第9話

 月曜の朝、街の人々が活動を始める頃、税関の倉庫に二頭立ての荷馬車が横付けされた。長い槍を持った軽武装の一団が周りを囲み、一頭の騎馬が付き添っている。その騎馬にまたがる隊長らしい男が、無駄に動きたがる馬の手綱を上手にさばきながら、大声を上げた。

「荷の積み込みを開始しろ」

 その倉庫は東門の傍のすぐ北側にあり、城壁に沿って南北に走る通りに面している。夜になると、城壁の側には酒を飲ます屋台がびっしりと連なり、宵越しの金を持たない日雇い労働者で、その辺りは非常に賑わう。今は朝で、それらの屋台はほとんど姿を消していたが、代わりに、簡単な朝食を提供するような屋台や、新鮮な食材を売る露店などがポツポツと出ていた。

 ティルザとアリーネの二人は、倉庫から少し離れた屋台の前に出たテーブル席で、炒った卵を挟んだコッペパンを食べていた。そして今、男達が作業を開始したのを見て、残りを慌てて頬張った。

「やっぱり、全て箱詰めされてるじゃないか。あれじゃあ、どの箱にミスリルが入ってるかなんてわからない。どうするんだ?」ティルザが咀嚼中の口中を見せながら、困ったように言った。

「仕方ない。じゃあ、プランBで」アリーネが最後の一口を飲み込んで言った。

「いや、昨日も言ったが、プランBは無謀すぎる」

「大丈夫、なんとかなるって。ほら、行くわよ」

 プランAは、倉庫から荷馬車までミスリルが運ばれるあいだにそれをかっさらって逃げるというものであり、プランBは、全ての荷物が積み込まれた後に荷馬車ごと乗っ取って走り去るというものであった。

 倉庫から続々と荷物が運び出されていく。箱の大きさは全て均一で、棺桶を半分に切ったぐらいの物だ。それが全部で二十箱ほどであろうか、荷台の囲みの板の高さを少し越えて積み上げられ、最後に複数のロープを上から巻かれて固定された。

 二人はあえて脇見などしながら、さりげなく荷馬車の方へと近づいていった。幸い、女ということでか、兵士達は値踏みの好奇な視線を送るばかりで、特に警戒の色は示さなかった。それでも流石にある程度の距離まで来ると、騎馬に乗った男が右手を横に払って、大声で注意してきた。

「こらっ、そこの女二人、馬に近づくな。危ないぞ」

 それを合図とするように、ティルザもアリーネも駆け出した。すぐに御者台の横まで達し、騎馬の男があっと思った時には、ティルザの足は既にその上に載っていた。

 御者がギョッとしてティルザを見た。ティルザは手を伸ばし、御者の襟元をむんずと掴んだ。御者は台の上から引きずり落とされ、そこにすかさずアリーネも乗り込んできた。

「ハイヤッ!」アリーネが一声上げて、両手に握った手綱を上から下に叩きつけた。

 馬がいななき、車輪が軽い軋みを立て、馬車がおもむろに前進し始めた。周りの兵士達はすぐにその異変に気づいたが、とっさのことに、すぐには反応できない。アリーネが傍にあったムチを手に取り、それで馬の身体を打った。馬車の速度が少し上がった。

「馬車を奪われた。追え!」騎馬の男が叫んで、馬の腹を拍車で蹴った。

 馬車の速さは、人間の駆け足より少し速い程度のもので、アリーネがさらに鞭を入れても、それ以上には上がらなかった。騎馬がすぐに追いついてきて、馬車の左横に並んだ。馬上の男は剣を抜き、片手で手綱を操りながら、二人の女に馬車を止めろとがなり立てた。

「どうするんだ? 徒歩の兵隊どもはいいとして、流石にこの荷馬車で騎馬を振り切るのは無理だぞ」ティルザが座ったまま服の背中に隠していた短剣を取り出しながら訊いた。

「強制排除の一択でしょ」アリーネが手綱を握って前を向いたまま答えた。

「斬れってことか?」

「何か問題が?」

「……事情はどうあれ、あたし達が今やってることは強盗だろ。これでさらに人まで殺すのは……」

「何を今更。でもまあ、無駄な人殺しは確かに避けるべきね。だったら、ただ相手を馬上から突き落せばいい。あるいは馬を狙って倒すとか」

「そうしよう」

 ティルザは片手で背もたれを持って立ち上がり、騎馬の方に身を乗り出した。騎馬の男がためらいなく、すぐに斬りつけてきた。ティルザはその一撃を剣で受け、弾き返すや、相手の男でなしに、馬の背を目掛けて自身の剣を振り下ろした。

 剣は空振りした。ティルザの意図を素早く察した相手が、とっさに手綱を操り、横に馬を逃がしたのだ。

 騎馬がまた近づいてきて、剣がさらにティルザを襲った。今度はティルザは受けずに、身を引いてかわした。そして、相手の上体を一瞬泳がせると同時に、再び、馬を狙って剣を突き出した。

 しかしこれも直前と同様に、馬体を離され、簡単に避けられた。どだい、今のティルザの得物は短剣であり、足場も悪い。加えて、相手の乗馬技術も確からしい。思うに任せぬ歯がゆさに、ティルザは知らず、舌打ちした。

「こらっ。いま舌打ちしたでしょ。感じ悪い。淑女のすることじゃないわ。二度としないで」アリーネが言った。

「別に淑女になんぞなりたかねーし、そもそも淑女が強盗なんてするかよ。いや、そんなことより、この騎馬なかなかしつこくて、ちょっと逃がしてくれそうにないぞ。なにか他に良い手はないか?」ティルザが言った。

「だったら、こうするまでよ」

 アリーネは左の馬の手綱を軽く引き、右の馬の背を鞭で叩いた。馬車が左に寄りはじめ、騎馬の進路をみるみる狭めていく。騎馬はたまらず急停止し、馬車の後方で棹立ちした。

「どうよっ」アリーネが得意げに言った。

「いや、まだだ」ティルザが後ろを見ながら言った。

 ほとんどまっすぐな棹立ちだったのにもかかわらず、その乗り手は落馬しなかった。慌てることなく手綱を操り続け、すぐに馬を取り鎮めた。

 馬の首が前を向き、騎手の掛け声が建物と城壁のあいだに鋭く響いた。騎馬が駆け出し、一気にその速度を上げ、すぐに馬車に追いついてきた。そして今度は右側に回り、馬車馬の真横にまで、その位置を進めた。

 騎手は剣を左手に持ち替えていた。その剣が彼の頭上に上がるのを見て、アリーネがとっさに叫んだ。

「馬を狙うなんて卑怯よ! 騎士としての誇りがあなたには無いの?」

「お前らに言えたことか! 先に馬を狙ってきたのはそっちだろ」騎手が怒鳴り返してきた。

「彼女は騎士でも淑女でもない、もとより下賤の野蛮人なんだから、何をしても構わないのよ」

「そんな勝手な理屈があるか!」

「お前、後でお仕置きな」ティルザがアリーネの膝を跨いで位置を替えながら静かに言った。

 騎手の左手が振り下ろされ、斬られた馬車馬がいなないた。その首筋にパックリと傷が開き、艶やかな毛並みを血で濡らした。それでもその馬車馬は走り続けたが、流石にスピードは落ち、勢い、荷馬車全体としては、右の方へと曲がっていった。

 この辺りにはもう屋台もなく、右側には石を積んで固めた城壁がまっすぐに伸びていた。騎馬は馬車馬と身体を接しながら押されて、その方へと片寄せられていった。騎手はサンドイッチを避けるべく、騎馬の速度を少し落とし、その位置を後方へと徐々に下げていった。

 そして、騎馬と馬車の御者台が横に並んだ時だった。ティルザの右腕が伸びて、騎馬の操作に集中していた騎手の左手首を掴んだ。騎手の口から「あっ」と声が上がり、その様子を見たアリーネは、左の馬の手綱を一気に引き寄せた。

 馬車が騎馬から急速に離れ、手を引っぱられた騎手の身体が、そのあいだに橋のように掛かった。騎手は両脚で馬の胴を挟んで必死にこらえたが、じき、耐えかねて落馬し、馬車と騎馬の後塵に姿を消した。

「よし、あとは逃げるだけ……って、おい、もういいから右に戻せ。このままじゃぶつかるぞ」前を向いたティルザが慌てた声で言った。

 通りの左側には、小さな商店や古い長屋などが軒を接して並んでいる。馬車は斜行し続けて、その方へとみるみる近づいていく。

「わかってる。でも、どうにもならない。右の馬が言うこと聞いてくれないの。さっき、ちょっと斬られて、すねちゃったみたい」アリーネが右の馬の手綱を両手で懸命に引きながら言った。

「とにかく止めろ!」

「もう遅い。衝撃に備えて!」

 馬も流石に自ら脳天を打ち砕くような馬鹿な真似はしない。衝突寸前に進行方向を変えて、その首を通りの先へと向けた。しかし、馬に繋がれた荷台の方はすぐには向きを変えられず、慣性に従って進み続け、酒屋の前に置かれた空樽の上に乗り上げた。

 片輪が浮き、ティルザはとっさにアリーネを庇って抱いたまま、御者台の上から滑り落とされた。荷台はなおも片輪のままちょっと進んだが、すぐにその傾きを大きくし、そのまま完全にひっくり返った。全ての積み荷が、ひどい音を立てて放り出された。

「熱つつつつつつ……」ティルザが地面に転がったまま呻いた。

「うわっ、これは痛そう。回復魔法、掛けるわね」無傷で済んだアリーネが、ティルザの背中を見て言った。破れた上着のあいだから、血の滲んだ大きな擦り傷が覗いていた。

「いや、あとでいい。大した傷じゃない。それより、盗るもの盗って、早く逃げよう」ティルザが、顔をしかめて立ち上がりながら言った。

 徒歩の兵隊が諦めずに追ってきていた。集団の先頭が遠くの方に見えている。もたもたしている暇はなかった。

「で、ミスリルはどの箱に入ってるんだ?」ティルザが重なり散らばった荷の箱を見渡しながら言った。

「ひとつずつ開けて確かめるよりないわね」アリーネが苦い表情をして言った。

 幸い、箱に鍵は使われていなかった。ただ、どの箱も蓋が開かないように細縄で二カ所ずつ縛られていて、これをいちいち外す必要があった。剣ではこれを切るのには不便で、ティルザはアリーネの巾着からナイフを借りた。ティルザが縄を切り、アリーネが開いた箱を漁る。そういう役割分担が自然に出来た。

「この中にも無い。次」

 箱の中には年代物のワインや、ふんだんに宝石を使った飾り物や、謎の白い粉の入った袋など、あるいはミスリルより高価かもしれない物も入っていた。しかしアリーネは、あくまで不当に(?)没収された物を本人に代わって取り返しに来ただけで、自分では強盗のつもりは無かったから、それらの品物には目もくれなかった。白い粉の入った袋は開けて振り回して、中の物を地面にばら撒いた。

「なんかスゲー音がしたと思って出てきたら、なんだこれは、馬車が積み荷ごと転がってるじゃねーか」

 近隣の住民が集まってきた。その数は次第に増し、すぐに人だかりになった。彼らは二人を尻目に既に開いた箱から、それぞれ、手に持てるだけの物を躊躇なく盗っていこうとした。あちこちで乱闘が始まり、場は喧騒に満ちた。

「おい、お前ら、止めろ!」ティルザが人混みに押されながら大声を上げた。

「言っても無駄よ。放っておきなさい。それより、次の箱の縄を早く切って」アリーネが身振りを交えて言った。

 そこに兵隊が殺到してきた。兵隊と群衆との揉み合いが始まり、場はいよいよ混沌とした。ティルザは頭と身体を蹴られながらも、縄を切ることに専念した。

 また一つ箱が開き、開くと同時に、アリーネだけでなく、周りの人間達も漁りに掛かった。ティルザは、彼らを箱から引き離すべく奮闘したが、その間、まだ開いていない箱ごと抱えて逃げる奴らも出てきて、この混雑の中、彼らを止めることはもう不可能であった。

「あった!」アリーネの手元に、煉瓦ふたつ分ほどの大きさの銀色の塊が、覆いの布を解かれて置かれていた。

 アリーネの肩越しに誰か男の両腕が伸びて、その塊を掴んだ。ティルザがすぐに駆け寄って、腰を上げかけたその男の顔面を思いきり蹴り上げた。男の手からそれがこぼれ落ち、アリーネがすかさず拾い上げた。

「逃げるぞ!」ティルザが叫んだ。

 混雑を抜けるあいだにも、暴徒の手がアリーネの抱える金属塊に何度も伸びてきた。ティルザはその都度、相手を殴りつけ、時には殴り返されながら、ミスリルとアリーネを守った。

 群衆を抜けると、その足で例の鍛冶屋に向かった。ドワーフの鍛冶屋は、本当にミスリルが戻ってきたことに驚き、喜んだ。どうやって取り返したのかなどという野暮なことは一切聞いてこなかった。

 鍛冶屋は早速、ティルザの剣の仕様を決めるための作業を開始した。ティルザは身体のあちこちにしつこいほど巻き尺を当てられ、また、それぞれ握りの太さの違う鉄棒を何本か振らされ、その具合を確かめられた。

「両手持ちの長剣という他に、何か希望はあるか?」

「刀身を少し反らせて、刃は片方だけでいい」

 剣はその夜の内に打ち上がった。翌朝受け取ったとき、ティルザはその軽さにまず驚いた。

 試し斬りのために、内臓を抜いた子豚が一頭、用意されていた。鍛冶屋はそれを店の裏に抱え出し、自らその両足首を握って、まっすぐぶら下げた。

 鞘を離れた刀身が、朝日を受けて輝いた。子豚はあっさり両断され、鍛冶屋の握ったその半身を揺らすことすらなかった。ティルザはその切れ味に、また驚いた。

 それから豚を焼いて、三人で食った。鍛冶屋は酒まで飲みだして、終始、上機嫌だった。自作の剣が腕の良い剣士に使われることが、よほど嬉しいらしかった。

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