第2話 第一の殺人
空気がまったく動いていないといってもいい様子が、どれだけ続いたのか分からない。
そういえば、最初に発見した人が、自分の中でパニックになりながら、頭の中で、昔のアニメを思い出していた。
そのアニメというのは、毎回の一話完結だったのだが、ある街が、紫色の幕のようなものに覆われていて、実際には、その色が見えたわけではなく、テレビを見ている人に分かりやすくするために着けていただけらしいのだが、その世界に入り込むと、そこは凍り付いた世界であり、誰も、まったく動いていないという話だった。
しかし、実際には、
「誰も動いていない」
というわけではなく、
「あまりにも遅いスピードで時間が進行している」
という世界だったのだ。
地球侵略を企む、宇宙人によって、そんな世界が作られたということであったが、この事態を最初に発見した男性は、そのことがなぜか頭をよぎって、考えるということから離れないのであった。
それを考えていると、
「そう簡単に我に返れるわけはない」
ということで、身動きができない自分というものを、何とか、自分自身で納得させようという感覚だったのだろう。
そんな中で、一人が、この金縛り状態から抜けると、つられるように、他の人も抜けることができて、今度は、生の状態で恐怖が襲ってきたのだが、身体が動ける分、
「何とかしないと」
と思えるようになった自分を、
「ここで逃げては却って、どうすることもできない」
と考えることで、何をするべきかということを真剣に考えた。
しかし、真剣に考えるまでもなく、
「とにかく、警察」
ということは分かり切っていて、一人がスマホを取り出して、 110番したのであった。
警察はそれからすぐにやってきた。
一瞬刑事も、この
「自粛警備隊」
というのを見て、驚いた様子だったが、今はやりということで、別に驚くことでもなく、本当に一瞬だったのだ。
刑事二人と、鑑識がやってきていたが、まずは、鑑識捜査が初動捜査の基本ということで、静かに、そして、厳かに、時を刻むように、その場の捜査が行われた。
まるで、
「刑の執行がされているかのようだ」
という雰囲気にさっきまでのどれとも違う緊張感に、
「自粛警備隊」
の連中は、一か所に集まって、鑑識捜査を見ていた。
鑑識が、一言の発することなく、厳粛に、しかし、まるで、形式的に動いているようにしか見えなかったが、実際には。その様子をまわりから刑事が見ていて、テキパキと指示を出している。
ただ、その指示が的確かどうかわかったものではないが、見た目では、的確に見えていたというだけのことであった。
刑事は、その様子を見ながら、顔は真剣であるが、慌てている様子はまったくない。
「刑事までもが、形式的に見える」
というほどで、
「やはり、刑事というのは、百戦錬磨なんだな」
と、警備隊の面々は、
「さすがにそこだけは、リスペクトせざるを得ない」
と思ったことだろう。
警察が、来てからどれくらいだろうか? 一人の鑑識官が、刑事に向かって。
「凶器は、背中に刺さっているナイフで間違いないでしょうね」
といって、突き刺さったままのナイフはそのままにしていた。
さすがの警備隊の面々も、
「鑑識も刑事もナイフを抜かない」
ということは分かってたことだ。
理由としては、
「ここで抜いてしまうと、解剖の時に、犯行当時の事情が分からなくなる」
ということと、
「もし、抜いてしまえば、そのあたりに血が噴き出して、汚れてしまい、鑑識捜査の妨げになったり、発見できるものが間違った形で認識される」
ということになってしまうということであろう。
それを考えると、ナイフを抜くわけにもいかない。
そもそも、死後硬直が始まっているだろうから、抜こうとしても、抜けないということも十分に考えられるだろう。
「死亡推定時刻は?」
と刑事が聞くと、
「そうですね、死後、5,6時間というところでしょうか?」
ということであった。
刑事も、警備隊の連中も、みんな同時に、時計を確認した。今の時間が、午後9時くらいだから、
「時間的には、昼下がりから、夕方になるかならないか」
ということになるであろう。
それを考えると。
「この時間というのは、普段なら、学生が帰宅する時間か」
と、普通の毎日を思い浮かべたが、今は学校は休校で、しかも、街は、
「緊急事態宣言中」
ということである。
誰もが、
「前は活気があったな」
と思ったことだろう。
「そして、なんで俺たちがこんなことしないといけないんだ」
とばかりに、また、毎回考える同じ思いに立ち返らなければいけないのかということを考えてしまうのだった。
鑑識の調べが一通り終わり、刑事がこちらにやってきた。三人の隊員の中で、一人
がリーダーということであるが、そのリーダーも決まっているわけではなく、持ち回りで毎回違うのだった。
その中で今日は、
「立川」
という男が、そのリーダーの日だった。
当然、内心では、
「なんで俺の時なんだよ」
とばかりに感じていたことであろう。
立川は、考えてみれば、学生時代から、こういう、
「持ち回り制のリーダー」
になった時に限って、
「どうして俺ばかり」
という思いをしたことが何度かあった。
もちろん、自分が何か悪いことをしたわけではなく、
「団体行動によるイベント参加などで、登山に行った時に、仲間の一人がはぐれてしまったり」
あるいは、
「海水浴に行くと、おぼれる人がいたり」
と、なぜか、立川がリーダーになった時、結構トラブルが起こったりしていたのだ。
「だったら、リーダーを最初から決めておけばいい」
ということになるのだろうが、自分たちの中に、
「リーダーになりたい」
というような、
「マウントを取りたがる」
という人はいなかった。
むしろ、
「そんな面倒なことをしないといけないのなら、俺は抜ける」
という人が多いので、
「じゃあ、交替制の持ち回りすればいいじゃないか」
と言い出したのが、何と、立川だったのだ。
最初は、
「これなら、皆公平だ」
と思っていたが、結果としては、
「自分だけが、貧乏くじを引くことになった」
ということで、
「あるある」
ではないが、
「言い出しっぺが損をする」
という、言われがちなことになっているのであった。
そのとどのつまりが、今回の、
「死体発見」
ということだろう。
もちろん、これ以上の問題が勃発しないとは限らないが、今までの他愛もないことから比べれば、死体発見というのは、本当にまれなことだろう。
「一生のうちに、死体を見るなんてこと、そんなにあるわけではない。ましてや、殺害された死体など、一生のうちに一度でもあれば、それこそ貴重な体験だといってもいいだろう」
さすがに、それを口にするのは、憚れる。
「なんて、不謹慎な」
と思われるに違いないからだ。
相手が、
「毎日のように、犯罪と向き合っている刑事であるとしても、この冗談は、冗談ではない」
と言われるに違いない。
そんな警察であるが、さすがに、事情聴取というと、あまり気分のいいものではない。
この時は、
「三人一緒」
という事情聴取であった。
それが分かった時、
「ああ、さすがに警察は、自分たちの中に犯人はいないと考えたのかな?」
と勘ぐってしまった。
もし、この中に犯人がいると思っていると、警察は、個別に事情聴取をするのではないだろうか?
というのは、
「個別に話を聞いて、それで、辻褄が合わなければ、その人が怪しい」
とも考えられるからであった。
しかし、実際には、皆一緒に聞いた。
ということは
「警察は、この中に犯人はいないと思ったから、時間短縮の意味でも、三人一緒に話を聞くことにしたのだろう」
と考えたのだ。
それを考えると、
「警察もバカじゃないな」
と思ったが、それは、あくまでも、
「この中に犯人はいない」
という結論で考えた場合であった。
ただ、立川もバカではない。
「もし、この中に犯人がいるとすれば、わざわざここで見つかるようなことはしないだろう」
と思ったのだ。
そして、
「犯人が、最初から殺意はなかったのではないか?」
ということも考えられるが、
「だったら、ナイフで刺殺というのはおかしい。最初から、殺すつもりで凶器を用意していた」
と考える方が、よほど自然ではないか?
と考えてくると、やはり、
「犯人は、この中にはいない」
と考えたとしても無理はないだろう。
となると、疑問は、
「なぜ、この男がここで死んでいるのか?」
ということであるが、一番考えられることとしては、
「この男が空き巣で、ここのどこかの店舗の人がたまたま、自分の店に、何かを取りに来たというような時、見つかったのかも知れない」
という考え方だ、
ただ、そうなると、凶器の問題や、犯人は、ここの人間ということになるのではないだろうか?
さらに、立川は、
「もう一つの仮説」
というものを立ててみた。
それは、
「空き巣複数説」
ということである。
しれにも2パターンあり、一つは、
「まったく関係ない空き巣」
というのが、
「この場所でバッティングしてしまった」
という考え方である。
というのは、
「これだけ頻繁な空き巣がいるとすれば、一つのビルを狙っている人が複数いても、無理もない。それがたまたま一緒になって、お互いの警戒心から、どちらかが、どちらかに襲い掛かり、そのどさくさで、殺されてしまった」
ということである。
犯人というのは、見つかった時を考えて、相手を恫喝するために、護身用といってもいいナイフを所持していたとしても、それは無理もないからだ。
もう一つの場合であるが、これは、複数説といっても、今のような、複数の空き巣が存在したというわけではなく、
「一つの空き巣を、数人で実行した」
という場合である。
最初に入念な計画を立てた人がいるとして、共犯が、きちんとふるまってくれるかどうか分からない。
それはあくまでも、計画者が、几帳面な性格で、共犯が、ちゃらんぽらんであれば、計画通りにはいかないだろう。
もっとも、
「それが分かっているとすれば、そんな相手を共犯にしなければいい」
ということなのだろうが、いざとなった時は、
「こいつにすべての罪を擦り付ける」
くらいのことを考えていたとすれば、理屈には合うだろう。
しかし、想像以上に、相手が、自分から言わせれば、
「間抜け」
と思っていなかったということかも知れない。
最初のうちは、何とか理性を抑えてきたが、あまりにもいうことを聞かないことで、主犯が切れてしまい、
「共犯を思い余って、刺し殺してしまった」
ということも、決して言えなくもないだろう。
ただ、この可能性はあまりにも薄い気がする。
「やはり、ここまでひどい相手を、仲間に引き入れるというのは、大きなリスクになるからだ」
といえるだろう。
もっといえば、前者の、
「それぞれの複数犯」
というのは、もっと可能性が低い。
同じところに、同じ日のしかも、同じタイミングで入るなどというのは、
「できすぎている」
というもので、
「それこそ、示し合わせての犯行ではないか?」
とさえ、勘ぐることもできるような犯罪は、信憑性としては、
「相当に薄い」
といってもいいだろう。
やはり、
「犯人複数説」
というのは考えにくい。
それに、立川は、被害者をみて,まったく違和感を感じなかったのだが、その違和感のなしというものが、
「違和感だ」
といってもいいかも知れない。
警察がどこまで考えているのか分からないが、あくまでも、まだ、
「死体が発見されて、初動の鑑識と、第一発見者から事情を聴く」
というところであろうから、警察としても、考えはあるかも知れないが、断定的なことは言えないだろう。
死亡推定時刻も、死因も、あくまでも、
「司法解剖前」
ということで、
「表に見えたことしか、言えない」
ということである。
「犯人が、誰なのか?」
ということはもちろんのこと、もっといえば、立川は、
「本当に殺害現場は、ここなのか?」
と思っているのだ。
というのは、
「争った跡がない」
ということであった。
そもそも、背中から刺されているので、被害者は、殺されるという意識はなく、いきなり刺したのだとすれば、争った跡がないのも分かるというものだ。
そして、まわりに血が飛び散っていないのは、
「ナイフを抜いていないから」
といってもいいだろう。
ということは、
「犯人は、人間の身体をよくわかっている」
ということではないか?
と思えた。
というのは、
「素人であれば、相手を殺すという殺意があったのであれば、本当に心臓を刺したかどうか分からないだろうから、何度も突き刺すくらいのことをしてもしかるべきではないか?」
ということだ。
犯人を刺し殺したとして、そのあと、もし自分が捕まったとして、
「めった刺しでは、明らかに殺意があった」
ということを認定されて、
「罪がさらに重くなるのでは?」
と考えるのは、考えすぎであろうか。
そもそも、相手を殺すことが目的だとすれば、目的が完遂されなければ、元も子もないといってもいいだろう。
やる前から、
「裁判のことまで考えている」
ということは、少し変だ。
「捕まって罪になるのが怖いくらいなら、殺人などしなければいいんだ」
と、犯人の事情も精神状態も知らないで、中立的な立場から考えれば。
「当然。それくらいのことは考えるであろう」
ということになるだろう。
警察は、捜査のプロである。
素人の立川が考えることくらいは想像しているだろう。
しかし、結局。彼らの、
「公務員」
であり、うかつな捜査はできない。
それこそ、小説の中で、探偵が鮮やかに証拠を握って。
「大団円で、事件を、見事に解決してみせる」
というようなことは、実際には小説の中でしかないことであろう。
「事実は小説よりも奇なり」
とはまさにこのことで、
「警察というものが、組織としては、雁字搦めだ」
ということになるのだろう。
立川は、刑事から、事情聴取を受ける前から、自分の独自の考えを持っていた。
ただ、
「ある程度くらいなでは、自分の意見は、警察の考えや、事件の真相から、それほどかけ離れているものではないだろう」
と考えていたのだった。
警察というのは、確かに、
「公務員」
であり、
「それだけに、公務というものがあり、それを妨害すると罪にもなる」
という一般市民にはない、
「権限」
というものを与えられている。
とはいえ、昔の特高警察のように、
「治安維持法」
というものに守られる形で、容疑者や犯人には、
「人権はない」
とまで言えるような、ひどい時には。
「拷問」
などによって、洗脳されたり、いうことを聞くようにしなければ、拷問でそのまま死んでしまうということもあったかも知れないくらいの時代があったのだ。
だから、今の民主主義の時代では、
「警察の横暴はいけない」
ということであったが、昭和の途中くらいまでは、まだまだ、捜査では、
「警察による誘導尋問」
であったり、
「強引に、白状される」
という方法を、
「アメとムチ」
を使って、誘導され、自白させられることが多かった。
「そのため、犯人でもないのに、犯人にされてしまう」
という、
「冤罪事件」
というのが、絶えなかったのだ。
取調室を閉め切って、ライトを顔に当ててみたり、机やいすを蹴飛ばして、威嚇して見たりなど、昔の拷問のようなことはなかったが、できるだけの脅迫じみたことで、白状させることもあった。
また、中には、
「お涙頂戴」
ということで、テレビドラマなどでは、
「老練の刑事による、説得」
などから、
「落としの〇〇さん」
などという異名の刑事もいたりした。
その頃は、自白させることに長けている刑事が、
「優秀な刑事」
ということであったが、今の時代は、そんな
「力技」
というのは通用しない。
そんなことをしてしまえば、それこそ、
「コンプライアンス違反」
ということでの、
「自白の強要」
となり、実際に裁判に持ち込まれると、
「警察の誘導尋問で白状しました」
と被告が言えば、事情は変わってくるのだ。
昔であれば、
「自白と、状況証拠だけで、起訴する」
ということが結構あり、有罪にもできたのだ。
それだけ、自白というものに、証拠能力が強いのだが、裁判になった時、
「自白後の、現場検証であったり、犯行の状況を取った調書では、実際には、物証ではないということで、その証拠能力は、昔のようにはなく、警察のでっちあげといって、弁護側から強い攻撃を受ける」
ということは、必死であろう。
だから、今の時代では、昔の刑事ドラマのような、取り調べ風景は考えられない。
例えば、
「取調室を閉め切る」
ということは許されない。
中で何が行われているか分からないというのは、大きな問題だからである。
さらに、昔であれば、取り調べ中に、定番として、
「かつ丼」
などが、出前として用意されているようだが、それもありえない。
一つは、
「食事で自白の強要をしている」
と思わせるからなのか、単純に、
「警察の予算が足りない」
というだけのことなのか分からないが、
「警察は、必要な食事以外は、容疑者には与えない」
というのが当たり前のようであった。
そもそも考えてみれば、まだ、その人は、犯人でもなければ、被告でもないのだ。
せめて、
「一番犯人に近い」
ということで受ける取り調べでは、
「重要参考人」
ということで、あくまでも、参考人でしかないのだ。
これが、任意ということであれば、
「出頭を拒否する」
ということだってできるのだ。
だから、容疑者として取り調べを受ける時、
「弁護士が来るまで、一言のしゃべりません」
ということだって、当たり前にあるのだった。
事件のいろいろなことを考えてみたりしたが、今回の事件は、少なくとも、一番の問題は、
「この被害者が誰か?」
ということであった、
正直、自分たちは、
「自粛警備隊」
というものを築いてはいるが、実際には、
「繁華街全般をランダムに回る」
というもので、実際には、いくつかの班が同時進行で、見回りをしている。
つまり、
「合計、十数人という人が、3人セットで、数か所を同じ時間に回っているといいうことで、8組くらいあるのだが、その面々を均等に分けて、2班で、街を東西に分けて、雑居ビルを監視する」
ということになっているのだ。
繁華街といっても、そんなに狭いところではない。一つの街の、丁目でいえば2つくらいのところになるので、そこをそれぞれで回るのだった。
だから、8組で、2組同時の時間にまわるということで、4日に一度回ってくるという計算になるのだった。
もちろん、見回っているのは、この繁華街の店長さんたちであるが、自分の店のビルを中心に回るということはない、
もちろん、自分の店がある方に振り分けられることになるが、それ以外にも、たくさんのビルの、さらにたくさんの店の、表から見るだけだが、問題がないかということを見回っているのである。
結構時間はかかるというもので、夏などは、昼間は熱すぎるので、夕方くらいの行動になるので、4時すぎくらいから活動を初めても、いくら、
「夏は日が長い」
といっても、なかなか、すぐには回れないというのが、事実であった。
そうなると、
「全部回ると、結構な時間になるので、下手をすると、日暮れくらいまでになるかも知れない」
といってもいいだろう。
ただ、今回は、ちょうど、一番最後の方のビルだったので、西日の強さの、ほとんど消えていて、差し込んでくる日差しも、
「あってない」
というようなものだった。
それを感じると。
「薄暗さの中で、死体を見つけた時の、怖さを思い出して、ゾットする」
立川も、実はいろいろな迷信や言葉というものは知っている口で、
「あの時のような、日が沈むちょっと前の状況を、逢魔が時というのだ」
ということは知っていたのだ。
逢魔が時というのは、
「読んで字のごとし」
と言えばいいのか、
「魔物に逢う時間帯」
ということである。
というのも、これくらいの時間帯が、事故が起こりやすいと呼ばれるからだということであるが、それは、スピリチュアルな話でもなんでもなく、科学的にも証明されていることであった。
この時間帯は、それまでの、西日が、まるで、
「ろうそくの消える前の勢い」
というような感じで明るかった分。完全に光が落ちる前ということで、日が暮れるにしたがって、光の屈折の問題からか、
「すべてのものが、モノクロに見える」
ということで、明るさだけではなく、色や形もしっかりしないのだ。
だから、事故が一番起こりやすい時間とも言われている。
それだけ、夜が暗いということで、昔の人も、結構事故があったりしたのだろう。
だから、この時間帯に、
「魔物が降りてくる」
ということになるのか、
「逢魔が時」
と呼ばれるのだという。
そんな逢魔が時に事件が起こったのだから、
「それは、恐ろしさというものが、増幅するというものだ」
といえるであろう、
その日は、夕日がいつもよりも、黄色く見えて、日が暮れかかった時の、ある瞬間だけ、なんとなく真っ赤に見えるような時間帯があり、その時間帯から、非常なる気持ち悪さが感じられたのだ。
その真っ赤で、
「真っ赤と言えば?」
と言われて、今までであれば、
「口紅」
「リンゴ」
などという、比較的平和なものを想像できたのに、この時ばかりはm
「血の色だ」
と思ったのだ、
それはなぜかというと、そもそも、
「緊急事態宣言」
ということで、ほとんど誰も立ち入ることのない場所であり、さらに、普段から、最低限の掃除くらいしかしていない、老朽化寸前の建物なので、埃の酷さといえば、言語道断といってもいいくらいであるだろう。
そんなところで、まだまだ暑い日が続いていたということで、埃が立つ中、さらに、乾燥している状態なので、
「風邪をひいていなくても、引いたかのように思えてしまう」
ということだ。
特に、
「今は、伝染病が流行っているから、こんな状態になっているのではないか?」
ということである。
マスクをしているのは当然で、さらに、いろいろな装備もしていた。
ただ、問題は、
「相手は、空き巣だ」
ということで、最低限の自分を守る道具くらいは持っていた、
立川は、ハンマーのようなものを持っていたが、
「こんなもの、使わないに越したことはないんだ」
ということであった。
もちろん、
「空き巣が出るような時間、いくら3人とはいえ、危ない」
ということで、深夜にはできないということだけは、全員の意見だった。
「じゃあ、早朝では?」
ということで、最初は、早朝の5時くらいに集まって、それから行ったのだが、集まってこれる人が少なくて、
「3人のうち、誰も来なかった」
という日も普通にあったりしたくらいだった。
それを考えると、
「空き巣が、誰も来なかったという日は、実際には少なかった」
この繁華街には、
「1日に1件は、必ずどこかがやられている」
ということもあった。
しかも、
「同じ店が二度やられた」
というのもあり、
「やつらは、狙い目がうまい」
と、関している場合ではないと思いながらも、どうしても関心させられる。
さすがに、
「一度入った店には、二度と入ろうとしないだろう」
ということで、
「警察の目も、黒いうちなどない」
と言ったところであろうか。
「どうすることもできない」
と、店主は言って、手を広げるしかない気持ちも分かる気がするのだった。
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