第四話 新たな世界

 黒兎はシンメトラの手が目元から離れたのを感じ、瞼を持ち上げた。

 薄れた視界の中、初めに映ったのは木製の板が一面張られた天井。

 また景色が大きく変わった。

 おそらくここは現世でも、シンメトラの作り出した精神世界でもない。シンメトラは権能を授けた後、とある王国のどこかに送ると言っていた。つまり今、そのどこかで仰向けになっているのだ。

上体を起こし真下を確認。寝ていたのは白いシーツが敷かれたベットの上だ。向かい側の壁前にはタンスらしきものが存在しており、一見寝室に見える。


(もしかして、ここは誰かの家……なのでしょうか?)

「あれ、起きた?」

「!?」


 声をかけられ、窓際に人が立っていると初めて気付く。黒兎は飛び起き部屋の隅へと移動した。


「よかった、もう目覚めないかと………って、えと……」


 身を屈めて臨戦体制に。その様子を見て相手は焦り、あわあわと両手を四方八方へ動かす。


「ご、ごめんね! 脅かすつもりはなかったの!」

「……」

「君が霧の森で倒れてるのを妹と一緒に見つけてさ、意識が無かったから家に連れ帰って看病してただけ! 何か悪いこと企んでるわけじゃないから……!」


 黒兎は相手の人物をじっと見た。元いたイギリスでは殆ど見なかった褐色肌と、長く優美な黒髪を有した女性。顔付きとやや高い身長からして歳は十八程だろうか。特徴的なのは、白単色で一切の汚れが無い礼装。宝石のトパーズに似た明るく温かい黄色の瞳だ。

 必死の表情で弁明する彼女を見て思う。


(嘘を付いている……ようには見えませんね。つい癖で警戒態勢をとってしまいました……)


 右太腿に伸ばしていた手を引っ込め、黒兎は警戒を解く。そして自身を助けたという目の前の女性に礼を言った。


「ありがとうございます、助けていただいて……そうとは知らずに早とちりしてしまいました」

「いいっていいって、お礼なんて。誤解が解けてよかった」


 ホッと胸を撫で下ろす彼女に尋ねる。


「その……名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。せめて恩人の名前ぐらいは知っておかなければ」

「恩人だなんてそんな……まあ呼ばれて悪い気はしないけどさ。えっと……私はミリデ、覚えておいて」

(ミリデ、現世にいてもおかしくない名前ですね。何故か言葉も通じていますし、別世界に来たという感覚はありません。先程のシンメトラとの会話は鮮明な夢で、実際は死んですらない……なんてことはないですよね)

「ねえ、君の名前も教えてくれる? それとどうして森で倒れていたのかも」

「私は……」


 名前を告げる寸前で思いとどまる。この場で伝えず、記憶喪失のフリでもしておいた方がいいのではと。

 シンメトラという子供の手によってあの場に送られた、なんて言っても混乱させるだけ。それにこの世界について何も知らなくても不自然に思われない。


「私、は…………」

「? どうしたの?」

「すみません、思い出せません。名前も、何故倒れていたのかも……」

「それって、記憶喪失……ってヤツ?」

「おそらく……」

「た、大変! 頭を強く打ったのかな? こういうときどうすれば……とにかく記憶が戻るまでこの家にいていいから!」


 ミリデは黒兎の傍まで近付き、身を屈めて心配そうに言った。


(まずは情報収集と行きたいところですが、ここにいるだけではこの世界のことが

よく分かりません)

「とりあえずここで……」

「すみません、一度外に出てもいいですか?」

「え?」


 黒兎の言葉を耳にして、ミリデはその黄の瞳を瞬かせる。少し強引だっただろうか、いや、情報を集めることは今最優先にすべきこと。強引なくらいでいい。


「外の景色を観察してみれば、記憶を戻す手掛かりになるかも知れません。辺りを調べさせてください」

「い、いきなり……? 確かに一理あるけど、流石にちょっと危ないような……」

 

 顎に手を当て、彼女は難しい表情をした。が、幾分かした後やや納得したような表情を見せる。


「ま、まあ、私が傍にいれば大丈夫……よね? 付いて来て。わかってると思うけど、私から離れないでよ」


 よかった、説得出来たようだ。

 手招きしながら部屋の外へと向かうミリデ、彼女の背に後から追い付き、扉から廊下へと出た。どうやら寝室があったのは二階、階段から一階へ降りながら家中を観察。

 壁や床は木製、色を塗ったレンガ式の建物が基本のイギリスとは大きく異なる。また絵画や壺といったインテリアは殆ど無く簡素な内装だ。

 すべての段を下り、リビングと呼べる場所に出る。やや広く、中央には大きな机と複数の椅子が存在し、変わった服装の少女がいた。


「ミリデ、そいつ起きたの?」

「うん、ついさっきね」


 腰下まで伸びた深紅の髪と、翠眼。纏っているのはドレスと騎士鎧を組み合わせたような特殊な衣装。体格から見てミリデより少し年下だろうか。


「でも彼女、どうやら記憶喪失みたいで……」

「記憶喪失? ……ふーん」


 黒兎の顔をじっと見たあと、ぷいっとそっぽを向く。


「あっそ」


 やけに冷たいセリフを残し、奥の部屋へと消えてしまった。


「彼女は?」

「ベレッタ、私の妹よ。ちょっぴり気難しいとこあるけど……悪い子じゃないから」

「妹……」


 髪も瞳も、肌まで色が大きく異なっていてとても血が繋がっているようには思えない。もしかして義妹、なのでしょうか……。


「あの子のことは気にしなくていいから。ほら、行こ」


 リビングから玄関へ。ミリデの背に大人しく付いて行き、家の外に出る。黒兎には今まであまり異世界に来たという実感が無く、ひょっとしたら現世に返って来たのではと思っていた程であった。

 しかし、扉の先に広がっていた光景は、黒兎の想像を大きく超えたファンタジーに満ちたものだった。

 並ぶ家々の間に伸びた石畳の道。その上を闊歩するのは現実では有り得ない生き物で。


「……なんですか。あの、大きなトカゲは……」


 鱗で覆われた体のあちこちに岩石が生えており、頭から尻尾までの長さは七メートル程度と意味不明なサイズだ。体に巻かれた太い紐で果物を乗せた荷車を引いており、その背には屈強な体の男性が乗っている。

 怪物にしか見えないが、まるで人に使われている様子。


「あれ? ああ、岩鎧トカゲのこと? 洞窟とかに住んでる地竜で、性格は温厚かつ従順。卵から育てれば簡単に懐くからよく人の手助けをしてくれるの、割とそこらで見かけるはずだよ」

「そこらで……見かける……」

「あんな風に荷車代わりだったりね。頭がそこそこ良くて頑丈で、すごく便利なんだよ」

「では……あの、飛行している生物は?」


 雲一つない空を悠々と飛ぶ翼の生えたトカゲのような生き物、一般的な鳥より一回り大きく、数体で集まって遠くへと消えて行く。


「あれは翼竜の一種。さっきのとは違って空で活動するドラゴンね、そこらを勝手気ままに飛んでるわ」

「ドラゴン……」


 口振りからしてこの世界では極一般的な生き物のよう。ファンタジー小説に出て来るような化け物が羽ばたいているものの、誰も気にする様子はない。


「それと、あそこにいる少年。干したシーツに向け、手から何か緑の紋様を出していますが……」

「え、君魔法も覚えていないの? 岩鎧トカゲとか翼竜だとかはヴェルサス王国特有の種だけど、魔法まで忘れているなんて……大分症状は深刻ね」

「魔法……ですか」

「手の平の前で浮いてる紋様みたいなのは魔法陣。緑色だから四つの基礎魔法の内の一つ、風魔法ね。洗濯物に風を浴びせて早く乾かそうとしているみたい」


 シンメトラの言葉を思い出す。

 『そこはキミがいた世界と大きく違う。剣と魔法が特徴のファンタジックな世界さ』。

間違いない、自分は今箱庭というもう一つの世界にいる。尚更言葉が通じているのが不可解だが、人を異世界に送るなんて芸当が出来るシンメトラなら、この世界の言語が英語に聞き取れるよう認識を歪めるぐらい造作も無いだろう。

 長い沈黙、そして零した。


「地竜に翼竜、魔法まで……元いた世界と、大きく異なっている」

「…………え? 元いた、世界? ……な、何言って……」

「いえ、何でもありません」


 訂正し、ミリデの瞳を冷えた目で凝視する黒兎。相手は困惑しながら告げた。


「そ、そう……ならいいんだけど。それより、それだけ記憶が無いってことはこの村のこともよく知らないんじゃない?」

「ええ、全く。教えていただけますか?」

「ここはヴェルサス王国の最東、通称廃村。どこか廃れてる雰囲気あるでしょ? この村」

「……言われてみれば」


 辺りを見回してみると、人の気配が無い捨てられた家が多く目に付く。村の人々の表情もどこか沈んでいるような。


「だから廃村。って言っても、これでも活気が戻って来てる方らしいけど……ちょっと村回ってみよっか、色々見た方が何か思い出せるかも知れないし」



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「あそこに見える建物が酒場ね……そう見えないだろうけど」

「まるで廃墟ですね」

「実際酒場として使われることは無いよ。ここの店主は随分前に他の街へ移り住んだんだってさ」


 一般的な家より二回りほど大きいその店。看板が立てられていて外装に飾り気があるものの、壁に穴が空いていたり窓が割れていたりと長い間手入れされていないことがわかる。

 ミリデは視線を別方向へと移し、北へ指を差す。


「それと、あっちにいっぱい木が生えてるの見えるでしょ。あそこが霧の森、名前の由来はいつも霧がかかっているように見えるから……だったっけ? まあいいや。あそこにいる飛びウサギってのをベレッタと捕まえに行ってたとき、君を見つけたの」

「私はあそこで倒れていたのでしたよね」

「そう。ちなみにここが廃れているのは、あの霧の森が原因だったの。あそこは魔物がよくいたらしくてさ、この村にもよく被害が出てたから」

「魔物? 口振りからして人に危害を加える生物ということでよろしいでしょうか」

「うん、人の食糧を食い荒らしたり、中には人そのものを食おうとする奴もいたらしい。まあでも心配しないで、今はいないから」

「いない……霧の森から離れたのですか?」

「いや、魔物という存在が二週間に綺麗さっぱり消失したの。それと大事なこと」


 綺麗さっぱり消失した、気になる言葉だったがミリデは間髪入れず続けて告げる。表情を変え、真剣な目付きで忠告。


「この村に南に教会があるんだけど、そこには絶対行かないで」

「どうしてですか?」

「それは……また落ち着いたら話す」


 やたら含みを持たせた言い方だった。そこまで念を押す程危険なのだろうか、教会なんて大して危ない場所だと思えませんが。

 詳しいことは分からないが、従うことにしよう。


「それで、何か思い出せたりは……」

「すみません、まだ、何も……」

「ああっ、いいっていいって! ゆっくり思い出してこ、ね!」


 慌てて宥めるミリデを尻目に、黒兎は廃村を回って得た情報を纏める。


(この村、あまり若い女性がいない? 道行く人の大体は男性、見かけても年寄りの方ばかり……)


 それに、気になる点はもう一つ。


(皆、色白。ただの偶然かも知れませんが)


「お昼どきだしそろそろ戻ろっか。家で一緒にご飯食べよ?」

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