第14話
急に外が騒がしくなった。変に気づいて、人が集まってきたのだろう。開いた入口から覗くと、果たして十人ほどの男たちが、この蔵を半円形に取り囲んでいた。男たちはそれぞれ弓を引き絞り、全て入口の辺りに狙いを定めていた。
「無駄な抵抗は止めて、再び縛に就け。余計な手間を掛けさせるな」
彼らのすぐ後ろには、長老の息子と孫たちが並んで立っていた。ティルザとアリーネの二人は流石にケンカを中断し、この事態に対処すべく、共に意識をガラリと切り替えた。
「どうするの?」アリーネが訊いた。
「突っ込んで、片端から斬って回る。他に仕様がない」ティルザが答えた。
「無理よ。相手が多すぎる」
「すばやく動いて、一気に接近戦に持ち込む。位置取りをたくみにして、同士討ちを誘う」
「その為には――」
アリーネが目をつぶり、両掌をティルザの身体にかざした。
「魔法か?」
「そう、敏捷さを高める魔法」
「杖が無くても、掛かるのか?」
「魔法に杖は必須じゃない。伝導効率は下がるけど、無くてもちゃんと効く……ちょっと黙ってて。気が散る」
ティルザは、奪った剣を手に、入口から飛び出した。一瞬の間を置いて、長老の長男が「放て」と号令し、夜の空気に弦の鳴る音が一斉に響いた。
矢は全て、ティルザの背後を飛び去った。彼女はそのまま素晴らしい速力で正面の一人に走り近づき、彼らが二の矢を継ぐ前に、その一人をあっさりと斬り倒した。
あとはティルザの狙いどおり、混戦になった。相手は味方を討つ心配から、思うままに矢を放てなかった。たまに放っても照準が充分でなく、ちょこまかと素早く動く彼女には、かすりもしなかった。
ティルザはそんな敵を一人ずつ着実に減らしていき、ついに長老の息子と孫の五人を除く、全てを片付けた。それを見た彼らは慌てふためき、自ら敵に掛かることもなく、子分たちの死体をあとに残し、母屋の中へと逃げ帰っていった。
「さて、それじゃ、あたしたちも逃げるか」ティルザが背後を振り返って言った。
「なに言ってんの。まだ落とし前がついてないでしょ」蔵から出てきたアリーネが言った。
「長老をやるのか?」
「のみならず、一族郎党、皆殺しにする」
「そこまでする必要ないだろ」
「あいつらのせいで私たち、しょんべん垂れにさせられたのよ。そのぐらい当然でしょ」
「あたしをしょんべん垂れにしたのは、お前だけどな。まあ、あたしとしても、あいつらにはむかついてる。一族郎党はともかく、男らだけでも斬ってくか」
ティルザの足が母屋の玄関へと向かいかけた。アリーネが呼び止めて言った。
「家に入るのは危ないわ。奴らのこと、何を仕掛けているか知れたもんじゃない」
「じゃ、どうすんだよ?」
「出て来て貰いましょ」
アリーネはティルザに手伝わせて、蔵の横手の馬小屋から床に敷かれた藁を持ち運び、母屋の板壁にくっつけて積み重ねた。その頃には、この騒動に眠りを覚まされた村人たちが、何事かと様子を見に集まり来つつあった。彼らまで敵に回ると厄介だなとティルザは心配した。しかし、村人たちは長老家を遠巻きに取り囲み、見物を続けるだけで、別にこの事態にかかわる気は無さそうだった。長老家の人望の無さが窺えた。アリーネは、それらの見物の一人からランプを強引に借りてきて、その火を積んだ藁に燃え移らせた。
たき火の得意なティルザがさらに周辺から、小枝だの板切れだのをどうやってか集めてきて、火にくべた。一投ごとに火は勢いを増し、やがて家屋の羽目板の一部が燃えだした。一度火が移ると、あとは速かった。壁はみるみる炎に包まれていき、すぐに多量の黒煙が星の夜空に登りはじめた。
「でけえ、でけえ焚き火だ。すげえ、マジすげえ。ヒャッハー!」ティルザが犬のようにはしゃぎながら大声を出した。
「クックック、なんて綺麗な炎。そうよ、全て燃やし尽くしてしまいなさい。そして私に、滅びの中にのみ存在するという本当の美を見せて」アリーネが炎の色を頬に映して、うっとりと言った。
近くで黙って見ているソフィアの表情に戸惑いの色が濃く滲んでいた。この人間らを助けたことは間違いだったのではないか、と自問しているに違いなかった。
やがて、玄関から煙に追われて女が出てきた。先に見た長老の長男の嫁とおぼしき女だった。女は、剣を肩に担いだティルザを見ると、「ヒィ」と恐怖に表情をひきつらせて、さっさとどこかへ逃げていった。
そして、女に続いて男が五人、これも玄関から束になって出てきた。男たちはティルザを見ると、左右に別れ、お互いの距離を測りつつ、彼女を包囲しに掛かった。皆、手に剣を構えていた。
「また逃げ出すと思ってたのに、どうしたんだ? やけくそか?」ティルザが挑発するように言った。
「さっきのは逃げたんじゃない。本番の準備を整えに一時的に家に戻っただけだ」長老の長男が厳めしい表情を作って言った。
「今より多い人数で負けたくせに、今度はどうして勝てると思った?」
「ふっ、これを見ろ」長老の長男は、手にした剣を誇らしげに突き出して見せた。「俺らの剣には全て、非常に強力な強化魔法が掛かっている。うちの爺さんに掛けてもらった。長く生きていると、そんなことも出来るようになるらしい」
ティルザは、離れて見ているアリーネをちょっと振り返った。相手に合わせてこっちの剣も強化してもらった方が良さそうに思ったからだ。しかし、すぐに考え直して、まずはとにかく当たってみようと思った。アリーネに頼るのは、敵自体の実力ともども、その効果を測ってからで遅くないだろう。
ティルザは自分から、正面に立つ長男に近づき、横殴りに思いきり斬りつけた。長男は逃げることなく、とっさにしっかりと剣を立て、その身をかばった。剣と剣がぶつかり、激しい金属音が鳴る。と同時に、彼の手元から勢いよく剣が吹っ飛び、遠くの地面に滑り込むように落ちた。
「あれ?」予想外の他愛の無さに、ティルザの口から思わず、不審の声が漏れ出た。
「え、そんな……」長男が呆然として、呻くように言った。
「……」他の息子と孫たちは、お互いに困惑した顔を見合わせるばかりで、声も無かった。
アリーネが小走りに向かって、長男の剣を拾い上げた。そして、目をつぶり、剣の腹に手を触れて、首をひねって言った。
「この剣に魔法なんて掛かってないわよ」
「いや、まさか、そんなはずは……」
その時、家屋の裏の方で大きな物音がした。何かを察したらしく、息子たちは途端に包囲を解いて、その方に駆けて行った。ティルザたちも後を追い、行ってみると、まだ焼けていない個所の板壁が一部壊され、横に細長い隙間が出来ていて、その隙間から長老の身体が、ぴっちりと挟まりつつ出掛かっていた。
「親爺、なんでこんなところから……」隙間から半分出た長老の背中を見下ろして、長男が言った。
「うむ、これはな、その、なんと言うか……」なんとか隙間から抜け出て地面に足を着いた長老が、ばつが悪そうに言った。
「あんたまさか、俺らを戦わせているあいだに、一人で逃げる気だったんじゃ……」
「いやいや、そんなことは……」
家屋の火が勢いを増し、近づいていた。次男が無言で長老の襟首をつかみ、家から離れた場所まで引きずっていった。地べたに放り倒された長老を、その息子と孫たちが取り囲んだ。彼らとティルザの戦闘は、なんとなく、一時中断という形になった。
「爺さん。あんたの掛けてくれた強化魔法、効いてなかったみたいだぞ。父さんの剣は女の剣を受け止められなかった。あんた言ったよな。この魔法は、我が家に代々伝わりながら改良に改良を重ねられた秘伝中の秘伝の強力なものだと。そして、その魔法の掛かった剣は、人間の胴体どころか鋼をも簡単に断ち切ると。どういうことだ?」孫の一人が責める口調で訊いた。
「それは……」
「あんたたち、騙されたのよ」後ろからアリーネが断定して言った。「その年寄りの身体からは、魔力の残滓といったものすら感じ取れないわ。もともと魔法なんて、使えないのよ」
「どうして、そんな嘘を……」次男が不審の表情を見せて、アリーネを振り返った。
「逃げ帰ってきた不甲斐ない息子たちに自信を取り戻させて、再び死地に送るための方便でしょ」
「てめえ」長男が長老の胸倉を掴んで、頬を一発殴った。
「き、貴様、父親に対して何をする!」
「自分の子供をおとりに使う奴が、父親面すんな!」
「そもそも、お前たちが弱いのが悪い! お前らがその女を倒せさえすれば、儂もこんなみっともない真似をせずに済んだんじゃ。束になっても女一人に敵わないなんて、お前たち、どこまで情けないんじゃ」
「なんだと、この野郎!」
「わっ、待て、お前ら、止せ!」
容赦のない袋叩きが始まった。弱い年寄りが蹴られ叩かれ、見ていられない哀れさだ。長老は悲鳴を上げ、助けを求め続けたが、ティルザとアリーネはもちろん、遠巻きに眺めている野次馬の村人たちも、一人としてその声に応える者は無かった。ティルザが、ふと気づいて、ソフィアに訊いた。
「兄さんはどうしてる?」
「家で寝ています。兄もあいつらからリンチされたらしく、あちこちにひどい怪我を作って、気を失った状態で運ばれてきました。幸い、命に別状は無さそうでしたけど」
「すまん。あたしたちのために、そんな目に合わせてしまって。詫びと言っちゃなんだが、これからあいつら、皆殺しにしてくるよ」
「いえ、もう充分です」ソフィアが、行きかけたティルザの腕を取って言った。「あんなくだらない奴らに、殺すほどの価値などありません」
ティルザ自身の報復の念も、いつの間にか消えていた。これまでに彼らの手下をたっぷりと斬り、大きな火を起こしたことで、すっかり気が晴れたに違いない。アリーネはと見ると、骨肉の仲間割れをニヤニヤと、いかにも愉快そうに眺めていて、どうやら彼女の復讐心も満足を得たらしく思えた。
兄妹の家に寄って、ティルザとアリーネは、まず下着を替えた。それからアリーネがコスティにヒールの魔法を掛けた。苦しそうに唸りつつ眠っていたコスティの表情が安らかに落ち着き、スヤスヤと健康そうな寝息を立て始めた。
「世話になった。もう行くよ。兄さんによろしく」ティルザが言った。
「おなごり惜しい。いつかまた、この家にお立ち寄りください。私、待ってます」目を涙で潤ませたソフィアが、ティルザの手を取り、自分の頬に当てながら言った。
「ほら、早く行くわよ。追手が来る前に」アリーネが、預けていた巾着を手に取り、無愛想に言った。
細道を戻り、旧街道に出て、再び歩みを北へと向けた。灯りはなるべく点けずに、星の光を頼りにした。道中、アリーネがしばしばティルザに話しかけた。しかし、ティルザは応えずに、黙って歩き続けた。ティルザはまだ、道連れに失禁させられたことを怒っていた。
歩き疲れて、草の上に寝床を取った。互いに背中を見せて、目をつぶった。やがてティルザは、まどろみかけた。と、背中に柔らかい温もりを感じて、意識を引き戻された。ティルザの背中を抱くようにして、アリーネが身体をぴったりと寄せていた。
「さっきはごめんなさい。もうあんなことしないから許して」ティルザの耳元で、かぼそい声がした。
「……反省してるか?」
「してる」
「ほんとか?」
「本当」
「わかった」
「許してくれるの?」
「ああ、許してやる。許してやるから、さっさと離れて寝ろ。暑苦しい」
「良かった」
緊張を失ったアリーネの頭が、ティルザの首の付け根にしなだれ落ちた。ティルザも内心ほっとして、静かに息を吐き出した。それから二人は並んで仰向けに横たわり、どちらもすぐに眠りに落ちた。
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