第3話 目撃者

 その時の被害者は、免許証などから、

「平岩」

 という男性であることが分かった。

 平岩という人は、正直、この雑居ビルの、

「直接的な関係者」

 ではない。

「直接的な関係者」

 という言葉を使ったのは、このビルの一室を借りていて、営業をしている人ではないということだ。

 だから、三人の発見者に対して、

「この人は誰ですか?」

 と聞いても、誰もそれに対して。答える人はいなかった。

 三人のプライバシーを聞いても、3人ともが、

「ただの、自粛警備隊だ」

 ということで、

「この雑居ビルの関係者ではない」

 ということだったからだ。

 それよりも、この、平岩という男が、

「店の客かどうか?」

 ということが問題であった。

 ただ、この時に捜査にきた刑事の一人である、桜井刑事は、そうは思わなかった。というより、

「可能性は低い」

 と感じたのだ。

 なぜなのかというと、桜井刑事が考えるに、

「この死体は、どこかで殺されて運ばれてきたのだとすれば、なぜ、この場所を選んだのか?」

 ということである。

 そもそも、死体を隠したいのであれば、こんなところに放置する必要もなく、

「どこかの山にでも捨てればいい」

 というものだ。

「穴を掘って捨てれば、少なくとも白骨化する可能性は高く、いくら、科学捜査が進んでいるといっても、被害者の身元確定には、そんなに簡単にはいかないだろう」

 例えば、

「DNA鑑定」

 をするとしても、そのための資料を調べるのに、時間が経てば経つほど、困難になるのは、分かり切っていることである。

 だから、

「犯人が、被害者の身元を知られたくない」

 と感じているのであれば、本当に、

「山中に埋める」

 などというのが、一番手っ取り早いというものだ。

 ということを考えると、

「犯人が、ここに死体を持ち込んだ理由は、死体の身元を少しでも分からなくしておきたい」

 ということではないだろう。

 だとすると、少なくとも財布などを抜き取ることはするだろうし、もっとも、ナイフで刺しているのだから、身体を動かしたりすると、血が噴き出す可能性はあるというものなのだが、

「だったら、死体を動かすのも、リスクが高いのでは?」

 と思うのだろうが。

「それでも、死体を動かさなければいけない何かがある」

 といってもいいだろう。

 ということは、

「犯人は本当に、被害者の身元発見を遅らせたいという意図があるように見えて、身元が分かるものを持ち去ることはしなかったということに、何かの犯人の狙いのようなものがある」

 ということなのだろうか?

 被害者の、

「平岩」

 という男であるが、この男の身元は、別の班が探していたが、それがいまいちよく分かっていなかった。

「これは、全体像が分かるまでには、少し時間が掛かるかも知れませんね」

 ということであった。

 免許証と、病院の診察券があったので、まずは、病院に行ってみた。そもそも、現住所に行ってみても、近所の人に聞くと、

「ああ、あの人、いついるのか、まったく分からないんですよ」 

 というではないか、実際に、部屋の中に入ってみると、

「これで生活しているといえるのか?」

 というほど、何もなかった。

 食器類の類は、炊事場のところにワンセット、しかも、必要最小限程度に置かれている程度で、部屋の中には、布団が一組あるくらいで、こたつ台のようなものが、申し訳程度に置かれている程度で、着替えも、数着、本当に必要最小限にあるだけだった。

 部屋には、本棚も、筆記用具もなかったが、なぜか、オートパソコンだけが置かれていた。

 警察が押収し、中を今調べているところだが、それにも時間が掛かるということのようだった。

 どうやら、ガチガチにパスワードを絡めていて、まるで、

「調べられることを分かっていて、金庫だけを置いていて、どうせ、中身を見ることなんかお前たちにはできないだろう」

 とばかりに警察を愚弄しているのと同じに見えたのだ。

 しかも、冷蔵庫もなければ、食べ物も何もない。

 さらに不思議なことは、

「まったくごみらしいものがない」

 ということであった。

 部屋は、確かに、

「生活集がない」

 というわけなので、埃は立っているが、汚れているわけではない。

「清潔というわけではないが、不潔というわけでもない」

 というようなわけである。

 とりあえず、この部屋で分かったことで、しかも、今できることというと、

「ノートパソコンの内容を知る」

 ということであった。

 今の技術であれば、パスワードが掛かっていても、少し時間があれば、それを解読することができるのだという。

 もちろん、それが世間に知れ渡ると、これは警察としても厄介で、そうなると、開発者は、もっと厳しいロックを掛けるようにするだろう、

 それこそ、まるで、

「コンピュータウイルス」

 というものの、

「駆除と、開発者による、いたちごっこ」

 だといえるだろう、

 新しいウイルスができると、駆除の方が、駆除ソフトを開発する。そうなると、今度はウイルス開発者はさらに、強力なものを作ろうとする。

 それこそ、

「核の抑止力」

 というものと同じで、

「いつまで経っても、交わることのない平行線」

 というものを描いていることになるのだった。

 ノートパソコンの解読に、科捜研が躍起になっている頃、

「何とか、警察は、昔のやり方」

 つまり、

「アナログ解読」

 をしようというのだ。

 それは、昭和のような、

「足で稼ぐ捜査」

 ということだったりするのだ。

 警察というところは、

「自分たちの仕事に誇りというのは、持っているのかも知れない」

 しかし、心の底では、

「俺たちのすることにも限界がある」

 という、自分にとっての、

「結界」

 というのがあるのではないだろうか?

 いくら捜査をしても、どうしても超えられないものがあったりする。

 例えば、警察組織の壁であったりなどが言えるのではないだろうか?

 昔の、刑事ドラマ、いわゆる、

「トレンディドラマ」

 というのが流行っている時期のことで、覚えているセリフとして、一人のキャリアの青年管理官が、

「自分のやりたいことがなかなかできない」

 と言った時、上司が言った言葉として、

「自分のやりたいようにやるには、えらくなれ」

 と言われたという言葉が印象的だった。

 しかし、本当にそうであろうか?

 特に警察というところは、

「いや、警察に限らずであるが」

「えらくなればなるほど、上にいけばいくほど、そのしがらみが大きくなる」

 といってもいいだろう。

 確かに、警察組織であれば、警部補以上になれば、現場で指揮を執ることはできたりするが、それでも、警部や軽視から見れば下であり、捜査本部では、完全に下っ端である、

「だったら、出世して」

 ということで、警部、軽視などになり、管理官になったとすると、今度はもっと上から、管理されることになり、もっと上はというと、実際の現場を知らない人たちであり、彼らも、最初は、それなりの、やりがいや、やりたいことを胸に秘めて、警察に入ってきたことだろう。

 しかし、実際に出世してみると、

「上の顔色を窺ってばかり」

 であり、要するに、

「上にいけばいくほど、キリがなく」

 下手をすると、

「上に行けば行くほど、先が伸びるという、伸縮自在という意味での、孫悟空が持っている、如意棒のようなものではないか?」

 と考えられるのだ。

 つまり、

「下を見てもキリがない。上を見てもキリがない」

 ということで、

「自分が今どこにいるのか分からない」

 ということになるであろう。

 つまりは、ことわざとして聞いたことがあるかも知れないが、これも、

「西遊記繋がり」

 という意味で、

「百里の道は九十九里を半ばとす」

 という言葉がある。

「ほとんど来たと思っていても、その先に何があるか分からない」

 という意味で、

「まだ半分しか来ていないんだ」

 ということを考えれば、それくらいに考えていた方が、自分の戒めにもなるし、何かあった時に、ショックが少ないともいえるだろう。

 だから、

「出世というのは、すればするほど、うれしいかも知れないが、その分、不安も募ってくる」

 といってもいいだろう。

 警察組織だけでなく、もし、警察のトップに行っても、その上に、公安であったり、警察官僚や、省庁関係の政治からの圧力などがあり、

「結局、何かをしようとすると、最後には、国家権力の餌食になる」

 ということである。

 もっとも、自分を滅ぼすのが、

「国家権力」

 であるなら、ある意味本望だといってもいいかも知れない。

 警察だけではなく、官僚と呼ばれるところは、皆同じ形である、

 だから、

「自分のしたいことができるようになるには、えらくなれ」

 というのは、実はおかしいのだ。

 えらくなればなるほど、軋轢が強くなる。そんなことが、その上司に分からないわけもないではないか。

 と考えると、うがった見方ではあるが、その上司の下心というか、

「姑息な考え」

 というものが、見え隠れしそうではないか。

 なぜかというと、

「自分の部下が出世をしたり、えらくなれば、自分の株が上がり、自分も出世に近くなる」

 ということではないだろうか。

 いや、上司ともなれば、もっといえば、

「失敗が許されない」

 といってもいい。

 最初から、ノンキャリアに比べて、下積みなしで、ノンキャリアであれば、

「交番勤務から」

 というのが、普通である。

 しかし、キャリアは、確か最初が、警部補からだったか、とにかく、現場であっても、上司の立場から、入った瞬間に、その立場となるのだ。

 ということは逆にいえば、下積み時代がないわけなので、その時に手柄を挙げるべきものがないということになると、最初から、

「あったもの」

 ということになるのではないだろうか。

 そうなると、これは、

「ノンキャリア組が、加算法」

 だということになれば、

「キャリア組は、減算方式」

 ということになるだろう。

 これは、

「番付表」

 などがある相撲界にも言えることで、ただ、相撲界は、

「横綱以外であれば、負け越せば、番付が下がっていく」

 というのは当たり前のことである。

 大関の場合は、一度負け越せば、

「カド番」

 と呼ばれ、次に負け越せば、

「大関陥落」

 ということになる。

 つまりは、2回続けて負け越せば、大関陥落ということになるのだ。

 ただ、横綱の場合は、そうではない。

「横綱の場合は、陥落ということはありえない」

 ということであり、横綱は、負け越したりすれば、その時点で、

「引退?」

 と騒がれることになる。

 だから、ちょっとでも体調が悪かったりすると、横綱は、

「すぐに休場」

 ということになる。

 もっとも、皆が皆、そのような姑息なことをするわけではないだろうが、横綱は、品格とともに、

「負けることを許されない」

 これは、キャリア組として入ってきた人たちにも言えることだ。

 つまり、

「キャリア組には、黒歴史は許されない」

 ということである。

 黒歴史は、そのまま、命取りになり、

「降格となるか?」

 あるいは、

「自分から身を引くか?」

 のどちらかしかないのだ。

 そんな状態において、実際に平岩という被害者のことが、警察でも、今のところ、

「まったく情報がない」

 ということであった。

 そこで、あとは、捜査とすれば、

「死体が発見された場所」

 つまりは、

「犯行現場」

 とされる場所を中心に回るしかない。

 ただ、警察、鑑識の情報とすれば、

「犯行現場は、ここではない」

 ということが、かなり高い確率として考えられることから、

「本来の犯行現場の特定」

 を急ぐ必要もあった。

 そのために、この平岩という人物の、

「人となり」

 が分かっていないとどうしようもないだろう。

 犯行現場というのは、実際にはその特定は難しいということになるだろう。

「犯行現場を特定する」

 ということが先か、それとも、

「平岩という男の正体を知る方が先か?」

 ということで、それこそ、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 という理論と似たところがあった。

 あちらは、あくまでも、理論の問題であって、結論としては、結果同じということが分かっているが、リアルな事件としては、この順番には、大きな事件解決に対しての問題であるということになるだろう。

 これは、警察の捜査方針の問題で、それを考えるのは、捜査本部長であり、捜査員は、「決まった捜査方針に逆らうことはできない」

 ということになるのであった。

 捜査本部では、鑑識の正式な敗亡結果が、届けられた。初見での鑑識の、見込みとさほど変わったところはなかった。

「死因は、背中からの刺殺であり、出血多量によるショック死、いきなり、背中から刺されたということであり、死亡推定時刻も、最初の見立て通り、昼下がりの時間くらいだったのではないか?」

 ということであった。

 特に特質すべきことはなく、捜査本部でも、そこにはぶれを感じていなかったので、驚きも何もなかった。

 ただ、捜査本部としては、

「あまりにも、被害者の情報の少なさに、驚きが隠せない」

 ということで、

「この被害者の平岩という男は、どこを拠点に生活をしていたんだろう?」

 ということであった。

 確かに、現住所も、病院に届けている住所も、変わりない。間違いなく、家宅捜索を行った部屋の住民ということに変わりはないのだが、あまりにも、

「生活臭」

 というものが感じられないのであった。

 それが、逆に容疑者であったりすれば、まだわかるのだが、被害者がそうだということであれば、捜査が進むはずがない。

 捜査会議の中で誰か一人が、ボソッと言ったことに、

「これじゃあ、被害者が犯人になっていても、不思議はないんじゃないか?」

 というのがあったが、その時は皆、

「聞いて聞かないふり」

 をしていたが、あとになって、

「ひょっとすると、そうなのかも知れないな」

 と思えるようになってきたのだった。

 それを考えると、一つの仮説もできあがりそうだ。

 一つ言えることとしては。

「被害者は、本当に殺されると思っていたのだろうか?」

 ということである。

 被害者は、後ろから刺されているのだ。犯人からすれば、

「これ幸い」

 ということで、背中から刺したわけだが、被害者も、もし

「殺されるかも知れない」

 と思っていたのだとすれば、

「相手に簡単に背中を向ける」

 などということはないだろう。

 ということは、

「顔見知りの犯行ではないか?」

 といえるのではないだろうか?

 だから、後ろから刺されても、抵抗することもなく、倒れたといってもいいだろう。

 ただ、ここまで考えると、そこで、もう一つの仮説が出てきた。

 というのは、

「その場にいたのは、果たして、被害者と、犯人だけだろうか?」

 ということであった。

 というのは、

「そこに、もう一人たのではないか?」

 ということで、そのもう一人というのが、

「共犯者」

 という可能性が高いのではないかということであった。

 というのは、

「被害者は、誰かを相手に話をしていて、普通に話をしているのであれば、後ろは無防備だったということであろう。だから、容易に実行犯は相手の後ろから、刺殺することができたのではないか?」

 ということになるのだ。

 この場合、正面に立っていた人が主犯なのか、共犯なのか分からないが、少なくとも、

「共犯者がいた」

 という説も考えられるということである。

 もし、被害者が、

「他のどこかで殺されて、ここに運ばれてきた」

 ということであれば、

「共犯説」

 というものも、なまじ、突飛な発想ということでもないだろう。

 捜査のやり方として、

「最初は考えられることをすべて出し切って。そこから、減算法で、絞っていくということも、一般的ではないだろうか?」

 と思えた。

 特にこの事件のように、

「あまりにも不確実な状況が強い」

 ということであれば、その発想も普通にあるだろう。

 そうなると、

「共犯説」

 というのは、そんなに突飛なことでもないので、その発想から考えた時に、辻褄が合ってくるようであれば、それも有力な説として、ありえることなのではないだろうか?

 それを考えると、

「今回の事件で、もし違ったとしても、共犯説は、かなり深くかかわってくることになるだろう」

 と思えたのだった。

 とにかく被害者は、今のところ、

「特定されてはいるが、その正体が分かっていないので、捜査上では、まだ特定されていないというのと同じではないか?」

 ということであり、今のところの捜査で、先決なこととしては、

「被害者の実質的な特定」

 ということと、

「犯行現場もハッキリわかっていないということでの、犯行現場の特定」

 ということになるのだろう、

 もちろん、捜査が進む中において、徐々にその方針が少しずつ変わってくることは、当然のごとくであろう、

 なぜなら、あまりにも不確実すぎる状況ということだからであり、警察も、まだ初動捜査の延長くらいにしか思っていないだろう。

 そんな状態において、事件が急転したのが、事件が発生してから、1週間くらいが立った時であった。

 その男が現れたのは、犯行現場近くの交番に出頭してきたことだった。

 出頭といっても、

「自首してきた」

 というわけではない。

 本人曰く、

「その事件のことを知っている」

 といういわゆる、

「目撃証言」

 というものであった。


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