第9話 グランド到着!

ただいまの時刻、午前9時15分。

私が今いる場所は、駅の東口。

今日が土曜日なのと時間帯が少し遅いので、会社員の人たちの姿はあまり見えなかった。

そして、特Aのみんなの姿も同様に。


まあ、集合時間の15分前だから仕方ないと思うけど。

車を出してくれたグレイソンがせっかち過ぎるんだよね。

……還暦前だからかな?

そんなこと言ったら間違いなく怒られるんだろうけど。

1人であれこれ思ってクスクス笑っていると、


「ねえ、珠明だよね?」


聞き覚えのある声がして振り返る。


「おはよう。あんたって時間にルーズそうに見えて、意外と早いんだね。」


律君が腕時計に視線を落としながら立っていた。

藍色のシンプルな長袖シャツに白のパンツ、キャンバス生地の白いショルダーバッグを肩から掛けている。

ラフでおしゃれなその格好に見惚れていると、


「他は?」


側に寄って来て、スマホをショルダーバッグから出して言った。

スマホに視線を落とす律君に、


「おはよう、律君。他のみんなは……今のところ姿が見えないんだ。」


困ったように私が言うと、


「みんな、時間にルーズ過ぎ。特に秋。俺に任せろ、とか言ってたくせに。」


大きなため息を吐いて律君は言った。


「でもまだ集合時間の15分前だから。」


私が秋君のフォローするように言うと、


「いや、秋は大体遅い。いつも決められた時間ギリギリに来るから。遅れる信武よりマシだけど。」


律君にバッサリと切り捨てられた。

そして、ショルダーバッグからイヤホンを取り出して耳に付けると、そのまま何も話さなくなる。


しばらくしてから依那ちゃんが到着した。

襟付きの白いワンピースに厚底の白いスニーカー、手元には皮で出来た光沢のある黒いハンドルバッグがあった。

ふんわりと大きめに編まれた髪を1つに束ねて左肩に垂らし、いつものようにずり落ちそうなほど大きな黒い太フチの丸眼鏡を掛けている。

その姿はどこか、いいところのお嬢様のように見えた。

もしかして、依那ちゃんの家ってお金持ちなのかな。

おしゃれで品のあるその姿に見惚れながら、ふと思う。


「おはよう。2人と早いなぁ、何分からおるん?」


依那ちゃんは私と律君を交互に見て首を傾げる。


「15分から。」


律君が片耳からイヤホンを外しながら答える。


「律君と同じくらいだよ。」


私も頷きながら律君に続いて答えた。


「ホンマ!?律は相変わらずやけど、珠明ちゃんも早いんやなぁ。」


依那ちゃんが眼鏡の向こうで目をパチパチさせて言った。


「送ってもらったからね。」


私が苦笑して言うと、


「ああ、そうなんや。お父さんに、かいな?あ、お母さんの場合もあるか。」


依那ちゃんはどこか納得したように、頷いて言った。

お父さん……っていう年齢じゃないな、グレイソンは。

私はグレイソンの顔を浮かべながら首を傾げる。


「いや、強いて言うならおじいちゃん……かな。」


……あ、しまった。

言うつもりはなかったのに、ついポロッと口から出てしまう。

これは絶対怒られるやつだ……。

ほっ、本人がいなくて良かった。

グレイソンがいないか、つい辺りを見回してしまった。


「ふむ、なるほど。おじいちゃんって場合もあるんやな!」


依那ちゃんはそんな私には気付かず、新しい発見をしたと言うようにポンッと手を叩いて言った。

それからしばらくして、25分頃に信武君がやって来る。

いつもの見慣れた白の長袖シャツに今日は黒のハーフパンツ、黒のローファーを合わせていた。

どこかの学校の制服のようなこの格好は、信武君のいつものスタイルだった。

誰が選んでるんだろう、お母さんかな。

それとも通ってる学校の制服?

いつもその格好を見るたびに不思議に思うけど、信武君や他の付き合いの長い特Aメンバーにその真相を聞いたことはなかった。


「おはよう〜。みなさんお揃いで〜。」


のんびりと、まだ少し眠気の醒めてない声で信武君が言った。


「おはよう。今日は珍しく早いんやねぇ。」


依那ちゃんがそう言いながら、私たちの和に迎え入れる。


「おはよ、信武。今日は早いんだね。あと、まだみんな揃ってないよ、秋がまだ。」


律君がスマホから視線を逸らさず、イヤホンもしたまま答えた。


「あれ〜ホントだ〜。秋、いない。秋どこ〜?」


律君の言葉に信武君が首を傾げて、キョロキョロと辺りを見回す。

どこかへフラフラと行ってしまいそうな勢いの信武君。


「まだ来てへんのや。あいつはいつもギリギリやさかい。」


その首根っこを掴んで、依那ちゃんはため息を吐いた。


「あれ〜そうだっけ?秋っていつもギリギリ〜?」


依那ちゃんに首根っこを掴まれながら、信武君はきょとんとした顔で、我関せずにスマホをいじる律君を見る。


「信武は1番最後に遅れて来るから分かんないと思うけど、秋は信武が来る少し前にいつも来る。時間ギリギリにね。」


頷きつつ、画面から顔を上げずに律君は答えた。

それからしばらくして、スマホのロック画面に表示される時計が9時29分から9時30分に切り替わった瞬間、


「おっす、はよ。みんな早ぇな!」


後ろ頭を掻きながら、のんびりと秋君がやって来る。

上下黒のスポーツウェアに、有名なスポーツメーカーのスニーカーに大きめのリュック。

体の線がくっきりとして見えて、秋君のガタイの良さがまる分かりだった。

むしろ試合に出るのは秋君だったと言われても不思議じゃないそのスポーティな服装に、私が目を見張っていると、


「あんた、今日も委員長の練習に付き合うつもり?」


依那ちゃんが私の横で呆れた視線を送る。

その視線に気付いた巧望君は、


「おう。巧望はそろそろデカい大会が近いみてぇだし、俺も道場に行く前のウォーミングアップに丁度良いしな!」


何が問題なんだと不思議そうな顔をして言った。


「秋、俺も混ぜて〜。」


信武君が秋君に抱きついて、その顔を見上げる。


「おう!大歓迎よ。っていうかシノ、お前マジでサッカーやったら良いのになー。正直、巧望のチームメイトよりシノのがうめぇって俺、思うけど。」


秋君は信武君を受け止めてニカッと笑った。


「男子ってタフなんかアホなんか、よう分からんわ。」


その光景を見て、依那ちゃんが肩をすくめる。

そんな依那ちゃんをすかさず律君が睨んだ。


「男子って言葉でひとまとめにしないでくれる?俺とあんなのを一緒にすんのも。」


あんなのと言われて指を指された秋君は、幸いにも律君の毒舌は聞こえていないようだった。

賑やかになった一行を見つめつつ、私は時間が心配になる。

スマートフォンを取り出して見ると、画面に浮かび上がった時間は9時33分。

駅から試合のあるグランドまで徒歩何分で着くのか、私は知らなかったけど早いに越したことはない。


「秋君!」


ヘッドロックをかけたりと、信武君とじゃれ合っている秋君の方へ駆け寄った。


「ん、どうした?」


不思議そうにしている秋君に、


「今、33分だけど、そろそろグランドに向けて出発しなくて良いの?」


スマホのロック画面を見せながら聞く。

すると秋君ははっとした表情になって、


「やべっ、そういやあそこは通れねえんだった。」


信武君からパッと離れた。


「みんな、悪ぃ、時間だ。行こうぜ。」


足元に置いていたリュックを持ち上げて肩にかけると、みんなを見回す。

信武君はプロレス技をかけられてボサボサになった髪を手ぐしで整えながら、ゆっくりと頷く。

白に近い灰色の髪がサラサラと揺れて、綺麗に整えられていった。

依那ちゃんは頷きつつ、厚底のスニーカーのつま先でトントンと地面を叩いた。

律君はようやくスマホ画面から顔を上げると、イヤホンを取り外して仕舞う。

私は秋君の言葉に頷いて、スマホのサイドボタンを押して画面を暗くした。

秋君がみんなが頷いたのを確認して、くるりと私たちに背を向けて歩き始める。

その背中はついて来いと言っているようだった。

右手でこいこいと合図したので、私たちもその後を追って歩き出す。

他の人の邪魔にならないように、先頭を秋君、その後ろを依那ちゃん、その横に私、そのすぐ後ろに律君、そしてその少し後ろを、のんびりと信武君が歩くという形になった。


駅の東口の真ん前にある交差点の横断歩道を渡ると、渡った先には飲食店やマンション、オフィスビルなどの様々な建物が立ち並んでいた。

飲食店とオフィスビルとの間を通る道路を進んで行くと、どんどんとオフィスビルと思われる大きなビルの数が増えていった。

そのビルたちの間を突き進んでいくと、今度は居酒屋が増え始め、その向こうには派手な看板や電飾をつけた店がポツポツと現れる。

その数はどんどんと増え、このまま進んだらいわゆる歓楽街というところで、


「本当は、ここを真っ直ぐ行った方が早いんだが通れねえ……右に曲がるぞ。」


秋君が難しい顔をして急に方向転換をしたんだ。

歓楽街はまだ午前中なので、活気はないに等しかった。

未成年が通りずらい場所とは言え、静まり返っている歓楽街をこんな風に露骨に避けるのは何でだろう。

その行動に違和感を感じたけど、聞くに聞けなかった。

だって、信武君を除いて、みんなが同じように険しい表情をしてたから。

何かを警戒するような、そんな表情だった。

そんなみんなの様子が引っかかったけど、進む足を止めることは出来なかった。

後ろを歩く律君が速く行けと言うように足を速めて歩くから。

誰よりも早く集合場所に来るようなせっかちな性格だからなのか、この先にある歓楽街に何か警戒するようなものがあってこの場を早く離れたいからなのか。

そのどちらなのかは、律君と付き合いの短い私はまだ分からなかった。


方向転換した先は、居酒屋と飲食店に加えてホテルも多く立ち並び、その並びを抜けるとさっき見てきたようなビルが増える。

そのビルの間を突き進むと大通りにぶつかった。

その大通りを東の方向に進むといきなり視界が開ける。

辺りがパッと明るくなって、その明るさに一瞬目が眩んだ後に私の目は大きな川を映し出した。

そして、その川を跨ぐように橋が掛かっていてその向こうに道路は続いていた。

その橋の下には広大な河川敷が広がっている。

大きな川の周りに広がる大きな敷地、その見晴らしの良さに息を飲んでいると、


「ほら、見ろよ。ここら一体の河川敷は落陽川河川敷って言って、その一角の、あれがフェムルFC東京U12の専用グランドだぜ。」


秋君が川に跨る橋の手前で、川の向こう岸を指差す。

その広大な河川敷の一角に、目的地のグラウンドはあったんだ。

橋を渡って目的地のグランドに到着する。

スマホのサイドボタンを押してロック画面を見ると、9時50分、試合開始の10分前だった。


「おはよう。今日は来てくれてありがとう。」


プラクティスシャツにショートパンツで靴下まで全身白で、上に黄色の5と書かれたビブスを着た巧望君が片手を上げてこっちに来た。

その巧望君の肩越しに、同じような練習着の上からビブスを着ている子たちが余裕のある表情で右側のゴールの近くで軽いウォーミングアップをしているのが見える。

左側のゴールの近くには、試合用と思われるユニフォームを着て固い表情で練習をしている子たちがいた。

おそらく右側のゴールの子たちが巧望君のチームメイト、左側のゴールの子たちは今日の対戦相手のチームの子たちだ。

服装やウォーミングアップ、選手たちの表情の違いを見ると、巧望君のチームが対戦相手のチームより格上であることがよく分かる。


「はよ、今日も練習付き合ってやっから喜べ!」


秋君がそう言って、巧望君にドーンと体をぶつけにかかる。


「はいはい。あと少ししたら試合なんだから、俺を怪我しにかかるのは止めて。」


巧望君がそれを受け止めつつ、流石の体幹で倒れずに秋君を押し戻して言った。


「委員長、調子はどうなん?相手は強いん?」


依那ちゃんが眼鏡を押し上げ、左側のゴールの子たちを見て目を細める。


「うーん、どうなんだろ。うちの方が強いけど、平均より上のチームではあるね。」


巧望君は顎に手を当てて、少し考えた後そう言った。


「タク、俺も練習一緒にする〜。」


再び、ドーンと今度は信武君にぶつかられそうになって、


「信武、その前に試合ね。」


巧望君は苦笑しながら信武君を受け止める。


「試合なんてあっという間に終わるでしょ。相手のチーム、ボロ負けして、1回ゲームしただけでメンタルやられて速攻で帰ると思う。」


律君が横目でその様子を見ながら呆れたように言った。


「律、その言い方は相手チームに失礼だろ。」


巧望君が律君の毒舌を慌てて嗜めたが、律君はしらっとした顔でグランドを見つめていた。

巧望君含め、フェムルFC東京U12ってどれだけ強いんだろう。

試合前なのに、巧望君を筆頭とした選手たちだけでなく、試合や練習を見てきている秋君たちも余裕そうな表情で緊張を感じさせなかった。

どこのチームが相手だろうと、勝利するのは間違いなくうちのチームだ。

そんな勝者の風格を、フェムルFC東京U12は漂わせていた。


「墨田、ミーティング!」


巧望君のチームメイトと思われる子が走ってきて、巧望君の肩を叩く。

巧望君は頷いてこちらに向き直る。


「悪い。そろそろ時間だ。」


ビブスのヨレを直しながら、ベンチに出来ているチームの輪に加わりたそうにそっちに視線を送る巧望君。


「おう、行けよ!俺ら、こっちで応援してっから!」


それを察して、秋君がカラッと晴れた笑みで送り出す。

巧望君は秋君を見て小さく頷くと、チームのベンチへ駆け出して行った。

流石サッカー少年、一瞬で60m程先にあるベンチに辿り着いてその輪に加わっていた。


「足、速いね……。」


思わず、私はその速さに感嘆の息が漏れる。


「タク、多分チームでもトップのスピードだから〜。」


信武君が私の横に来て、ニコニコしながら言う。

律君がその隣でカバンに手を突っ込んで、何かを探し始める。

そしてその何かを引っ張り出すと、


「ん、これ下に敷いて。服汚れなくて済むから。」


信武君や私の前を通り過ぎて、依那ちゃんの隣にいる秋君に手渡した。

深い青と赤のチェック柄で折り畳まれたマットみたいなその何かは、どうやらレジャーシートのよう。

そのレジャーシートを見て、依那ちゃんが嬉しそうな顔になる。


「ナーイス!さすが、私らの頼れる末っ子や!!私も持ってきたかってんけどな、カバンが小さ過ぎて入らへんかってん!」


律君の肩を抱き寄せて、頬にキスしそうな勢いだった。


「生まれたのが1番遅いからって、末っ子扱いしないでくれる?ていうか、依那たちみたいなめんどくさい兄弟、俺、居た覚えないんだけど。」


律君は暑苦しそうに依那ちゃんの顔を押しのけ、肩に乗っかっている腕を払いながら睨む。

まるで、黒ヒョウが牙を剥いてシャーッと威嚇してるみたいで、その姿は迫力がありながらどこか可愛かった。


「秋、端っこかして〜」


信武君がレジャーシートを広げる秋君の横に行って、両手を差し出す。

秋君はおうっと返事してそれに応じると、レジャーシートの片方の端を信武君に手渡した。


「俺たちは避けとこう。」


律君が私と依那ちゃんの腕を両手で掴んで、後ろに下がる。

しっかりと腕を掴まれて、私たちは抵抗する余裕もなく後ろに下がった。

律君は特Aの中でも小柄で細腕なんだけど意外と力が強くて、その力の強さに私は律君はやっぱり男の子なんだなあと再認識したんだ。


レジャーシートの設置が完了し、左から秋君、依那ちゃん、律君、私、信武君の順で座る。

グランドに視線を向けると、両チームの選手がそれぞれ8人、既に自分たちのポジションに着いていた。


「試合、始まるみたいやな!」


カバンを体の前で抱き抱えながら、依那ちゃんは力の入った声で言った。

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