一瞬の青春

じゅじゅ/limelight

「好き」と向き合う

 「それじゃまた明日ねー! 」


 まっすぐ文芸部の部室へ走っていく優華を下駄箱で見送って、私も帰路についた。コンクリートに覆われた道と辺りに立ち並ぶ家の数々。都市の一角の、誰もいない昼間の住宅街の道を一人、コツコツとローファーの足音をたてて進む。

 足取りが重い。いつもは隣にいる優華ゆうかがいないからという理由もあるのだろうけど――


「大学受験まであと2年なのよ!! どこの大学に行くかであなたの人生が決まるのよ葵! 」


 思い出すだけで嫌になる。

 高校生になったばかりに、両親から言われた残酷な言葉の数々。

 勉強に専念しなさい、スマホは1日30分まで、部活は行っても行かなくても関係ない、青春なんてしてもどうせ忘れる……


 私も小説が好きだ。大好きだ。けれど、今の私が大好きな物に触れる時間は現代文の授業とテストの時くらい。

 高校生になって早1年と1学期が経とうとしている。1年間、チャンスがあれば両親に頼み込んだが、部活を始めることは許されなかった。

 

 あの時はどうしてかよくわからなかったけど、今なら両親が頑なに勉強をしろという理由もわかる。

 高校1年生まで、私には作家になりたいという夢があった。だから、私はどうしても文芸部に入りたかった。けれど、数々の進路学習を経て、両親による圧力もあったのだろうが、私の考えは変わった。


 『好き』と『仕事』は違う。いくら自分が好きだったとしても、それを仕事ににしていけるかは別問題。

 だから、封印した。その方がきっと楽だから。自分の気持ちを見ないフリをして逸らした方が、この地獄を少しは楽に生きられると思ったから。一回書いてしまうと、昔の夢が再燃すると思ったから……

 

 あまりの暑さに立ちくらみを起こしそうになった。これはまずい、と私は日陰のある近くの公園のベンチへ行き、腰掛けた。

 辺りは車のエンジン音が聞こえないくらいにさんざめく蝉の音。空を見上げると、紺青色のきれいな空が広がっている。


 おまけに夏休み前の下校時刻が早い日。部活をしている人は部活へ行き、友達を遊びに行った人もいるだろう。

 私には今日も午後から塾がある。普段なら早く家に帰らないと母から軽く怒られてしまうけど、今日は両親共に仕事で出張だった。


 「帰ろう……」


 このまま暑さにさらされたところにいたら本当に熱中症になってしまう。私は足早に家へ急いだ。


 * * *


 自室に着き、塾の準備をしていると、突然スマホに着信があった。スマホが振動していて、電話だと気づいた私は急いでカバンからスマホを取り出した。


 優華からだった。今はまだ部活の途中のはずなのに、と不思議に思いながらも私は緑色のボタンをタップした。

 すると、聞こえたのは焦りがはっきり表れている優華の高い声だった。


「ねえあおい! 今空いてる? 」


 どう返すべきか、わからなかった。


 ごめん、この後塾が――。


 喉元まで出かかっている言葉。無意識に断ろうとしている私を遮って、「私」はとりあえず話を聞いてみることにした。


「何かあったの? 」


 焦っている優華を落ち着かせるべく、私は優しく落ち着いた声で返す。


「実は今日、みんなでリレー小説をする予定だったんだけど、一人休みになっちゃって! ほら、葵、好きって言ってたし! 」


 リレー小説。グループを作って、一人一文ずつ書いてなにか物語を作る遊び。自分の書いた文章の続きが次の人で予想だにしない方向に進んでしまい、それが何度も起こってしまうのが醍醐味の――。


 感傷に浸るのも束の間、スマホから優華の声が部屋中に木霊する。


「どう? 来れそう? 」

「……」


 言葉が出なかった。私はスマホを耳に当てたまま、部屋の真ん中で立ちつくしていた。


 今、優華の誘いに乗って学校へいけばきっと、文芸部の人たちと一緒に小説リレーができる。

 けれどそれは同時に、私のこれまで積み上げてきた数々の我慢を壊してしまう誘惑でもあった。


 行きたい。


 行けない。


 行きたい。


 行けない。


 できることなら、今からでもやり直して作家を目指したい。


 だけど、好きだからっていう理由でやっていけるほど世界は甘くない。


 いや、これはそもそも誘われてるだけだからそんな人生規模で考えちゃダメか。


 ふと、勉強机に目を遣ると、中学卒業のときに文芸部の先生にもらった、文芸部オリジナルのボールペンが目に入った。

 もらってから一度も使ったことのない、少し埃を被ったペンを手に取る。


 今の私とは真逆で、元気に先のことを気にすることなく無邪気に書きたいように描いていたあの頃の「私」がフラッシュバックした。


 あぁ、好きって怖いな。

 心の底から思った。1年間、この思いを封印して消滅させてしまおうと思って、どれほど痛い思いをしたかわからない。

 もう書かない、と「私」に誓ったはずなのに。優華の言葉に釣られてしまいそうになっている私がいる。


 優華の言葉、というワードでまだ優華と電話を繋いだままだったことを思い出し、すぐにスマホを見る。

 通話は切れてなくて、途切れ途切れにガサガサ音が聞こえる。


「ゆ、優華? 」


 話しかけても返事はない。


 あぁ、きっとなにも言わなかった私に呆れて、学校に残っている人で誰かいないか探しに行ったのか。直感だったけど、きっとそうに違いない。


 最低だ。

 友達からの頼みに返事もせずに電話越しに黙り込んで、それでいて自分の思いに決着をつけれない。


 塾に行こう。いや、逃げ込もう。咄嗟に荷物を手に取り、部屋を出る。

 優華には明日、塾の先生がきちゃってさーって謝ればきっと許してくれる。最低なときに最低を重ねたくなかったけど、今の私には優華と一緒に行く勇気はない。


 思えば、「私」はただただ臆病だったのかもしれない。書くチャンスはいくらでもあったはずなのに、それを勝手に苦痛と捉えてしまった。

 「私」って、本当に小説が好きなのだろうか。そんな疑問まで浮かんできた。


 素早くローファーを履き、ドアを開けて家を出ようとした瞬間だった。


「はぁ……はぁ……あ、葵! 」


 私の目に映ったのは、おそらく学校から私の家まで走ってきた、激しく息を切らした優華だった。


「ゆ、優華? なんで……」


 完全にパニックになった。今の私はまるで警察から逃げる罪人のように思える。呆然と立ちつくしている私に、優しい警察さんは笑って言った。


「あはは、ずっと何も言わないから、なにかあったのかと思って。来ちゃった」


 本来なら怒ってもいいはずなのに、彼女はただ、私の手を握る。


 目頭が熱くなる。絶対にここで涙は見せちゃいけない。私は全力で歯を食いしばった。


「あっ! 葵、あのペンまだ持ってたんだ! 」


 強く、離さまいと握られた自分の手を見ると、先生にもらったボールペンがあった。急いでいたから置き忘れてしまった。


 いや、違う。置き忘れたんじゃない。私は、「私」は――。


「これ持ってるってことは、やっぱり――」


 優華は期待に目を輝かせている。

 今からでも遅くない。


 ――優華の誘いを断って塾へ行こう。


 ――今日だけ、一瞬だけ、やり直してみよう。


 2つの選択肢が私の中で激しく渦巻く。どちらを取っても後悔するだろう。ずるい、なんてずるい分岐点なんだ。


「ごめんね」


 呆然としている私に、優華は申し訳なさそうに言った。


「私ね、葵が部活に入れないって言われたとき、すごい悲しかった。でも、それ以上に葵のあの死んだ魚のような目をした絶望の顔を見るのがもっと嫌だったの」


「……」


 刹那、夏の暑さを帯びた突風が私たちの間を吹き抜けた。


「だから、いつかまた一緒にやりたいなぁと思って。……でも確か今日も塾あるんだったよね。ごめん、私、学校戻るね」


 そう言って、優華は表情を変えずに私の手を離して、背を向ける。


 行かないで。もうちょっと考えさせて。


 発することのできない思いの数々。口を開けたまま何も言わずにパクパクさせている私に、彼女は振り向いて言った。


「塾、がんばってね」


 声が震えていた。そして、すぐに学校に向かって走り出した。

 もしかしたら、優華には私がこうして悩んでいることまで全部お見通しなのかもしれない。

 

 一人、家のドアの前に取り残される。


 私は、もう一度自分の好きな物に真摯に向き合えるのだろうか。自分が怖い。好きっていうことも怖い。


 「行くか……」


 優華は既に学校へ戻ってしまった。私に残されている道は一つだけ。


 重たい一歩を踏み出すと、再びスマホに着信があった。今度は電話じゃなくて、メッセージの。


『私、待ってるから! 』


 最後のメッセージ。それは、私のことを全てお見通しな親友からの、期待と願いのこもった、短い一文。


 ――行こう。


 どうなったっていい。両親に怒られても、塾の先生に何か言われても、今この瞬間にしかできないことがある。

 私がここで立ち止まっていても、時間は止まってはくれない。


 これ以上、自分の気持ちを見ないフリをするのは、「私」が私を許さない。

 

 小説は、親友と同じようにいつでも私を受け入れようとしてくれていた。


 なのに――


 握られた手を離させたのは、チャンスが訪れても一度も掴もうとしなかったのは、私だ。


 優華や中学のときに一緒の部活だった子たちとは大きな距離ができているだろう。

 私は1年間、自分に正直になれずに逃げてきたのだから。


 でも、今からでもきっと、遅くない。


 この道を選んだ先の結末がどんなものになったとしても、今より楽しく笑えるはずだ。

 

 滴り落ちる汗を袖で拭う。太陽は燦々と照りつけ、雲一つない空が広がっている。ミーンミーンという声が耳に入る。


 先に走っていった優華の姿はもうない。

 でも、それでいい。私たちの間には、それくらい長い時間が失われたっていうことだろうから。


 ゆっくり取り返そう。まだ、あと1ヶ月はある。

 いや、そんな先のことは今は考えなくていい。先のことを気にせずにただただ書きたいように描く。それが「私」だから。


 『今行くね! 』


 送信すると、スマホが振動したけど、もうスマホは開かない。

 私は「私」の詰まった大切なペンを握りしめて、群青色の空の下を駆け出した。


 

 

 

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