花火大会1
七月十七日――。
憂鬱な梅雨が終わりを告げ、七月に入ると同時に空は澄み渡る青空が広がった。
重たく垂れ込めていた雲は消え、太陽の光が街を鮮やかに照らしていた。湿気を含んだ空気も一掃され、さわやかな風が
学校の校庭では、蝉の鳴き声がひときわ大きく響いていた。まるで一斉に夏の到来を告げるようなその声は、耳に残りうるさいほどだった。
生徒たちの間には自然と笑顔が広がり、教室や廊下には明るい声が弾けていた。
窓際の席に座る涼もまた、授業中に窓の外を見つめながら心が弾むのを感じていた。夏休みがもうすぐそこまで来ている。長い授業や宿題から解放され、自由な時間が待っている。その期待感が、胸の奥からじわじわと広がっていた。
放課後、涼は校舎を出て校庭を歩きながら、夏の計画を思い描いていた。友人たちと過ごす楽しい時間、海へ行ったり、美味しいアイスクリームを食べたりすること……。そして、美優と約束した花火大会。
夏の夜空に咲く大輪の花火が、彼の心に小さな期待の光を灯していた。
周囲の蝉の鳴き声はますます激しくなり、その音が涼の思考をかき乱すようだったが、それもまた夏の一部だと感じた。
ふと、後ろから軽快な足音が近づいてくるのを感じた。振り返ると、体操着姿の凛がこちらに向かって走ってきている。彼女の笑顔が、涼の心をさらに明るくした。
「リョウくん!」
凛が息を切らしながら声をかける。
「どうしたんだ、凛?」
涼は少し驚きながらも微笑を浮かべた。
「まだ帰ってなくてよかった。久しぶりに帰りどこか寄っていかない?」
凛は目を輝かせながら言った。
涼は頷き、「もちろん」と答える。
「じゃあ荷物取ってくる!」
凛は嬉しそうな足取りで、校舎の方に向かった。
涼も凛の後を追い、昇降口で彼女を待っていた。
しばらくして制服に着替えた凛が戻ってきた。
「お待たせ!」
涼はもたれていた靴箱から離れ、呼んでいた本を鞄にしまった。
「全然待ってないよ」
二人は並んで歩き出した。凛の軽快な足取りと涼の落ち着いた歩調が、夏の始まりの期待感とともに、穏やかな時間を紡いでいた。凛の表情には、何か大切な話があるような真剣さを感じたが、その一方で彼女の明るい笑顔が涼の心を和ませていた。
「で、どこに行くつもりなんだ?」
涼は凛の方を見ながら聞いた。
凛も涼の方を向いて可愛い笑顔で答える。
「ショッピングモールがいい! 夏に向けていろいろ買い物したい!」
「付き合うよ」
「ありがとう!」
凛はさらにご機嫌になり、鼻歌を歌い始めた。
「今日は何かいいことでもあったのか?」
「んー、あったよ!」
楽しそうに話す凛を、涼は微笑ましく思い、夏の暑さやセミの声の鬱陶しさを忘れるほど幸せな瞬間だと感じていた。
モール内はエアコンが効いていて涼しく、外の暑さを忘れるほど快適だった。モールの中には、平日だというのに家族連れやカップル、友人同士で訪れるたくさんの人々が行き交い、休日と遜色ない賑やかな雰囲気が漂っている。
「リョウくん、あの店見てみない?」
凛が指差す先には、カラフルな衣服やアクセサリーなどが並ぶファッションショップがあった。
「いいよ。入ってみようか」
涼は微笑を浮かべながら応じた。
二人は店内に入り、様々な商品を手に取りながら見て回った。凛は次々とかわいらしい服を試着し、鏡の前でポーズを取ってみせる。
「これ、どうかな?」
凛が白いワンピースを身にまとい、涼に意見を求めた。
「似合ってるよ。夏らしくて爽やかだね」
涼は戸惑いながら素直に答えた。
凛の白いワンピースは、彼女の明るい性格と相まって、まるで太陽の光を反射するかのように眩しい。
「ありがとう!」
凛は満足そうに笑い、他の服も試してみることにした。涼はその様子を見ながら、彼女の楽しそうな姿に心が和んだ。凛の笑顔を見るたびに、涼の胸には温かい気持ちが広がっていった。
その後、二人はカフェでひと休みすることにした。
涼はアイスコーヒーを、凛はフルーツジュースを注文し、涼しい店内でリラックスしていた。カフェの窓からは、モール内の賑やかな風景が見渡せた。
「リョウくん、今日一緒に来てくれてありがとう。楽しいね」
凛がストローをくわえながら言った。
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。たまにはこういうのもいいな」
涼はコーヒーを一口飲みながら答えた。カフェの静かな空間で、二人だけの時間を過ごすことができて嬉しかった。
「ねえ、次はどこに行こうか?」
凛が目を輝かせながら提案する。
「屋上庭園に行ってみる? モールの屋上にはきれいな庭園があるって書いてあったけど」
涼はマップを見た時に、屋上庭園という文字が書いてあった記憶を思い出す。
「いいね! 外の景色も楽しみたいし、行ってみようよ!」
凛は嬉しそうにうなずいた。
二人はエレベーターに乗り、屋上へと向かった。
エレベーターのドアが開くと、涼しい風とともに緑広がる美しい庭園が目に飛び込んできた。
色とりどりの花が咲き誇り、小さな池には鯉が泳いでいた。空には幾つかの白い雲が浮かび、太陽の光が柔らかく庭園を照らしていた。
「わあ、きれい!」
凛が歓声を上げながら庭園の中を進んでいく。彼女の目は好奇心で輝いていた。
涼もまた、その美しい光景に心を奪われた。庭園の緑と花々の香りが、二人の心をリフレッシュさせた。凛が花の名前を尋ねたり、涼が鯉の泳ぐ様子に見とれたりしながら、二人はゆっくりと時間をかけて歩いていた。
ベンチに腰掛け、静かなひとときを楽しむ。風がそよそよと吹き、葉のささやく音が心地よかった。周りの雑音から解放された静寂の中で、二人はそれぞれの心にある思いを共有し合う時間を過ごした。
ふと凛は庭園に来ている人が皆カップルであることに気が付いた。そんな場所に涼と二人で来ていることに凛は今更ながら緊張してしまった。
「こういう場所、落ち着くね」
涼が言った。
「う、うん! そうだね!」
緊張をごまかそうとするが、どうしても不自然さが出てしまう。
「日常の喧騒から離れてリフレッシュできる感じがする」
涼は深呼吸しながら答えた。彼の表情には安らぎが感じられ、凛はその姿をずっと横で見ていたいと感じていた。
二人の間にしばらく無言の時間が続いた。
無言の時間など普段あまり気にしない凛だが、この時だけは違っていた。
緊張のせいで何を話せばいいのか全く話題が思いつかない。普段どうやって話していたんだろうといつもの自分を不思議に思っていた。
「誘ってくれてありがとう、凛。今本当に楽しいよ」
凛は涼の言葉を聞いて反射的に言葉が出る。
「私もだよ! 一緒に過ごせてよかった」
凛は目を細め、優しく微笑んだ。
二人は笑顔を交わし、夏の始まりを告げる涼しい風に包まれながら、心地よい時間を共有した。涼はふと、自分の心がどんどん凛に惹かれていくのを感じた。凛の存在が、彼にとって特別なものになりつつあることに気づいたのだった。
そう思っていたのは凛も同じで、涼への想いが自分の中でどんどん大きくなっているのを自覚する。いっそのこと今この場で想い伝えてしまおうか……。そんな考えが凛の頭に浮かぶ。
再び沈黙が訪れる。
「……あのさリョウくん……」
「……?」
涼は凛の真剣な表情に少し驚きながらも、凛の方をしっかり見ていた。凛も涼の目をしっかりと見つめる。
「私、リョウくんのことが好き……」
その言葉は、風の音と共に静かに涼の心に響いた。
涼は一瞬言葉を失い、頭の中で凛との思い出が次々と浮かんだ。彼女の笑顔、元気な声、ふとした瞬間の優しさ。涼は胸の中で様々な感情が交錯するのを感じた。
彼女の耳が真っ赤になっているのが涼にはとても可愛らしく思えた。
「リョウくん、何か言ってよ……」
凛の声には焦りが混じっていた。彼女の瞳には不安と期待が交錯していた。
涼はゆっくりと呼吸を整えた。
「ちょっと驚いてしまって……」
彼は凛の瞳を見つめながら、自分の気持ちを整理しようとした。しかしこれまでにない胸の高鳴りが、凛の表情が、凛との距離が、そしてさっきの凛の言葉が全て涼の思考能力を低下させていた。
凛は微笑みながら、けれども少し緊張した声で続けた。
「私、リョウくんと一緒にいると本当に楽しいんだ。いつも元気をもらえるし、リョウくんのことをもっと知りたいって思うの……」
涼はその言葉に心を動かされた。彼自身も、凛と過ごす時間が特別だと感じていた。だが、告白という重大な瞬間に直面するのは初めてだった。そして彼は自分の中で答えを出した。
「凛、俺も君と過ごす時間が好きだよ。俺も凛のことが……好き……だ」
涼は真剣な表情で彼女に伝えた。いざ言おうとすると緊張してしまって凛の顔をまっすぐ見られなかった。言葉も頭の中では出てきているのに、なかなか発することができずとぎれとぎれになってしまっていた。
涼の返事で凛の顔が驚きと喜びで輝いた。
「本当? リョウくん、本当に?!」
「うん、本当に」
涼は微笑みながら頷き続けた。
「凛と一緒にいると、毎日が楽しくて、明るくなるんだ。だから、俺も凛ともっと一緒にいたい」
凛の目には涙が浮かんでいたが、彼女は幸せそうに微笑んだ。
「リョウくん、ありがとう!」
「あ! そういえばリョウくんと花火見に行きたかったんだ! 今月の花火大会一緒に行きたい!」
凛は思い出したかのように花火大会の話題をし始めた。
涼は美優に誘われていた花火大会と、今凛に誘われた花火大会は同じものかと思った。
いつもは先約を優先する涼だが、今回ばかりは違う。凛という大切な人からの誘いで、それを断ったうえで別の女の子と行くなんて涼には考えられなかった。美優には申し訳ないが後で断っておこうと考えていた。
「いいよ! 一緒に行こう」
「やった! ずっと行きたかった花火大会だからリョウくんと行けるの嬉しい!」
「俺も」
凛は幸せそうにニコニコと笑っている。それを見て涼も心が癒される。
「……はい!」
凛が右手を涼の前に急に差し出した。
「何?」
「……手、繋ぎたい……です」
凛は顔を向こうに逸らし照れているのをバレないようにした。涼は彼女の手を取った。
指を絡ませて、凛は涼の方にもたれかかる。
彼の手の温かさに、凛は安心感と幸福感を感じた。涼も同じ気持ちだった。
その後しばらく二人はその状態で座っていた。
西日が二人の背中を優しく照らし、彼らの新しい始まりを静かに見守っていた。風が再び穏やかに吹き、花々が祝福するように揺れていた。
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