第14話(後半)
ほどなく、魔法合戦が始まった。ニナと年長の男のあいだに火球が飛び交い、稲妻が走り、凄まじい吹雪が舞う。アリーネと他の男二人はそれぞれの攻撃魔法手の補助に回っているらしく、互いの攻撃がどれもすんでのところで届かないのは、どうやら彼女と彼らの防御魔法のお陰らしい。ただ、ティルザの見たところ、相手の手数の方がやや多く、こちらの方がいささか押され気味であるように思われた。
「ちょっと分が悪い。ティルザ、何とかして」アリーネが正面に意識を残したまま、わずかに振り返って言った。
「……無茶言うな。全身あちこち刻まれて、ただ立つのも厳しいのに……」何とか這って、魔法の盾に守られているらしい二人の後ろに避難していたティルザが虫の息で言った。
「仕方ないわね」
アリーネは横向きにさっと屈んで、メイスから片手を離し、その手をティルザの身体に近づけた。メイスは前に向けたまま、素早く何かつぶやく。ティルザは全身の血が一時にたぎったような感覚をおぼえ、思わず呻き、身体をのけぞらせた。しかし、その苦痛は一瞬のことで、その熱が退いた時、彼女の各所の傷の痛みも半ば治まっていた。
「……だいぶ楽になったけど、まだ痛い。もっときちんと治してくれ」ティルザが、塞がりきらなかった腕の傷の一つをペロリと舐めて言った。
「贅沢言わない。そこまでの暇はないわよ」既に立っているアリーネが、相手の攻撃魔法手の杖の頭に火の球が見る見る盛り上がってゆくのを見ながら、早口に言った。
ティルザが床を蹴って駆け出した。芸もなく、敵の方へと走り向かってゆく。二十前の男が唱えかけの呪文を中断し、杖の頭をティルザに向けた。さっき彼女に蹴られたことを根に持っているらしく、その表情は憎々しげだ。他の男二人はそれぞれ一瞥を与えただけで、ニナの相手に忙しい。
二十前の男が、改めて何か呪文を唱えだした。ティルザは駆けながら、剣を振りかぶった。と、男の両目が一杯に見開かれ、なぜか発声が止まった。彼はすぐに詠唱を再開したが、何を焦っているのかしどろもどろだ。
ティルザが間近まで迫った時、彼の杖先に魔法の太針が数本、現れた。しかしその太針は、どれも宙を走り飛ぶことなく、その場にポトリと落ちた。呪文の詠唱中に集中を失ったせいだろう。ティルザは剣を振り下ろし、あっさりと相手を両断した。
「チッ、使えぬ奴。これだから童貞は」
三十代半ばと思しき男が身体の向きを変えながらそう言って、ティルザに対し、魔法の礫を放ってきた。礫の数は大量で、ティルザも全ては避けきれなかった。ただ、その威力は強力とまでは言えず、肉がもげそうなほどではない。彼がこれまで攻撃は全てボスに任せて、自分はその補助にのみ回っているゆえんだろう。
といって、礫は礫で、やはり当たれば、痛いは痛い。ティルザは頭だけは守りつつ急いで退いて、また二人の女の後ろに隠れ込んだ。
一息ついて、彼女はハッとした。上衣の前面が下に巻いた白布ごと大きく破れて、豊かな乳房が丸出しになっていたのだ。最初に食らった風の魔法で生地に元々裂け目が出来ていて、若い男を斬るために剣を振りかぶった時に、パックリ開いてしまったのに違いない。ティルザは普段邪魔にしか感じない脂肪の塊の価値について改めて考えつつ、上衣の袖から両腕を抜いて、その前後をひっくり返した。
「何かあんた格好が珍妙ね。襟元も腕回りも変に窮屈そう」アリーネがちらと振り返って言った。
「そんなことはいいから、早くまた回復魔法を掛けてくれ。ちょっとは余裕できたろ」ティルザが礫に打たれた二の腕をさすりながら言った。
倒した若い男は、おそらく三人の男の内では最弱であったろう。しかしそれでも彼の脱落は、元より僅差の力関係の天秤をやはり僅差ながら反対側に傾けるのには充分で、ニナの攻勢が徐々に相手を上まわっていった。今やフードから覗く彼らのどちらの表情にも大粒の汗がだくだくと伝い、もはやその防御が破られるのは時間の問題と見えた。
「あれを放って、奴らにけしかけろ!」年長の男がじりじりと後退しつつ、叫ぶように命じた。
「待ってください、部長! 部長もご承知のとおり、あれはまだ調教が」三十代半ばと思しき男が嘆くように答えた。
「他に手があるか? このままじゃ、どうせジリ貧じゃぞ」
「……わかりました。ご指示のとおりに」
男が奥の壁に向かって駆けた。壁には鉄製の引き戸がついていて、彼は急いでそれを開けて、中へと入っていった。
すぐにガシャリと暗い奥から、頑丈な錠を開けた時の乾いた音がした。それからギーッと滑りの悪い蝶番が鳴る音がして、やがて、石の床の上を鉄の鎖を引きずる重そうな音が忙しなく断続的に響いてきた。
ニナはもちろんその間も攻撃を止めなかった。年長の男は今や、攻撃も防御も一人で請け負わねばならず、いよいよ苦しそうだ。そして、ニナの一弾が、ついに男の薄い顎をとらえ、彼はその場に崩れ落ちた。その氷弾の威力は防御魔法と相殺されて大したこともなかったが、当たり所が当たり所で脳震盪を起こしたらしい。彼は完全に気を失って、当分は起きる気配もなさそうだった。
三十代半ばと思しき男が再び部屋に姿を現した。綱引きの要領で後ろ向きに腰を落とし、やはり鉄の鎖を引きずっている。ほどなく現れた鎖の先には何か生き物が首輪に繋がれていて、それは人間の女の上半身に大蛇の胴体から尻尾までをくっつけたような得体の知れない化け物だった。
化け物は、うつ伏せに引きずられるままに任せて、まるで動かなかった。ただ、呼吸をしている気配はあって、死んでいるわけではなさそうだ。男が傍のバケツを取って、中の水を頭にぶっかけると、化け物はむくりと上半身を捻りつつ起こし、まさに人間のものらしい両の目で部屋の中をぼんやりと見回した。
意外なことに、化け物は美人だった。布を巻いただけの胸は薄いが、顔立ちは実に整っている。これだけの美貌の持ち主は、繁華な街の目抜きを探してもなかなか居ないだろう。ただ、その髪型は独特で、ソーセージほどの太さに纏められた無数の長い髪束が乱れ絡みながら八方に伸びている。そしてそれらは実際のところ髪の毛ではなく、一本一本が自立して動く、緑色の蛇だった。
「何よあれ、気色悪っ。ちょっとティルザ、早く行って、やっつけて来なさいよ」アリーネが身体を震わせ、肩をすぼめながら言った。
「やだよ。あんなの相手にしたくない。あたしだって気色悪いわ」ティルザは眉をしかめて、即座に断った。
「仕方ないわね。じゃあニナ、あなたの魔法で、あの蛇女も男達もさっさと一緒に燃やし尽くし――ニナ、どうしたの?」
ニナは顔色を失い、呆然として蛇女を見つめていた。完全に手を止め、口を閉ざし、棒立ちになっている。そして、唇をわななかせながら、一言、つぶやいた。
「……姉さん」
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