第15話(上)

 蛇女がこっちを向き、うろんな目でもって、三人の女を順に見回した。一瞬目の合ったニナはその肩をビクッと震わせ、表情をますます青くしたが、相手の方は特段の反応も示さず、さらにその視線をゆっくりと何処とも知れずあらぬ方へと移していった。

「お前の親の片方は蛇だったのか? いや、それとも姉とは腹違い?」不思議そうな顔をしたティルザが、ニナの方を見ながら訊いた。

「馬鹿なこと言わないで。あれは明らかに何らかの操作によって人為的に造られたもの。人間が蛇の子を産めるわけないでしょ」アリーネが、呆然と立ち尽くしているニナに代わって答えた。

「何らかの操作って何だよ」

「それは……」

 ティルザとアリーネは、失神している年長の男の傍に走り寄り、彼を文字どおり叩き起こした。薄く目を開けた視界に敵の女がいきなり間近に映って、男は驚き暴れかけたが、首元にひやりと冷たい感触を得て、すぐに大人しく黙り込んだ。アリーネが自らのはやる心を抑えつつ、あえて落ちつかせた声音で訊いた。

「あれはどうやって造ったの?」

「……答えたところで、どうせ儂は殺されるのじゃろ」

「正直に話せば、一瞬で楽に死なせてあげる。話さなければ、話すまで拷問し続ける。想像力の限りを尽くした地獄の責め苦を味わわせてあげる」

「……五年程前、ある遺跡の地下において、一群の古文書が発掘された。どうやら、既に滅びたある宗教の聖職者らによって書かれたものらしい。我らはそれを仮に、発見地名を取って、胡山文書と名付けた。そしてその内の一冊に、魔法を使う生物合成の方法が記されていた。苦労して解読して、我々はその方法を概ね理解した。ここで、その方法を完全にすべく研究していた」

「で、あの蛇女は、その成果と言うわけ?」

「いや、あれはたまたまできただけで、成果などとはとても言えない。他の人間でも何度も試したが、あれ以外は全てうまくいかなかった。やはり、人間と動物の合成は他より遥かに難しいらしい」

「どうして彼女だけ成功したのだと思う?」

「わからん。ただ、あの女は他と違って、多少の魔力を持っておった。あるいはそのことが関係していたかもしれぬ」

「そもそもあなた達は何者なの? 何を目的としてこんなことをしているの?」

「我々はナハート教団の者。全ての民をナハート神の下僕とすべく活動している」

「生物合成の研究は何のために?」

「知れたこと、物理的な戦力を得るためだ」

「どうして布教活動に暴力装置が必要なのよ。その教えを広めたいのなら説法をもってすべきで、それが宗教家としての真っ当な在り方でしょ」

「我らの教えは唯一の真実ながら、凡人の良識にはその多くにおいて反する。これをいくら説き歩いたところで、徒労に終わることは知れている」

「……アトロポシアを亜人達に襲わせたのも、あなた達の一味の仕業ね。あと、ネピエルの郊外でアンデッドを造っていたのも。それらの方法も、発掘されたという古文書に依ったのかしら?」

「おそらくそうだろう。我々も何も報告を受けてはおらず、噂で聞いたばかりだが、諸々の状況から判断して、そう考えて差し支えあるまい」

「あなた達の教団の規模は?」

「儂にもわからん。事業あるいは地域ごとに数人から十数人程度の集団を作っているようだが、集団同士に横の繋がりはないからな」

「上との連絡は、どうやって取り合ってるの?」

「本拠から連絡員が定期的に訪れる。本拠の場所や有り様は知らん。彼らは余計なことは一切喋らない」

「リーダーの名は? どんな人間?」

「カルボナウスと名乗っておられる。右目を眼帯で覆ったご老人だ。それ以外のことは知らぬ。儂も入信の儀式の時に一度お会いしただけだ」

「……あの蛇女を元の二体に戻す方法は?」

「無い。少なくとも儂は知らん。古文書の中にも書かれていなかった。さあ、もう用は済んだろ。さっさと儂を殺せ」

 その時、部屋の空気を裂いて絶叫が響いた。見ると、蛇女を引っぱっていた三十代半ばの男が、上半身を仰け反らせたままの不自然な格好で、立ったまま固まっていた。フードの外れたその表情も、口を大きく開いたまま、鼠色に変じて固まっている。

 蛇女が回れ右して、その尾で激しく男を打った。男は固まった状態のまま勢いよく宙を飛ばされ、壁にぶつかり、粉々に砕け散った。そこに血は流れず、彼の纏っていたローブの周りに、大小様々な石のかけらがゴロゴロと転がった。

「嘘でしょ。あの蛇女、石化の魔法を使えるの?」アリーネが驚いた顔をして言った。

「まさか。そんな知性が爬虫類との合いの子にあるわけなかろ。あれは毒の効果じゃ」年長の男が何故か誇るように言った。

「石化の毒を持つ蛇なんて聞いたことないわよ」

「合成は必ずしも元の個体の性質を受け継ぐばかりではない。思いもよらぬ突然変異が稀にではあるが現れることもある。あれはその一例じゃな」

 蛇女がこっちを見た。眼球一杯に広がる赤銅色の虹彩の真ん中に、縦に細長い瞳が鈍く輝いている。距離はあったが、視力の良いティルザにはその不気味さがはっきりと感じられて、思わず身体を震わせた。

「そうだ。こいつらは皆、お前の獲物だ。遠慮はいらない。さっさとやっちまえ!」

 男の高声に応えるように、蛇女が向かってきた。尻尾をくねらせつつ、床の上を滑るようにして這い近づいてくる。その速度は意外に速く、あっと言う間にすぐ傍だ。

 ティルザは、二股に分かれた細長い舌をチロチロと出し入れしながら寄ってくる半人半爬虫類にいよいよぞっとした。それで、ほとんど反射的に男を掴んで立たせて、その方に放り投げた。

「うわっ、何をする!」

 蛇女の口が大きく開いて、上顎から垂れた鋭い牙が二本、むきだしになった。男は咄嗟に手で顔をかばったが、その手に噛みつかれて悲鳴を上げた。男の腕がたちまち鼠色に変じ、その色はすぐに全身へと広がった。男は完全に石と化し、これも蛇女の尻尾で飛ばされ、砕かれた。

 その隙に、ティルザもアリーネも逃げ出した。アリーネが、ティルザのすぐ後を追いながら、その背に向けて怒鳴った。

「なに逃げてんのよ! たかが蛇一匹を恐がるなんて情けない」

「てめえが言うな!」

 ティルザが、呆然としっ放しのニナを肩に担ぎ、アリーネがその荷に軽量化の魔法を掛けた。荷は目を開けたまま魂が抜けたように、されるがままに任せていた。二人と一人の肩の荷はそのまま部屋を出て、来た道を逃げ戻っていった。

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