第14話
ニナがまた先に立って、歩を進めた。辺りはしんとして、三人の足音より他には何も聞こえない。進むにつれて、壁の灯りの間隔が短くなってゆき、やがてその種類もロウソクからランタンに変わった。
突然遠くから、鶏の鳴き声がした。この先に鶏舎でもあるのだろうか。魔法使いの男達が卵を自給する為に飼っているのかもしれない。やがて、通路沿いの壁に、鉄格子の小窓のついた分厚そうな扉を見つけた。どうやら鳴き声の主は、その中に居るらしい。
アリーネが壁のランタンを取り外し、小窓から中を照らしてみた。けたたましい鳴き声が上がり、ぶつかってきたらしく、扉が内側からドンと鳴った。キャッと叫んだアリーネが、ゾッとした顔をして振り返り、吐き捨てるように言った。
「気色悪っ!」
中に居たのは、鶏に何か爬虫類を掛け合わせたような異形の生き物だった。具体的に言うと、大トカゲに似た胴体に、赤いトサカのついた白い頭を載せている。また、蛇のような長い尻尾を垂らし、威嚇の為に開いた翼はワインの大樽をすっぽりと包んでしまえるほどに広い。そして背丈は、アリーネと変わらぬほどあり、灯りに輝く血走った眼は、何とも憎々しげで不気味だった。
三人はその場を離れ、先へと向かった。通路の両側に、さっきと同様の部屋が隣り合って続いている。その多くは空き部屋だったが、時々、何か生き物がどれも一匹だけで閉じ込められていた。
ある部屋には、乳牛の模様をしたサイが居た。ある部屋には、ペリカンのくちばしと咽喉ぶくろを持ったチンパンジーが。また、ある部屋には、雄のライオンらしき身体にロバの頭とガチョウの足をつけたキテレツな生き物が。
「こいつら全て、既知の動物同士の合いの子よね」アリーネが、また別の部屋の中を覗き込みながら、不快げに言った。
「……たぶん」背伸びしたニナが、同じ格子窓にアリーネと頭を並べて、ポツリと言った。
「私の知るかぎり、自然界にこんなものどもは居ないはずだけど……」
「ここに巣くった男達が、人工的に造り出したんだと思います」
「最近の魔法使いは、そんなことも出来るの?」
「いにしえに、それを可能にする魔法があったことは確かです。ただ、それは禁忌とされた魔法で、その発動方法自体、既に失われているはずなんですが……」
やがて、通路の最奥に辿り着いた。行き止まりの壁に、鉄製の広い扉が嵌っている。目当ての部屋は、どうやらここらしい。
ニナが把手を引いてみた。ピクリとも動かない。中からしっかりと鍵が掛かっているようだ。彼女は少し考えてから、何か呪文を唱えだした。
「――イグナイト・イクスプローシブス」
激しい爆発が眼前に起きて、扉が壁ごと吹っ飛んだ。煙と埃の向こうから、狼狽して立ち騒ぐ男達の声が聞こえる。アリーネが、被った砂礫を払い落しながら、ニナに不平を言った。
「あんた、攻撃魔法は得意じゃないって言ってたわよね。この嘘つき」
「嘘じゃないです。他の種類の魔法に比べると、本当に苦手です」
やがて視界が晴れてきて、三人は中へと踏み込んだ。縦横共に二十メートル以上はありそうな広い部屋だった。その真ん中あたりに、色々と食べかけの食事の載ったテーブルが置かれ、その周りを黒ローブを着た四人の男達が囲んでいた。
左右手前の三人は皆、椅子を倒し、立ち上がり、驚いた目でこちらを見ていた。奥の一人だけは椅子に端然と座ったまま、驚いたふうも怒ったふうもなく、静かに食事を続けている。ざっと見たところ、それぞれ年齢は二十代、三十代、四十代、五十代といった感じでバラバラで、奥の男がやはり一番老けていた。
「食事時にお邪魔して、すいません。で、私の姉はどこに居ますか?」ニナが、部屋の中を見まわしながら、慇懃に訊いた。
「な、何者だ!」テーブルの左に立つ四十代と思しき男が上ずった調子で叫んだ。
「私の質問に答えてください。姉さんはどこ?」
「お前が俺の質問に答えろ。お前達は何者だ!」
二人のやりとりを無視して、最年長の男が何か一人でモゴモゴと口を動かしはじめた。見ると、テーブルの下で、膝に倒した木杖を右手で強く握りしめている。気づいたアリーネが「ティルザ!」と呼びかけ、その意図を適切に察したティルザはすぐに剣を抜きつつ駆け出した。
見る見る寄せてくるティルザに、テーブルの手前に居る二十代と思しき男が立ち塞がった。男は咄嗟のことに慌てたのか、床に自分の杖を転がしたまま、その手にはテーブルから取り上げたバターナイフを持っていた。ティルザは訳なくそいつを蹴り退けると、剣を振りかぶりつつ、テーブルの上に踊り上がった。
しかし、剣を振り下ろすより、相手の詠唱が終わる方が一瞬だけ早かった。途端に猛烈な突風がティルザを襲い、彼女は椅子やテーブルごと入口近くまで吹っ飛ばされた。背中からもろに落ちて、息が詰まった。服もろとも切り裂かれ、身体のあちこちに深い切り傷が出来ていた。
「……い、痛い。死にそうに痛い……アリーネ、私を助けろ……」
「いま忙しい。後でね」
アリーネが、ティルザの方をちらとも見ずに、前を向いたまま何か呪文を唱え始めた。ニナも既にぶつぶつと、集中した表情で何やら口ずさんでいる。男達も同様にそれぞれ杖を掲げて詠唱に掛かり、室内は芝居の本番前の楽屋のような一種異様な雰囲気に満たされた。
ほどなく、魔法合戦が始まった。ニナと最年長の男のあいだに火球が飛び交い、稲妻が走り、凄まじい吹雪が舞う。アリーネと他の男達はそれぞれの攻撃魔法手の補助に回っているらしく、互いの攻撃がどれもすんでのところで届かないのは、どうやら彼女と彼らの防御魔法のお陰らしい。ただ、ティルザの見たところ、相手の手数の方がやや多く、こちらの方がいささか押され気味であるように思われた。
「ちょっと分が悪い。ティルザ、何とかして」アリーネが正面に意識を残したまま、わずかに振り返って言った。
「……無茶言うな。全身あちこち刻まれて、ただ立つのも厳しいのに……」何とか這って、魔法の盾に守られているらしい二人の後ろに避難していたティルザが虫の息で言った。
「仕方ないわね」
アリーネは横向きにさっと屈んで、メイスから片手を離し、その手をティルザの身体に近づけた。メイスは前に向けたまま、口早に何かつぶやく。ティルザは全身の血が一時にたぎったような感覚をおぼえ、思わず呻き、身体をのけぞらせた。しかし、その苦痛は一瞬のことで、その熱が退いた時、彼女の各所の傷の痛みも半ば治まっていた。
「……だいぶ楽になったけど、まだ痛い。もっときちんと治してくれ」ティルザが、塞がりきらなかった腕の傷の一つをペロリと舐めて言った。
「贅沢言わない。そこまでの暇はないわよ」
アリーネが、相手の攻撃魔法手の杖の頭に火の球が見る見る盛り上がってゆくのを見ながらそう言って、また何か新たに呪文を唱え始めた。
ティルザが床を蹴って駆け出した。芸もなく、敵の方へと走り向かってゆく。一番若い男が唱えかけの呪文を中断し、杖の頭をティルザに向けた。さっき彼女に蹴られたことを根に持っているらしく、その表情は憎々しげだ。他の男達はそれぞれ一瞥を与えただけで、ニナの相手に忙しい。
若い男が何か新たな呪文を唱えだした。ティルザは駆けながら、剣を振りかぶった。すると、若い男の両目が一杯に見開かれ、なぜか発声が止まった。彼はすぐに詠唱を再開したが、何を焦っているのかしどろもどろだ。
ティルザが間近まで迫った時、彼の杖先に魔法の太針が数本、現れた。しかしその太針は、どれも宙を走り飛ぶことなく、その場にポトリと落ちた。呪文の詠唱中に集中を失ったせいだろう。ティルザは剣を振り下ろし、あっさりと相手を両断した。
「チッ、使えぬ奴。これだから童貞は」
四十代と思しき男が身体の向きを変えながらそう言って、ティルザに対し、魔法の礫を放ってきた。礫の数は大量で、ティルザも全ては避けきれなかった。ただその威力は強力とまでは言えず、肉がもげそうなほどではない。彼がこれまで攻撃は全てボスに任せて、自分はその補助にのみ回っているゆえんだろう。
といって、礫は礫で、やはり当たれば、痛いは痛い。ティルザは頭だけは守りつつ急いで退いて、また二人の女の後ろに隠れ込んだ。
一息ついて、彼女はハッとした。上衣の前面が下に巻いた白布ごと大きく破れて、豊かな乳房が丸出しになっていたのだ。最初に食らった風の魔法で生地に元々裂け目が出来ていて、若い男を斬るために剣を振りかぶった時に、パックリ開いてしまったのに違いない。ティルザは普段邪魔にしか感じない脂肪の塊の価値について改めて考えつつ、上衣の袖から両腕を抜いて、その前後をひっくり返した。
「何かあんた格好が珍妙ね。襟元も腕回りも変に窮屈そう」アリーネがちらと振り返って言った。
「そんなことはいいから、早くまた回復魔法を掛けてくれ。ちょっとは余裕できたろ」ティルザが礫に打たれた二の腕をさすりながら言った。
倒した若い男は、おそらく四人の男の内では最弱であったろう。しかしそれでも彼の脱落は、元より僅差の力関係の天秤をやはり僅差ながら反対側に傾けるのには充分で、ニナの攻勢が徐々に相手を上まわっていった。今やフードから覗く彼らのどの表情にも大粒の汗がだくだくと伝い、もはやその防御が破られるのは時間の問題と見えた。
「あれを放って、奴らにけしかけろ!」最年長の男がじりじりと後退しつつ、叫ぶように命じた。
「待ってください、部長! 部長もご承知のとおり、あれはまだ調教が」四十代と思しき男が嘆くように答えた。
「他に手があるか? このままじゃ、どうせジリ貧じゃぞ」
「……わかりました。係長、ご指示のとおりに致せ!」
三十代と思しき男が、奥の壁に向かって駆けた。壁には鉄製の引き戸がついていて、男は急いでそれを開けて、中へと入っていった。
すぐにガシャリと暗い奥から、頑丈な錠を開けた時の乾いた音がした。それからギーッと滑りの悪い蝶番が鳴る音がして、やがて石の床の上を鉄の鎖を引きずる重そうな音が忙しなく断続的に響いてきた。
ニナはもちろんその間も攻撃を止めなかった。相手はさらに一人が戦闘から外れ、いよいよ苦しそうだ。そしてニナの一弾が、ついに相手の攻撃魔法手の薄い顎をとらえ、彼はその場に崩れ落ちた。その氷弾の威力は防御魔法と相殺されて大したこともなかったが、当たり所が当たり所で脳震盪を起こしたらしい。彼は完全に気を失って、当分は起きる気配もなさそうだった。
三十代と思しき男が再び部屋に姿を現した。綱引きの要領で後ろ向きに腰を落とし、やはり鉄の鎖を引きずっている。ほどなく現れた鎖の先には何か生き物が首輪に繋がれていて、それは人間の女の上半身に大蛇の胴体から尻尾までをくっつけたような得体の知れない化け物だった。
化け物は、うつ伏せに引きずられるままに任せて、まるで動かなかった。ただ、呼吸をしている気配はあって、死んでいるわけではなさそうだ。男が傍のバケツを取って、中の水を頭にぶっかけると、化け物はむくりと上半身を捻りつつ起こし、まさに人間のものらしい両の目で部屋の中をぼんやりと見回した。
意外なことに、化け物は美人だった。布を巻いただけの胸は薄いが、顔立ちは実に整っている。これだけの美貌の持ち主は、繁華な街の目抜きを探してもなかなか居ないだろう。ただ、その髪型は独特で、ソーセージほどの太さに纏められた無数の長い髪束が乱れ絡みながら八方に伸びている。そしてそれらは実際のところ髪の毛ではなく、一本一本が自立して動く、緑色の蛇だった。
「何よあれ、気色悪っ。ちょっとティルザ、早く行って、やっつけて来なさいよ」アリーネが身体を震わせ、肩をすぼめながら言った。
「やだよ。あんなの相手にしたくない。あたしだって気色悪いわ」ティルザは眉をしかめて、即座に断った。
「仕方ないわね。じゃあニナ、あなたの魔法で、あの蛇女も男達もさっさと一緒に燃やし尽くし――ニナ、どうしたの?」
ニナは顔色を失い、呆然として蛇女を見つめていた。完全に手を止め、口を閉ざし、棒立ちになっている。そして、唇をわななかせながら、一言、つぶやいた。
「……姉さん」
落魄聖女の逃避行録 小鷺田涼太郎 @kosagida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。落魄聖女の逃避行録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます