さすが、デキる男は違うな、と少しふわふわする頭で考える。


 「半分払います。いくらでした?」


 奢ってもらうのは申し訳ないので尋ねてみたが、いらないよと彼は笑う。


 「ごちそーさまです。」


 頭を下げた私は呂律も回らなくなってきていた。

 ビルを出たがここが繁華街のどのあたりか把握できていない私は、植木さんに付いて歩く。

 気付くとそこはラブホテル街だった。


 「ここ、入ってもいい?」


 その中のひとつの前で彼に問われた。


 「いいですよ。」


 私は即答する。

 そういうことか、とただ思った。

 もちろん嫌ではなかったが、嬉しくもなかった。


 目が覚めると私は薄暗い部屋のベッドの上に居た。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。

 上半身の服ははだけ、太腿の間には植木さんの頭がある。


 「ごめんなさい。わたし、寝ちゃってました?」


 とんでもない状態なのに、私は意外に冷静だった。


 「あ、起きた。

  ここ、キレイだね。」


 そしてとんでもない場所を褒められる。


 「ちょっ、恥ずかしいです。やめて…」


 そう言う私に、にやりと笑いながら彼が言う。


 「オレも飲みすぎたみたいで、勃たなくなっちゃった。

 ごめんね?」


 会社では勃ってたくせに、と思ったが、今それを指摘すれば追い打ちをかけてしまう。

 それに、挿入しなければギリギリセーフかもしれないとも思う。

 個人的にはアウトだが。


 私は彼に弄られまくり、彼の方は私の奉仕も虚しく起き上がることはなかった。


 時計は午前三時を回っていた。

 彼はタクシーで送ると言ってくれたが、妻子ある人には日が昇る前に帰ってほしい。

 距離的な問題で、彼が先に降り、そのあと私の家に向かってもらう。

 運転手には私たちの関係がバレているだろう。


 彼が出してくれたお金なので釣銭はいらないと言ってそそくさとタクシーを降り、一人暮らしの部屋に帰ってきた。

 長い一日だった。

 ベッドに身を投げ出し、天井に向けて左手を伸ばす。

 ちょうど薬指のネイルのゴールド部分が、ごっそりと剥げ落ちていた。

 どっと疲れが襲ってきて、私はそのまま眠ってしまった。



 それから約三週間後、植木さんの東京転勤が決まった。

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