第5話 朝の会議

部屋を出て階段へと急ぐ。

朝の会議のために、ハリスが待ってるからだ。


モーニングコールするような人だから時間に余裕があるように見えるけど、実はすっごく忙しい人なんだよ……ハリスって。


何千何万と世界に散らばる部下を持つハリスの日常は、ひっきりなしに情報が飛び交っている。

それを整理して指示を出すのは当たり前。


それに加えて、世界情勢を握っている組織の総統となれば、世界の重鎮たちと会談することも珍しくない。

その会談のため、重鎮たちのもとへ出向くこともある。


会談がなくても、自らの手で情報を掴みたいと世界各地に赴くこともあるし、常に世界を飛び回っているよ。

寝てる暇もないんじゃないかな。


今日はちゃんと寝れたのかな?


ふとそんなことを考えながら、私は階段へ向かった。

私が居候させてもらっている部屋は階の端の方で、階段は階の中央にあるために少し距離がある。


階段が目と鼻の先に現れると、私は真っ先に階段の手すりに手を伸ばした。


作りもしっかりとしているし、この太さなら大丈夫だね。

硬く重い木材が使われた丈夫な手すり、おそらくケヤキが使われているのだろう。

滑りもいいし、これはいける!


ヒョイッと勢いをつけて手すりにお尻を乗せ、勢いに任せてスイーッと下まで滑り降りる。

下まで差し掛かったところで、丁度グレイソンと鉢合わせた。


「No,15778……何をしている……。」


グレイソンは手すりに座る私を見て、困惑した表情を浮かべ、持っていたコーヒーの入ったマグカップを握ったまま固まる。

しまった……つい、いつもの癖で階段滑り降りちゃった。


怒られると思った私は話題を逸らそうと、


「グレイソン、おはようございます。さっきハリスから電話がかかってきて……グレイソンも参加で、朝の会議をしようとのことです。」


元気よく、にっこりとして言った。


「そうか、分かった。」


グレイソンは横目で私を見ると、そのまま私の前を通り過ぎていく。


ほっ、何も言われなかった……良かった。


お咎めなしでほっと胸を撫で下ろした瞬間、


「階段を、手すりを使って滑り降りるのは感心しないな。階段はきちんと足を使って降りるためにあるものだ。」


グレイソンがこちらを振り向いた。

その目には刺すような鋭い光が浮かんでいる。

うっ、グレイソン、目が怖いです。


「ご、ごめんなさい。つい、いつもの癖で。」


慌てて謝る。


「いつもの癖、か。その癖は直すべきだ。ものを正しく使えないのは時に致命傷になるからな。」


グレイソンは私から目を逸らすと、静かにそう言った。


私が何を返せば良いか分からず黙っていると、グレイソンはこちらに背を向けて歩き出す。


「全く、彼女のマナーがきちんとなってないのは、あのお方の教育の問題だろう。身寄りのない子を側に置くのはいいが……」


ぶつぶつと何か呟きながら、ダイニングの方へと姿を消した。

私は少し時間をおいて、その背中を追う事にした。


ダイニングに行くと、グレイソンは部屋の中央にあるテーブルで新聞を広げていた。

そのテーブルはとても大きくて、テーブルを挟んで左右に5人ずつで10人座れるようになっている。

テーブルの向こうの壁にはアンティークな暖炉があって、私はその暖炉に目を奪われる。


何故なら、アメリカではあまり見ないデザインでおしゃれだったから。


そもそも、私がいつも過ごしている部屋は暖炉なんてないからね。

というのも、アメリカではセントラル空調が主流なんだ。


セントラル空調というのは、建物の1ヶ所に設置した冷暖房器具により、建物全体や各部屋に冷気または暖気を送るという方法の空調。

常に建物全体が一定の室温で保たれているから、倒れそうな暑い夏も凍えそうな寒い冬も、とても快適に過ごせるんだ。


日本でもこの空調は使われていて、主にホテルやビル、病院や商業施設などの公共施設でよく使われているよ。

日本では一般の家屋には普及していないけど、アメリカでは公共施設だけじゃなくて一般の家屋にも、このセントラル空調は普及してる。


私が普段過ごしてる部屋でもこの空調は使われていて、いつでも快適な室温で過ごすことができてるんだ。

だからこれから日本の気候に対応できるか不安でもある。


でも、こたつとかに入ってみたいなっていうワクワク感もあったり、複雑……。


「何時から会議だ?」


グレイソンが新聞から顔を上げて、部屋の入り口で突っ立っている私を見た。


「えっと、特に決まってないですけど……あ!」


グレイソンの問いに答えながら、はっとする。


私、会議用のタブレットおろか、携帯すら持ってきてない。


しまった、と思いながら、


「すみません、タブレットおろか、携帯も部屋に置いてきてしまったみたいです。なので、取りに行ってきますね。」


グレイソンに背を向けて部屋を飛び出そうとする。


「いや、いい。ここにも端末はあるからな。」


そんな私をグレイソンが制した。

グレイソンが広げていた新聞を畳むと、新聞で隠れていた場所にタブレットPCが置かれている。

グレイソンは新聞を横に置くと、ダブレットPCの電源を入れキーボードに手を伸ばす。

そして、部屋の入り口で突っ立ってる私を見て、自分の横に来るように手招きをした。


私がグレイソンの横に座ると、グレイソンはホーム画面にあるcominusというアプリを開く。

それを見て私はあっと声を上げそうになった。


それはよく私がハリスと連絡を取る時に使うアプリだったから。


そこで、cominusは組織内の連絡ツールなんだって気付いたんだ。

多分、組織独自で作ったアプリなのかも。

外部からのハッキングとか情報の抜き取りを防ぐために。


そんな私を気にすることなく、グレイソンは手慣れた様子でキーボードを叩いた。

ハリスにチャットを送ってるみたいだった。

しばらくキーボードを叩いていたかと思うと、突然私の方を見て、


「さて、今から会議だそうだ。資料をコピーしてくるから、着信が着たら出てあのお方の相手でもしていてくれ。」


そう言ったかと思うと席を立って、颯爽と部屋を出て行ってしまった。


ポツンと部屋に残された私。

着信を待ってみるけど、画面に動きはない。


「まだかな?」


ふと呟くと、グゥーッとお腹が元気の良い返事をした。


「お腹、空いたなぁ。」


お腹をさすりながら宙を見ていると、ポコンッと可愛らしい音がしてタブレットPCが震え出す。

画面を見ると、着信画面でMilordの文字が。


milordって確か、イギリス英語のスラングで主人みたいな意味だったような……。

グレイソン、ハリスのことをあのお方とか言って自分の主人みたいなニュアンスでよく呼んでるから多分、この着信はハリスからかな。


受話器ボタンを押して着信に出てみる。

するとパッと画面が変わって、見慣れた顔が映った。


しっかりとした眉に特徴的な青い目に細く高い鼻、薄い唇は小さく微笑んでいる。

センター分けのダークブロンドの髪がふんわり揺れ、何とも爽やかで上品な雰囲気を漂わせていた。

間違いない、この男性は……、


「やあ、スア。日本はどうだい?楽しめてるかな。」


ハリスだ!


「ううん、まだ楽しめてないかも。観光したいのに出来てないんだ。」


私が不満げに返すとハリスが軽く笑う。


「そうかい、分かったよ。その旨をグレイソンに話しておこう、その時間を取ってあげてってね!」


そう言ってウィンクして見せると、画面外の私から見えてない方へ視線をやる。

書類か何かを見ているようだった。


やった!ハリスの言葉の感じからすると、グレイソンが連れて行ってくれるってことかな?


聞き返そうと画面を見るが、ハリスの視線は画面外のままだった。


ま、いっか。


「……あのね、グレイソンが登録してるハリスの連絡先の名前がMilordだったから、最初ハリスからのビデオ通話だったってこと分からなかったんだよね。」


そんなハリスを見ながら、ふとさっきの出来事を話してみる。

すると、ハリスは画面内に視線を戻して


「ひどいな。milordだなんて。そんなに俺ってグレイソンに嫌われてたのか……。」


口をへの字に曲げた。

意味が分からなくて、私は首を傾げる。


「milordって悪口なの?」


実は、グレイソンやハリスも使っているイギリス英語と、私が使っているアメリカ英語で全然意味が違う単語があったり、そもそもイギリス英語にしかない言い回しなんかもあったりして、私が知らない言葉があることも少なくないんだ。

ハリスなんかは生まれや育ちがイギリスで、今はアメリカで過ごしているから、イギリス英語もアメリカ英語も両方分かる。

だから、milordの意味も分かるんだと思う。


「milordは呼びかけ語で閣下や旦那様。古い言い方で、皮肉を込めたりからかって海外に旅行する人を指すことが多かった。語源は17世紀のフランスで宿屋などが、イギリスからの旅行客をもてなす時に身分の高そうにみえる人に対して、英語のmy lordにならってmilordと呼びかけるようになった。それがイギリスに伝わったものなんだ。」


偉そうなやつだと思われているみたいだ、そう言って締めくくると肩をすくめた。

悪口なのかそうでないのか、よく分からなかった。

とにかくバカとかアホとか、そういう分かりやすいような悪口ではないみたい。


カサカサと紙の擦れる音がして、ハリスの方の音かと画面をしきりに見る。


「ご機嫌よう、ミスターハリス。」


だけどその音の出どころは、私の後ろからやってきたグレイソンの持っている紙の束だったらしい。

グレイソンの口からは流暢な英語が聞こえる。

私に配慮してか、アメリカ英語だった。


「こうやって、画面越しだがお互いの顔を見て話すのは久しぶりだな、グレイソン。お前も健在そうで何よりだ。」


グレイソンが席に着いたのを見て、ハリスが優雅に微笑んだ。


「ええ、日本は平安で、五体満足で過ごせております。」


グレイソンはハリスの方を見ずに、手にしていた紙の束を私の分と自分の分とで分けて置きながら頷いた。


な、何だろう……思わず身を固くしちゃう。

この2人って独特な空気感あるんだ。

バチバチしてる感じじゃないんだけど、水面下でお互いを探り合ってるような……そんな感じがする。


「俺のこと、milordって読んでたことについてしょーじきに白状しようか?」


にっこりと満面の笑みを浮かべて、ハリスは言った。

グレイソンが静かに答える。


「貴方のことをmilordと呼んだことは、一度もございませんよ。」


あっけらかんとした言い方に、ハリスは眉を片方上げた。


「呼んでなくとも、俺の連絡先をmilordって名前で登録してるって、タレコミきたんだけど。」


グレイソンは横目で私を見た後、ため息をついた。


「ええ、それはそうでしょう。親愛なる我がミスターハリスに敬意を表しているのですから。」


その仰々しい物言いに、


「そんなの嘘だ。実は陰で俺を罵っているのを知っているんだからな!」


ぐわっとハリスが噛み付いた。

グレイソンは何のことやら、と眉を片方少し上げると、


「さて、今回のNo,15778の任務の件ですが……」


手元にあった資料に目を落として強引に会議を始めた。

そうなると、ハリスは気を取り直すしかなかった。


「さて、スア。今回君に与えた任務についてだが、手元にある資料の通り、彼らを主にスカウト対象としてくれ。俺が直接選んだ子たちだが、組織に向かないと思ったらスカウト対象から除外しても良い。逆に、スカウト対象の中に入ってなくても優秀だ、組織の力になりそうだと感じた人物も是非ピックアップしてくれて構わないよ。」


ハリスに促されて、手元にあった8枚の資料にざっと目を通す。

1枚目は今回の任務内容について書かれ、2枚目から6枚目は対象者の情報が書かれている。

そして、7枚目は補足内容が書かれていた。

そこに、さっきハリスが言った対象者以外の人物のピックアップのことも書かれていた。

2枚目に戻って対象者の情報を見ていく。


この子は男の子か。

早川秋、12歳、小学6年生。


特技は空手で、全日本少年少女空手道選手権で1年生の時から今までで5年連続優勝をしていて、大会の連覇記録を持っている。

苦手な教科は特にないが1番成績が良いのは数学で、満遍なく勉強が出来る。


なるほど、まさに文武両道!

この子の将来は、日本を代表する空手選手かも。


ページを捲って、3枚目を見る。


この子は……この子も男の子だ。

墨田巧望、11歳、小学6年生。


特技は……サッカー!

ふむふむ、全日本U12サッカー選手権大会出場常連で優勝した経験もあるサッカークラブに所属していて、レギュラー選手なのか。

そして去年、見事大会優勝を果たした。

得意な教科は国語で、読書感想文や作文が文部科学大臣賞に選ばれている。


うーん、この子も文武両道。

すごいね、サッカーで賞状を貰うだけでなく、読書感想文や作文でも賞状を貰ってるんだ!


再びページを捲って4枚目を見る。


この子は……女の子!

洌崎依那、10歳、小学5年生。


特技は、星座を見つけることと天気を当てること。

得意な教科は理科で、物理学とその中でも宇宙物理学に強い関心を持っている。


うーん、物理学と宇宙物理学に関心かぁ。

この子、地頭が良くて博識そう!


物理学は、相対性理論を発表したアルベルト・アインシュタインやアインシュタインの再来と呼ばれたスーティーブン・ホーキングなどの天才として有名な学者が研究している学問分野。

自然界に起きている色々な現象を解明する物理学。

その中でも宇宙物理学は星や銀河などの様々な天体の現象やその性質、またその全体として宇宙の性質を天文学や物理学の手法を用いて探究する学問分野なんだ。

宇宙物理学の難しいところは、物理学だけでなく自然科学全般の知識や数学などの幅広い知識が必要になるところ。


そんな難しい分野に興味を持つなんて、この子はとっても博識なんじゃないかなって思ったんだ。

まだ会ってないのに、資料を見ただけでこの子と話をしてみたいって、つい思っちゃった……。


5枚目に移る。


この子は……男の子。

宗方信武、10歳、小学5年生。


特技はサバイバル術。


……なるほど。

でも、なんで小学生なのに特技がサバイバル術なの?もっと他にあるだろうに。

書いてあることの意味が分からず、首を傾げる。

でも、特技と書いてある文の下の文に移った瞬間、その意味がよく分かった。

SEREの経験有り。

そう書かれていたからだ。


SEREとは、アメリカ軍において行われている訓練の1つ。

SEREは、Survival、Evasion、Resistance、Escapeの略でそれぞれ、生存、回避、抵抗、脱走のこと。

基本的にはパイロットを筆頭とする航空機乗組員が対象の訓練で、戦闘や事故によって航空機から脱出しなくてはならない時や捕虜にされた場合を想定して、その時のためのサバイバル術や対処方法を獲得することを目的としている。


もともと、アメリカ空軍が朝鮮戦争末期に、それまでの経験を生かすためにパイロットたちに教育するようになったのが始まりなんだけど、今では空軍以外の他の軍でもこの訓練を行なっているみたい。

危険な任務を行う兵士を対象にしている訓練なのもあって、米軍でもっとも過酷な訓練と言われてる。

訓練の中では拷問を受ける訓練もあって、腕を1本折られるか、体育座りしないと入れない箱に2日間閉じ込められるかを、自分で選択しないといけないなんていう内容の訓練もあったり……。


何にせよ、そこら辺の小学生が受けられる内容の訓練じゃないのは確かだよね。

まあ、まず米軍じゃない人間が米軍に混じって訓練すること自体が難しいから、SEREを元にした簡易なサバイバル術を学べるような訓練を受けたってことなんじゃないかな?

でも、小学生でこれなら、本物のSERE受けてなくても充分過ぎるくらいだね。

こういう人材って組織に1番欲しかったりするんだよね。

動ける人材は、たくさんいて損がないから。

うん!この子は間違いなく、スカウト最有力候補だ。


6枚目に移る。


そこであっと声を上げそうになった。


私、さっきの子の資料、SEREのことばっかりに気を取られて他の部分見てない!


5枚目の戻ろうか迷う。


ま、いっか。

資料と睨めっこしてたって、本人のことは実際顔を合わせてみないと分からないもんね。


面倒くさくなって、6枚目の方に目を通すことにした。


ふむ、最後の子だけど、この子も男の子。

なんか……女の子少ないな。


そのことを不満に思いながら、続きを目で追う。


細流律、10歳、小学5年生。


特技は作曲か……。

凸凹でこぼこというハンドルネームで、ネット上に曲を投稿している。

凸凹か……、変わった名前だなぁ。

代表曲は『Paint』か。


……待って、Paintって、この前めちゃくちゃバズった曲じゃない!?

確かMVは大手の動画投稿サイトで、再生回数1000万回は軽く越えてたはず。


慌てて目の前にあったタブレットPCに手を伸ばした。

画面の向こうで私を見つめるハリスには目もくれず、検索エンジンを出してPaint、凸凹の2つの単語を入れて調べる。

単語を入れて検索ボタンを押した瞬間、パッと画面が切り替わった。

色々な記事とともに、大手動画投稿サイトに投稿されたMVも出てくる。


その再生回数はなんと、


「4500万越えてる!?」


その数の多さに思わず目を見張った。


「4500万?何の話だい?」


ハリスの困惑した声を聞こえる。

私が驚いて固まっている隙に、グレイソンが検索エンジンを閉じてハリスとのビデオ通話画面に戻した。


「ハリス、6枚目の子すごいね……。小学5年生で4500万越えの曲作れるなんて。」


ほぅ、と感嘆とした息が漏れる。


「ああ、バンピーくんね。面白そうな子だと思って、スカウト候補に入れといたんだ。」


ハリスはにっこりとした。

バンピーくん……ハリス早速あだ名付けたんだね。


あ、バンピーっていうのは英語で凸凹を意味する単語で、スペルはbunpy。

バンピーってあだ名、凸凹と言葉の響きがだいぶ違うしあだ名としてどうかなって思ったけど、ハリス本人が気に入ってるみたいだから、指摘するのはやめた。


「それより、僕のおすすめは5枚目の子!僕だったら実際に会わなくても、スカウトするならこの子にするね。」


わざわざ資料まで見せて、ハリスはアピールしてくる。

この様子じゃ、本当にSERE受けたっぽいな、5枚目の子。

恐ろしい事実が明らかになりそうな予感に思わず身震いしながら、改めてスカウト候補の子達の情報をざっと見ていく。


彼らが他の同年代の子と比べて優れているのは、明らかだ。

ハリスたちの手によって集められた天才たち、これから始まる彼らとの関わりはどのようなものになるのだろうか。

彼らと出会うことが楽しみだった。

だけど、彼らのような才能を持っていない私は、彼らと仲良くなれるか、少し不安で気遅れしてもいたんだ。

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