第8話

 森を北に抜けると、遠くに山の連なりが見える。旧街道は徐々に右へと曲がっていき、やがてその山並みに沿って、向きを東へと変える。道を進むにつれ、山は少しずつその高さと緑とを減らしていき、しまいに現れる台形の禿山の麓に、鉱業で栄えるハッチマーンの街があった。

「やっと着いた。早く宿を探して、さっさと食って寝よう」少し猫背になったティルザが、弱々しい足取りで街の門を潜りつつ、力の無い声で言った。

「少し余計に掛かっても、お風呂のある所にしましょ」瞼を半分落としたアリーネが、自分の後ろ髪をつかんで前に回して嗅いで、ちょっと顔をしかめながら言った。

 エルフの村を出てからここに着くまでに足掛け七日を要した。三日目に、老人しかいない寂れた村を見つけて一宿一飯の施しを授かったが、あとは全て、野宿で夜を明かさざるを得なかった。良質な睡眠を取れず、携帯食も食べ尽くした二人は、共に今にも倒れ込みそうなほどに疲れ果てていた。

 宿はあちこちにいくらでもあった。しかしそのどれも、出稼ぎの坑夫がねぐらにするような安宿ばかりで、風呂の付いているようなまともなものはまるで無かった。路上に、宿の客引きを見つけて、アリーネが尋ねた。

「お風呂のある宿に泊まりたいのだけれど、どこか良いところ知らない?」

「知ってるよ。だけど、あんたらには……」客引きが、野宿でくたびれ果てた二人の容子を、値踏みするように見ながら言った。

「お金なら、少しはあるわよ」

「風呂付きの二人部屋だと、一泊で二十万リブラほどは掛かるが、本当に大丈夫か?」

「それはちょっと……もう少し、安い所は無いの?」

「無いことは無いが、そこの他は全て、男と混浴の大浴場しかない」

 金が無いわけではない。ネピエルで墓荒らしを倒して稼いだ賞金の三十万リブラが、まだ、あまり減らずに残っている。が、一泊二十万リブラは、流石に贅沢が過ぎる。

 ティルザは反対した。風呂に金を使うぐらいなら、そのぶん、美味い飯を食った方がいい。しかしアリーネは徹底して風呂にこだわり、絶対に譲る気色を見せなかった。

「その宿、飯は付いてるのか?」ティルザが客引きに訊いた。

「もちろんだ。この街で一番立派な宿だからな。出される料理も、他ではちょっと食えない上等なものばかりで、どれもめちゃくちゃ美味いぞ」

「肉も出るのか?」

「今日のメニューは訊かんとわからんが、その晩飯に肉が一皿も出ないなんてことは絶対にない」

 金はまた稼げばいいとティルザとアリーネは合意して、客引きに先導を促した。



 風呂に入って食べて寝て、ティルザとアリーネは完全に元気を取り戻した。朝飯も食い溜めとばかり、おかわり自由のパンとサラダを食えるだけ食った。給仕の女が、浅ましいとでも言いたげに、あからさまに嫌な顔をしていたが、二人ともそんなこと、気にしなかった。次はいつ、こんなちゃんとした飯が食えるかわからないのだ。

 二人はチェックアウト時間のぎりぎりまで食堂に居座り、後ろ髪を引かれる思いで、宿を出た。そして、満たされた腹を時々さすりつつ、中心街の外れにあるという傭兵ギルドに向かった。

「もっと報酬の良い依頼は無いのか?」ティルザが少し苛立って言った。よそ者だからか、女と思って甘く見ているのか、ギルドの男は、手間が掛かるばかりの安い仕事しか紹介しない。

「無いことは無いが、他は、大の男でも敬遠するような難しい依頼ばかりだ。お前らなんかにはとてものこと」

「いいからそれらも紹介しろ」

「まあ、紹介するだけなら」と、ギルドの男は面倒くさそうに背後の棚から紙の束を持ってきて、一枚ずつめくっていき、ほどなく手を止め「ゴーレム退治の依頼が来てる。どうだ、やるか? ハハ、冗談だ。誰も引き受け手が無くて、もう三か月以上、ほったらかしにされている案件だ。これは流石にな。他には――」

「待て。その依頼、詳しく」

「おいおい、聞き違えたか? 詳しくも何も、相手はゴーレムだぞ。お前、わかってるのか?」

「いいから」

「……ここの街から五キロほど離れた何にもない所に、偏屈な年寄りがポツンと家を構えて一人で住んでいた。その年寄りは呪術を専門にした魔法使いで、ゴーレムを一体造って、家の守りにした。爺さんは籠りきりで自身の研究にいそしみ、家から出てくることは決して無かった。生活に必要な物は、都度、ゴーレムの活動を一時的に止めて、配達させていた。ところがある時から、外からどんなに呼びかけても、爺さんからの反応が返ってこなくなった。どうやら、家の中で一人くたばってしまったらしい。で、困ったことにはその爺さん、ゴーレムに対する魔法を解かずに逝っちまったもんだから、いまだにそのゴーレム、律儀にその家を守って、動き続けてる」

「そのゴーレムの活動範囲は?」

「家の敷地内に限られてる」

「だったら放っとけばいい。誰もそこに近づかなければ、やがて魔法の効き目も切れて、ゴーレムも動かなくなるだろ」

「その爺さん、元はこの街の君主のお抱え魔法使いでな。つまり、かなりの高給取りだった。その金がその家に残ってる。彼は若い時から研究一筋で、女にも美食にも芸術にも興味を示さなかったという話だから、おそらくほとんど手つかずのままで。その遺産を、手広く事業をやってる彼の一人息子が早急に回収したがってる。事情は知らんが、とにかく急ぐらしい。あるいは最近不景気で、銀行は金を貸し渋ってるから、もしかすると、運転資金が足りてないのかもな」

「なるほど、それでゴーレム退治か。で、報酬は?」

「百万リブラ」

「やる」

 ティルザは即決した。ギルドの男は呆れた顔をして、しばらく言葉を失っていた。



 斧を買った。エルフの村の長老の手下から奪った剣を持っていたが、この細い刀身では、固いゴーレムの身体に当たった途端にへし折れてしまうだろうと考えてのことだ。重い武器を用いては、素早さというティルザの一番の持ち味が死んでしまうが、そこはアリーネの強化魔法でカバーするつもりだった。

 呪術使いの老人の家は、草を踏み倒して作られた細道の最奥にあった。近くに川が流れ、そこから水路を引いて、家の周りをぐるっと囲む深そうな堀に繋げている。堀には橋が一本だけ掛かっていて、その先に土色した大きな塊がうずくまっていた。

「あれだな。それじゃ、頼む」ティルザが塊を見据えて言った。

「――エンハンス・アジリティ。――エンハンス・ストレングス。――ハーデュン・ウェポン」アリーネが、ティルザ自身とその斧に、立て続けに魔法を掛けた。

 ティルザが橋に足を載せた途端、大きな塊はさらに上に伸び、横に広がり、五体を持った姿に変化した。知識としてはあったが、実物をこうして見ると、流石にゴーレムはでかい。高くて広くて分厚くて、まさに大きな壁のようだ。

 それでもティルザは怯むことなく、ゴーレムに掛かっていった。両手で斧を斜めに振りかぶり、橋の上を突進してゆく。アリーネの魔法のおかげで、斧の重さは普通の剣ほどにしか感じない。

 ティルザは跳ねた。そして、その落ち際で斧を振り下ろした。斧はゴーレムの脳天に真正面からぶち当たり、確かな手応えを感じたティルザは勝利を確信した。

 しかし、次の瞬間、ティルザは背筋に悪寒を走らせた。頭に斧の刃先をめり込ませたゴーレムが、それを物ともせず、パンチを放つべく右腕を引いたからだ。ゴーレムのパンチなどをまともに食らっては、ひとたまりもない。

 ティルザは斧を手放し、着地と同時に後ろに跳んだ。

 ゴーレムのフックがティルザの顔面のすぐ傍を空振りした。

 ティルザは背中を橋のたもとの地面に強く打ちつけ、呻いた。

 ゴーレムはすかさず片足を振り上げ、ティルザを踏みつけてきた。

 ティルザは咄嗟に横に転がり、これを避けた。

 避けた先に地面はなく、ティルザは堀の水の中にドボンと落ちた。

「駄目だ。勝てる気がしねえ。依頼はキャンセルしよう」濡れたティルザが水路から上がってきて、みじめったらしく言った。

「駄目よ。やっぱり無理でしたなんて、今更言えない。そんなこと言ったら、それ見たことかと絶対笑われる。大丈夫、まだ一回戦が終わっただけ。次は必ず勝てる」アリーネが声を励まして言った。



 次は武器を替えて挑戦しようとアリーネが決めた。ティルザには、それだけのことで勝てるとも思えなかったが、アリーネは言っても聞かない。街に帰って、あちこち訊いて回って、最も評判が良いと思われる武器専門の鍛冶屋を訪ねた。鍛冶屋の店主は、中年のドワーフだった。

「ゴーレムを倒せる剣を作って欲しいの」アリーネがいきなり言った。

「そんなもんはできない」ドワーフが即答した。

「街一番の名工と聞いて来たけど、あなたでも無理なの?」

「違う。どんなに良い武器を作っても、使い手がへぼなら、どうにもならないということだ」

「つまり、それが可能な剣自体は作れるのね」

「もちろんだ」

「じゃあ、作って。ここに居る彼女、頭は悪いけど、剣の腕は確かだから」

「……へえ、そうかね。まあ、仮にそれが本当だとしても、今は無理だ」

「今は、ってどういうこと?」

「ゴーレムの固さに負けないだけの強度を持った素材が今ここには無い。もし、あんたら、先週の内に来てれば、里の親戚から仕入れたミスリルインゴットがあったんだがな」

「ミスリル……それ本当?」

「ああ」

「ミスリルって何だ?」ティルザが訊いた。

「軽くて固くて魔法との相性がいい希少金属。武器の素材として、この上ない物。で、そのミスリル、どうしたの? 売り切れちゃったってこと?」

「いや、そうならどんなに良かったか。実は、お上に押収された」

「どうして?」

「密輸の罪に当たるとかなんとか」

「申請はしなかったの?」

「するわけない。んなことしたら、目ん玉飛び出すほど税金取られちまう。あー失敗した。酒場で酔って自慢したのを、誰か聞いて、ちくりやがったんだな。ほんと、アホなことした」

「……そのインゴット、今、どこに保管されているかわかる?」

「東門の傍にある税関の倉庫だろ、たぶん。押収品は全て、そこに収められてるはずだから。そして、来週初めの競売に出されるんだろうな」

「インゴットの量は?」

「三キロ。長剣を四本は作れる量だな」

「もし私たちがそのインゴットを取り返して来たら、そのインゴットから剣を一本、ただで作ってくれる?」

「いいぜ。そんなことが、ほんとに出来ればな」

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