第12話(中)
「な、なんだ、あれは? ゴブリンじゃないぞ!」
「と、とにかく防げ、ひるむな!」
同じ怪物が二匹、縦に連なり向かってくる。下半身が馬というだけあって、それと気づいた時には、もう目前に居た。
一匹目が、真ん中の二人の盾兵を激しく突き飛ばして、転んだ。後ろの兵達はそこをすかさず槍で突こうとしたが、その間もなく二匹目が空いた隙から突入してきて、彼らは文字どおり蹴散らされた。その上そいつは、ゴリラの上半身の太い腕を振るって、周りに居る者達を手当たり次第、殴り倒しはじめた。さらにその間に一匹目も立ち上がり同様に暴れだしたので、兵達にはもう、手の施しようがなかった。
兵達は皆、完全に戦意を失い、各々勝手に背中を見せて逃げ出した。流石に隊長だけは声を張り上げ、これを押し止めようとしたが、誰もそんなもの聞いちゃいなかった。
「あ、危ない。押すな! お、落ちる。アッ、アー!」
逃げる兵達に玉突きに押されて、最も後ろに居た民間人の一人が例の落とし穴に落っこちてしまった。
民間人らは怒声を上げつつ、必死になって押し返した。しかし、相手の力はそれより強く、じりじりと後退を強いられるばかり。一人また一人と穴の中にこぼれてゆき、聞くに堪えない悲惨な絶叫が止まず続いた。
「あたしを前に出せ。ゴリラ馬ぐらい、軽く片付けてやる!」兵達と民間人らの境で揉まれて立往生しているティルザが、いらだたしげに叫んだ。
「やめなさい。仮に前に出られたところで、周りが邪魔してまともに戦えやしないわよ。あんたの強さは、素早さを生かして自在に動けてこそでしょ」横で同じく揉みくちゃにされているアリーネが、ティルザの片腕を取って言った。
「でもこのままじゃ、押され続けて、あたしらまでドボンだぞ」
「私を抱えて、あの穴、跳び越せない?」
「……お前の魔法で筋力を増強した上で、充分な助走をつけられれば、あるいは……」
「あの……」
ティルザの背中から声がした。振り向くと、この要塞に入る直前に一言だけ言葉を交わした例の少女が、自分の腰にしっかりとしがみつき、可愛い顔を上向けていた。
「私が渡してあげましょうか、穴の向こうに」
「どうやって?」
「私の魔法で。その代わり、頼みを一つ、聞いていただければ」
「どんな頼みだ?」
「この要塞のどこかに、私の姉が囚われています。助けるのを手伝ってください」
「どこかってどこだよ。こんな物騒な場所を闇雲に歩き回るのは、流石に御免だぞ。そもそもお前、本当に……」
改めて見ても、普通の少女である。少し痩せてみすぼらしく、少女相応に頼りない。本当にそんなことが、彼女に出来るのか。
しかし状況が、彼女を頼る以外の選択肢を与えなかった。今や民間人のほとんどが骨すら残さず天に赴き、その門たる穴の口が彼女らのすぐ背中に迫っていた。
「ウッ……わかった、手伝う、ゴホッ、早く魔法を、ゴホッ、ゴホッ……」ティルザが、流れてきた煙の刺激臭に咳き込みながら言った。
少女が、ティルザに抱きついたまま、口をモゴモゴ動かしだした。何やら呪文を唱えているらしい。ほどなく少女は、手にする古い杖の頭をティルザに向けると「スパイダークライム」と声を張り上げ、また同じことをアリーネにも繰り返した。
ティルザはその瞬間、毛の柔らかい刷毛か何かで、全身の皮膚を隈なく撫でられ過ぎたように感じた。思わず「あんっ」と艶めかしい声が漏れ、彼女は我ながらその、らしからぬさに人知れず赤面した。
「私に倣って、後についてきてください」
少女はそう言うと、通路の端に寄り、壁に両手をひっつけた。それから片足を上げ、その脛も壁に当てたかと思うと、もう片方の足をも床から浮かし、その脛も同様に壁に当てた。今や少女の身体は、両手のひらと両脛とで、壁に完全にくっついていた。
それから少女は手足をこもごも動かし、壁の表面を、重力を無視するかのように這っていった。アリーネがすぐ後に続き、ティルザは慌てて前を追った。背後の兵達の注意は前面のゴリラ馬に集中して、誰もその異様な光景には気づいていないようだ。
壁をつたうティルザの視界は、ほとんど煙に覆われていて、下にあるはずの穴の様子を窺うことはできなかった。しかし、次から次へと人が水に落ちる音とその絶叫は、否が応でも耳を突き、もし今自分に掛かっている魔法が急に切れたらと思うと、流石にぞっとした。
やがて煙を抜けると、古びながらも丁寧に敷かれた石畳の床が再び現れた。少女とアリーネが既に立って、待っている。ティルザも壁から脛を離し、石畳の床を踏み、それから、背伸びをしつつ、大きく息を吸い込んだ。
「じゃあ、行きましょう」落ちつく間もなく、少女が言った。
「その前に、さっきの話、詳しく説明してくれ」ティルザが言った。
「詳しくも何も、話したとおりですけど」
「……誰が、何のために、お前の姉さんをさらったんだ?」
「犯人は四人の男で、正体はわからないながら、うち少なくとも一人は魔法を使います。姉はお使いの途中、不意打ちに魔法で眠らされ、この要塞へと連れ込まれました。これが、散々調べまわって、わかったことの全てです。彼らの目的はわかりません。ちなみに姉は、街の教会に勤める修道女です」
「もしかして、あなたと同様に魔法を使えたりする?」アリーネが訊いた。
「簡単な回復魔法程度なら。信者のちょっとした怪我や病気を、時々治してあげてたみたいです。それが何か?」
「いいえ、別に……ところで、あなた名前は?」
「ニナ」です。
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