第12話(下)

 角を曲がってすぐの壁に、太いロウソクが燃えていた。かすかに炎を震わせつつ、傍の石壁をオレンジ色に染めている。しかし、明るいのはそこだけで、その先の通路はどこまでも真っ暗だ。ニナがアリーネに向かって、言葉は丁寧ながら遠慮なく指図した。

「灯りを点けてください」

「私もランプ、持ってないわよ」

「そのメイスは何ですか。あなた、クレリックじゃないんですか?」

「そのぐらいの魔法、あなただって使えるでしょ。自分で唱えなさい」

「無駄に魔法を使って、疲れたくないんです。いざという時のために」

「私だって同じよ」

「さっき、助けてあげましたよね。言うことを聞いてください」

「……」

 不機嫌な顔をしたアリーネが黙ったまま目をつぶり、メイスを立てて持ち、何か口ずさんだ。メイスの頭に付いた鉄の鈍器が白熱した光球と化し、瞬間、ティルザの目を眩ませた。光はすぐに調整され、その明るさを照明に相応しい程度にまで減じた。それから、アリーネはメイスを身体の横に寝かせて持った。その光には指向性があるらしく、特に前方の闇を遠くまで払った。

 ニナが先に立って、通路を進んだ。時々分岐に出くわしたが、どちらの道を選ぶにしても、彼女には迷うということが一切なかった。曲がるにしろ直進し続けるにしろ、同じペースですたすたと歩いてゆく。

「道順、これで合ってるのか?」ティルザが不安を覚えて訊いた。

「姉の囚われている場所自体がそもそもわからないので、道順も何もありません」ニナが澄まして言った。

「……もう少し警戒して歩いた方が良くないか? さっきみたいな罠が、またあるかもしれない」

「一応罠だけは、気をつけているつもりです。ちょうどここ、ちょっと怪しいですね。アリーネさん、調べてください」

 三人は今、二本の通路が交わる地点に立っていた。アリーネが嫌な顔をしつつ、何か呪文を唱えた。前方と左方のすぐ近くから、それぞれ何かかすかな音が響いた。

「前に進むと、たぶん天井から岩が落ちてくる。左に行くと槍……いえ、もっとずっと小さい……毒針が束になって飛んでくるわね。右は……何も反応なし」感覚を澄ますべく目をつぶったアリーネが慎重な口ぶりで言った。

 曲がって少し進んだ所の壁沿いに、部屋の扉が開いていた。通路に灯りが漏れ、何やら人ならぬ者達のけたたましい声が、中から賑やかに響いてくる。どうやら、ゴブリン同士で集まって、彼らなりの団欒のひと時を過ごしているらしい。ニナが振り返って、ティルザに言った。

「一匹、生け捕りにして欲しいです。できれば、賢そうな奴。できますか?」

「生け捕り自体は訳ない。賢いゴブリンを見分ける自信はないけど」

 ティルザは部屋に闖入した。不意を打たれたゴブリンらには為す術がなく、あっと言う間に打ち減らされた。最後の二匹を壁際に追い詰め、彼女はニナを振り返って訊いた。

「どっちを残す?」

「左」

「ちなみにどうして?」

「そのゴブリンだけは、最初から最後までずっと逃げ回っていました。臆病者の方が尋問が捗りやすいです」

 ティルザは右のゴブリンを一刀のもとに、文字どおり真っ二つにした。あえて過剰な殺し方を選んだのは、もちろん、生き残りのゴブリンに対する心理的効果を考えてのこと。生き残りのゴブリンは自ら膝を折り、何やらキーキー叫んで命乞いをしはじめた。ニナが目をつぶり、杖を両手で握って、何か呪文を唱えた。

 ニナもまた、ゴブリンと同じく、キーキーと耳障りな音を発しはじめた。ほとんど猿の鳴き声のようで、傍には何か言語を喋っているようにはとても思えない。しかし、相手には伝わっているようで、ゴブリンは神妙な顔をして聞いている。やがて、キーキーの応酬が始まり、その会話は三十分ほども続いた。

「何かわかった?」壁に背を付けて座っていたアリーネが、待ちかねたように訊いた。

「はい。そいつが喋ったことをざっとまとめて言うと――元々この要塞には自分達ゴブリンだけが住んでいた。そこに最近、何人かの人間らが潜り込んできた。すぐに追い出してやろうと我らは奴らを襲ったが、逆に強力な魔法で返り討ちにされた。奴らは下の階の奥の一番広い部屋を占拠し、陣取っている。奴らの方から手を出してくることはないので、今では放っている。もし女が囚われているなら、そこだろう。ゴリラ馬については何もわからない。ただ、ゴリラ馬に限らず、猫とコウモリあるいはライオンとアルマジロ等々の、合いの子のような生き物達が現れだしたのは奴らがここに来てからのことで、以前はあんなの居なかった。それとこれとの関係はしらず、いずれ物騒極まりなく、自分達は本当に迷惑している。もっとも、あの合いの子達は何故かどれも短命だ。初め元気に見えても、全て一週間と経たず、病気だか寿命だか、勝手にくたばってくれる。だから自分達はそれらに出くわしても、とにかく逃げ回ってさえいればよく、その点だけは幸いだ。ただいずれ、ここはもう、我らが落ちついて住んでいられる場所ではなくなった。だからお前達、我々にあの街をさっさと明け渡せ」

「ふーん、で、下の階への降り口は?」

「その通路の突き当りを左に曲がってすぐの部屋の奥の部屋。そこに階段があるそうです。他にも幾つかあるらしいですが、そこが一番近いとのこと。なお、手前の部屋の床の真ん中あたりには落とし穴があるそうなので、壁際を通ってください」

「わかった。じゃあ、行きましょ」

「おい、このゴブリン、どうすんだ?」抜き身の剣をぶら下げたまま立っていたティルザが、行きかけたニナの背中に訊いた。

「もう、いらないです」ニナが振り向きもせずに言った。

 ティルザの剣が横に走り、ゴブリンの首が床に落ちた。

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