第10話

 前回同様、ゴーレムは橋のたもとに岩のようにうずくまっていた。

 アリーネがティルザの剣に何か魔法を掛けた。鉛色の刀身が色を変じて、かすかな青味を帯びた。ティルザはそれを腰の位置で横に構えて、橋を一気に渡っていった。

 ゴーレムが立ち上がり、巨大な身体を拡げた。ティルザは大胆にも、そのふところ近くまで飛び込んでいった。そして、頭を低くすると同時に、横に構えた剣を思いきり振り抜いた。

 ゴーレムの拳がティルザの頭上で空を切り、ゴーレムはその動きの余勢のままに地響きを立てて横倒しになった。倒れたゴーレムの傍にその左足首が本体から離れて残っていた。

 後はほとんど、ティルザの新しい剣の試し斬りのようなものだった。まともに立てないゴーレムの手足を段々と切り落としていく。最後に、頭と胴体だけになったゴーレムの首を落として、事は終わった。

「倒し方が残酷過ぎ。あんた本当に野蛮ね」アリーネが橋を渡ってきて言った。

「仕方ないだろ。よく切れるこの剣でも、流石にあの分厚い胴体を深く斬るのは難しかったんだから」ティルザが不服を表して言った。

「でも、もっと早く首を落とす機会が、いくらでもあったでしょ」

「……」

 呪術使いの老人の家は、屋根に短い煙突の一つ付いた並みの広さの平屋建てだった。漆喰の壁はずいぶんと汚れ、窓は後ろから板で塞がれ、中は覗けない。ティルザは特に考えもなく玄関扉の前に立ち、なんとなく、そこに付いたドラゴンを象った金具の鉄輪を鳴らしてみた。

「何してるの。誰も居るはずないでしょ、死んだ老人を除いては。依頼の用はもう済んだんだから、さっさと報酬をいただきに帰るわよ」

「わかってる」

 ティルザが踵を返し、アリーネの後について橋を渡り始めた時だった。背後で、ドアの開く音がした。まさかと思い、振り返ると、大きく開いた玄関の枠内に、顔中伸び放題に白い髭を生やした禿頭の老人が立っていた。

「お前ら、何者だ?」老人が言った。

「呪術使いか?」ティルザが驚いて訊いた。

「問いに問いで返すな、無礼者」

「あなたの息子の依頼を受けて、ゴーレムを倒しに来たのよ」アリーネが戻ってきて言った。

「騒がしかったのはそのせいか。しかし、よく倒せたな」たるんだ瞼をかぶった老人の細い目が、散乱したゴーレムの部分部分を見渡した。「で、なんのためにそんなことをした?」

「遺産を回収する為よ。皆、あなたのこと、とっくに死んだものだと」

「ああ、そういうことか。このとおり、儂は生きておる。ちょっと集中して仕事をするために、外界との接触を一時的に断っていただけじゃ。ところで、ちょっとその剣、見せてみろ」皺だらけの老人の手が、ティルザの方に伸びた。

「……」

「いいじゃない。見せたげなさいよ。別に害意は無さそうだし」アリーネがティルザに言った。

 老人は、受け取った剣を鞘から出して、その側面に右の手のひらをぴたりと当てた。

「魔力がまだ残っている。夾雑物のほとんどない洗練された魔力だ。密度も高い。なるほど、これなら、どんなへっぽこ剣士でも、ゴーレムぐらい倒せるだろう」

「あたしはへっぽこじゃねえ!」ティルザは怒って、剣を取り返した。

「この魔法を掛けたのはお前だな。改めて訊くが、貴様、何者だ? ただの賞金稼ぎではあるまい」老人がアリーネに言った。

「継母から追い出された哀れな家出娘」

「……まあいい。ちょっと上がっていけ。お前に渡したい物がある」

 奥の一室に通された。入った途端、籠った異臭が襲ってきた。饐えた何かを焦がしたような、とにかくひどい臭いだった。

「臭い。換気しなさいよ」アリーネが無遠慮に言った。

「すぐ慣れる。気にするな」老人が、特に気分を害したふうもなく、言った。

 陽の光は完全に遮断され、真鍮製のランプが一つ、広い机の上でオレンジ色の光を細かく揺らしていた。壁の二方を本棚が占め、それでも足りずにあちこちに本の山が出来ている。そして、他の一方の壁には様々な草木や鉱石や臓物の入った薬瓶が何段にもなって棚の上に並び、もう一方にはむき出しの排気筒を直接天井まで伸ばした石窯が設置されていた。

「で、何をくれるの?」アリーネが、落ちつく気は無いらしく、立ったまま訊いた。

「うむ……これじゃ」老人が、頭に複雑な形の鉄の鈍器を付けた木の棒を、机の傍の床から拾い上げて言った。

「それは?」

「儂の持てるかぎりの知識と技術を傾けて丹精したメイスじゃ。武器として使えることはもちろん、三倍以上の魔法増幅効果を備えている。これに勝るメイスは、大陸広しといえども、そうはあるまい。ここ数年、こいつの生成にずっと掛かっておった。ちょうど完成したこのタイミングにお前が現れたのも、きっと運命だろう。儂の老い先も長くはない。このメイスに相応しい能力をお前は持っている。儂の形見と思って、遠慮なく、これを受け取るがよい。さあ」

「いらない」

「は?」

「だから、いらないって。どうして、今日初めて会った見ず知らずの爺さんの形見を、私が貰わなきゃいけないのよ。意味わかんない」白けた表情をしたアリーネが、吐き捨てるように言った。

 それまで悠然と構えていた老人は、その表情に急に焦りの色を見せて、

「あ、いや、形見はまあ、どうでもよい。とにかく、お前がこのメイスを持てば、その支援する剣士は優れた強化魔法により、強大な力を発揮するだろうし、時に負傷し倒れても、強力な回復魔法がこれを直ちに救い、また立たしめるだろう。それこそ、向かうところ敵無しになる。お前の名声はいやがうえにも高まり、同時に、その愛用するメイスの製作者として、儂の名も後世まで――」

「知らないわよ、そんなこと。そもそも、三倍程度の効果がなんだってのよ。そのぐらいの物、実家の蔵を漁れば、いくらでもあったわよ。中には三なんて数字、端数でしかない、伝説中にその名を見るようなチート武器だって」

「なんでそれ、持ってこなかったんだ?」ティルザが口を挟んだ。

「かさばるから。あと、他のにしたって、どれも無骨で古臭くて、私みたいな若い娘が持って似合いそうなのが一つも無かったの」

「そういえばお前、杖もメイスも持っておらぬな。どこかに置いてきたのか?」老人が訊いた。

「杖ならあるわよ、ここに」アリーネは巾着から木製の短い棒を三本取り出し、組み合わせてみせた。

「……それは杖とは言わんだろ。せいぜい指揮棒だ。よくそれでゴーレムを倒せるほどの魔力を剣に付与できたな」老人が驚き呆れて言った。

「本当の達人は、どんな道具を使っても達人なのよ」

「ところでお前いま、伝説中の武器さえ実家の蔵にはあった、とか言ったな。このあたりの地域で、そんな物のある実家といえば……お前、もしかして――」

「ごめん。それは嘘。伝説の武器なんて、持ってるわけない。実家の自慢をするつもりで、つい大袈裟に言っちゃっただけよ。本気にしないで。実家は骨董屋だったから、その類の物がゴロゴロしてたのよ、数だけは」アリーネが声をちょっとうわずらせて言った。

「……まあいい。ところでお前は、やはりこのメイスを持っていくべきだ」

「しつこいわね」

「いいか、よく聞け。儂がこれを作ったのは、何より人助けの為だ。この杖でもって、一人でも多くの人間が救われれば良いと思っている」

「嘘くさい。あんたさっき、自身の名声がどうのこうのって言ってたじゃない」

「……そういう気持ちも無きにしもあらずだが、元々の動機は純粋な善意じゃ。いや、正確には罪ほろぼしじゃな」

「罪ほろぼし?」

「儂は長年、ハッチマーンの先代の君主に仕えておった。為に、その命じるところを全て忠実に実行した。幸い、儂の主人は君主としては比較的善良なおかただった。しかしそれでもその命令の中には、その対象となる相手にとって、理不尽きわまる残虐なものもないではなかった。儂はそれらを断れなかった」

「あんたの罪ほろぼしに、私が付き合わなきゃいけない義理はないでしょ」

「だがお前には――いや、あなた様には、この大陸に居住する幾万の信徒をすべからく救済せんと努める義務がおありでしょう。前の法王のご息女にしてその正統後継者たる、アリーネ・ウィスタリア・マッカローンティヌス様」

「……よくわかったわね」

「前法王の娘と騙る詐欺師に対する手配書が、この辺りまでにも回ってきておるからな。気にも留めていなかったが、今の話と合わせて、そう合点した」

「あんた、この家にずっと引き籠っていたんじゃなかったの?」

「情報は定期的に仕入れておる。小舟で運ばせている食料品と一緒にな。さあ、このメイスを受け取れ、アリーネ・マッカローンティヌス。もし嫌だと言うなら、やはりお前は偽物だということで、この場で取っ捕まえて賞金に替えることにする」

「そんなこと、できると思ってるの? あんたが何かを唱える間も無く、そこの彼女から真っ二つにされるのが落ちよ」

「フッ、老いたりといえど、そんなへっぽこ剣士の手にかかるほど、耄碌してはおらぬわ」

「てめえ!」

 ティルザは剣を抜こうとして困惑した。なぜか、鍔と鞘が溶接されたように引っ付いて、どんなに力を入れても離せないのだ。

「何をした!」

「そういう魔法をあらかじめこっそり掛けておいた。お前を玄関から上げた時に、念の為にな。ちなみにアリーネ、お前には、呪文封じの魔法を掛けておいた。気付かなかったろ」

 アリーネは答えず、ティルザの近くに寄った。そして、指揮棒呼ばわりされた組み立て式の杖の先を、ティルザの剣の鍔に当てて、何か口の中でモゴモゴ言った。

 ティルザが改めて、手元に力を入れた。剣は何の抵抗も受けずに、今度はするりと抜けた。老人が思わず「あっ」と声を上げ、驚きの目つきをアリーネに向けた。

「嘘ばっかり。何が呪文封じよ」

「そんな馬鹿な……どうして……」

「知らないけど、魔力に対する耐性が強いのよ、私、たぶん。さて、それじゃ戻るわよ、ティルザ。とっとと賞金を貰って、何か美味しいものでも、食べにいきましょ」

 アリーネはそう言うと、一人でさっさと部屋から出ていってしまった。

「……信じられん。儂の魔法が効かぬなんて。今まで生きてきて、そんな相手、一人もおらなんだのに……」

 老人はドアの向こうに視線をやったまま、呆然としていた。

「おいっ」ティルザが、老人を我に返すべく、呼びかけた。

「なんじゃ?」

「お前さっき、そのメイスでもって魔法を掛けられた剣士はめっちゃ強くなる、みたいなこと言ってたな」

「ああ、それが何か?」

「そのメイス、寄越せ。あたしがアリーネに渡してやる」

「おお、そうか! それはありがたい。それでは頼……いや、ちょっと待て。お前、そんなこと言って、このメイスを奪って、すぐに金に替えるつもりじゃなかろうな?」老人は目を細め、ティルザの面にじっと視線を据えた。

「……そんなこと、しねえよ」ティルザは不快を堪えて静かに言った。

「いや、きっとそうじゃ。あの娘と違って、お前は見るからに卑しく下賤な感じがする。あの娘に付き添っているのも、きっと銭の臭いを嗅ぎつけてのことに違いない。うむ、このメイスはお前には渡さぬ。お前に渡すぐらいなら、ハッチマーンの今の君主に献納して、彼のお抱えの然るべきクレリックに――」

「黙って聞いてりゃ、てめえ、あたしを何だと思っていやがる! いいから寄越せ、この野郎!」

「うおっ、貴様、何をする! かよわい老人を相手に――ああっ!」

 ティルザは老人を蹴飛ばし、メイスを奪うと、あとは見ずに、とっととその家を出ていった。すぐにアリーネに追いつき、メイスを差し出すと、彼女は案外にもそれを素直に受け取った。

「どういう心境の変化だ? あいつに言われて、法王としての自覚でも芽生えたか?」

「……信者の救済なんて、正直、知ったこっちゃないわよ。ただ、私の家来の剣士が怪我した時に、もし治せないじゃ、主人のメンツにかかわるからね。なんせ彼女、へっぽこだから」

「あたしはお前の家来じゃないし、へっぽこでもねえ!」

 青い草原を渡ってくる風が、汗ばんだ肌に心地よかった。

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