赤の男(1)

 「これでウチもオタクもwin-winじゃないですか!ハハハッ!」


 今日もフロアには課長の明るい、でもなんだか軽薄な声が響き渡る。

 新規顧客獲得のため、どこかの会社の誰かをまた口説いているのだろう。

 

 私のいる事業部の織田課長は、親会社からの出向社員だ。

 愛嬌のある丸顔にいつも少し下がった丸眼鏡、中肉中背、甲高い声はよく響くが気に障るほどではない。


 四十代前半で課長というのは、親会社では相当な出世頭だそうだ。

 それでもマンション購入に向け社宅に住んでいる彼には、奥さんと、小学生の息子さんが一人いる。

 奥さんよりも、奥さんのお母さんに頭が上がらないらしい。

 お義母さんの実家は先祖代々、地方の権力者なんだとか。


 私は庶務業務と簡単なウェブページ作成のため、事業部発足と同時に他部署から異動してきた。

 前職はデータ入力が主だったので、初めての庶務業務に毎日必死だ。

 慣れない電話対応に、決済書類作成。

 事業部であるが故発生する特殊な経理業務には特に苦戦して、退勤が午後九時を過ぎることもよくあった。


 彼は付き合いの飲み会が入っている日以外、いつも最後までフロアに残っていた。

 たいていは電話をしているか、パソコンに向かっているかだ。

 特に話し掛けられることもなく、各々淡々と業務をこなし、私は「お先に失礼します。」と部屋を去る。


 ある日、ふと悪戯心が沸き、事業部専用回線で彼にメールを送った。

 「今度、飲みに連れて行ってもらえませんか?」


 翌日届いた返事には意外な言葉がつづられていた。

 「今週末、隣町のペンションに一緒に行かない?

  友人が急用で行けなくなったのを譲ってもらったんだ。

  車も出すから、どうだろう?」


 イキナリトマリデスカ?


 同じ職場で働く者同士、毎日顔は合わせるし、会話もする。

 たしかに、私は誰とでも、たとえ部長であっても、周りがヒヤヒヤするほどに気さくにしゃべってしまう。

 『裏部長』と呼ばれてしまうくらいに。

 でも…、泊まり?


 少し悩んだけれど、なんだか楽しそうだしまあいいかと思う。

 もともと深く考えない性格だ。

 なるようになるだろう。

 「いいですよ。どこまで迎えに来てくれますか?」


 悪魔の誘いに私は乗っかった。

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