第9話(後半)

 隊長が剣を振り下ろし、斬られた馬車馬がいなないた。血の滴が吹き散って、ティルザの肩口に斑点を付けた。馬はそれでも走り続けたが、流石にスピードを落とし、勢い、荷馬車全体としては、右の方へと曲がっていった。

 この辺りにはもう屋台もなく、右側には石を積んで固めた城壁がまっすぐに伸びていた。騎馬は、馬車馬と身体を接しながらグイグイと押されて、その方へと片寄せられていった。隊長はサンドイッチを避けるべく、騎馬の速度を落とした。騎馬は後方へと、その位置を徐々に下げていった。

 そして、騎馬と馬車の御者台が横に並んだ時だった。ティルザの右腕が伸びて、騎馬の操作に集中していた隊長の左手首を掴んだ。隊長の口から「あっ」と声が上がり、その様子を見たアリーネは、左の馬の手綱を一気に引き寄せた。

 馬車が騎馬から急速に離れ、手を引っぱられた隊長の身体が、そのあいだに橋のように掛かった。隊長は両脚で馬の胴を挟んで必死にこらえたが、じき、耐えかねて落馬し、馬車と騎馬の後塵に姿を消した。

「よし、あとは逃げるだけ……って、おい、もういいから右に戻せ。このままじゃぶつかるぞ」前を向いたティルザが慌てた声で言った。

 通りの左側には、小さな商店や古い長屋などが軒を接して並んでいる。馬車は斜行し続けて、その方へとみるみる近づいていく。

「わかってる。でも、どうにもならない。右の馬が言うこと聞いてくれないの。さっき、ちょっと斬られて、すねちゃったみたい」アリーネが右の馬の手綱を両手で懸命に引きながら言った。

「とにかく止めろ!」

「もう遅い。衝撃に備えて!」

 馬も流石に自ら脳天を打ち砕くような馬鹿な真似はしない。衝突寸前に進行方向を変えて、その首を通りの先へと向けた。しかし、馬に繋がれた荷台の方は、すぐには向きを変えられない。慣性に従って進み続け、酒屋の前に置かれた空樽の上に乗り上げた。

 片輪が浮き、ティルザはとっさにアリーネを庇って抱いたまま、御者台の上から滑り落とされた。荷台はなおも片輪のままちょっと進んだが、すぐにその傾きを大きくし、そのまま完全にひっくり返った。全ての積み荷がガラガラと、ひどい音を立てて放り出された。

「熱つつつつつつ……」ティルザが地面に転がったまま呻いた。

「うわっ、これは痛そう。回復魔法、掛けるわね」無傷で済んだアリーネが、破れたティルザの上着の背中から覗く、血の滲んだ大きな擦り傷を見て言った。

「いや、あとでいい。大した傷じゃない。それより、盗るもの盗って、早く逃げよう」ティルザが、顔をしかめて立ち上がりながら言った。

 徒歩の兵隊が諦めずに追ってきている。もたもたしている暇はない。

「で、ミスリルはどの箱に入ってるんだ?」ティルザが重なり散らばった荷箱を見渡しながら言った。

「ひとつずつ開けて確かめるよりないわね」アリーネが苦い表情をして言った。

 幸い、箱に鍵は使われていなかった。ただ、どの箱も蓋が開かないように細縄で二カ所ずつ縛られていて、これをいちいち外す必要がある。剣ではこれを切るのには不便で、ティルザはアリーネの巾着からナイフを借りた。ティルザが縄を切り、アリーネが開いた箱を漁る。そういう役割分担が自然に出来た。

「この中にも無い。次」

 箱の中には年代物のワインや、ふんだんに宝石を使った首飾りや、謎の白い粉の入った袋など、あるいはミスリルより高価かもしれない物も入っていた。しかしアリーネは、あくまで不当に(?)没収された物を本人に代わって取り返しに来ただけで、自分では強盗のつもりは無かったから、それらの品物には目もくれなかった。白い粉の入った袋は開けて振り回して、中の物を地面にばら撒いた。

「なんかスゲー音がしたと思って出てきたら、なんだこれは、馬車が積み荷ごと転がってるじゃねーか」

 近隣の住民が集まってきて、すぐに人だかりになった。彼らは二人を尻目に、既に開いた箱の中から、それぞれ、手に持てるだけの物を盗っていこうとした。あちこちで乱闘が始まり、場は喧騒に満ちた。

「おい、お前ら、止めろ!」ティルザが人混みに押されながら大声を上げた。

「言っても無駄よ。放っておきなさい。それより、次の箱の縄を早く切って」アリーネが身振りを交えて言った。

 そこに兵隊が殺到してきた。兵隊と群衆との揉み合いが始まり、場はいよいよ混沌とした。ティルザは頭と身体を蹴られながらも、縄を切ることに専念し続けた。

 また一つ箱が開き、開くと同時に、アリーネだけでなく、周りの人間達も一斉に漁りに掛かった。ティルザは、彼らを箱から引き離すべく奮闘したが、その間、まだ開いていない箱ごと抱えて逃げる奴らなども出てきて、もはや何をしたところで、どうにもならなかった。

「あった!」アリーネの手元に、煉瓦ふたつ分ほどの大きさの銀色の塊が、覆いの布を解かれて置かれていた。

 アリーネの肩越しに、誰か男の両腕が伸びてきて、その塊を掴んだ。ティルザがすぐに駆け寄って、腰を上げかけたその男の顔面を思いきり蹴り上げた。男の手から塊がこぼれ落ち、アリーネがすかさず拾い上げた。

「逃げるぞ!」ティルザが叫んだ。

 混雑を抜けるあいだにも、暴徒の手がアリーネの抱える金属塊に何度も伸びてきた。ティルザはその都度、相手を殴りつけ、時には殴り返されながら、ミスリルとアリーネを守った。

 群衆を抜けると、その足で例の鍛冶屋に向かった。ドワーフの鍛冶屋は、本当にミスリルが戻ってきたことに驚き、喜んだ。どうやって取り返したのかなどという野暮なことは一切聞いてこなかった。

 鍛冶屋は早速、ティルザの剣の仕様を決めるための作業を開始した。ティルザは身体のあちこちにしつこいほど巻き尺を当てられ、それから、それぞれ握りの太さと形の微妙に違う鉄棒を何本も振らされ、その具合を確かめられた。

「両手持ちの長剣という他に、何か希望はあるか?」

「刀身を少し反らせて、刃は片方だけでいい」

 剣はその夜の内に打ち上がった。翌朝受け取ったとき、ティルザはその軽さにまず驚いた。

 試し斬りのために、内臓を抜いた子豚が一頭、用意されていた。鍛冶屋はそれを店の裏に抱え出し、自らその両足首を握って、まっすぐぶら下げた。

 鞘を離れた刀身が、朝日を受けて輝いた。子豚はあっさり両断され、鍛冶屋の手に残ったその下半身を揺らすことすらなかった。ティルザはその切れ味に、また驚いた。

 それから豚を焼いて、三人で食った。鍛冶屋は酒まで飲みだして、終始、上機嫌だった。自作の剣が腕の良い剣士に使われることが、よほど嬉しいらしかった。

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