第13話

 真っ暗で何も見えない。空気は淀み、蒸している。時々、蚊の飛ぶ音が近づいてきては、また離れていく。ティルザとアリーネの二人は、両腕の上から背中合わせに縛られて、もう長い時間、蔵の中に転がされていた。

「あたしたち、どうなるんだ?」闇に向かってティルザが言った。

「たぶん、パスチラーラの手の者に引き取られて、どこかの牢屋に入れられて、形式的な裁判に掛けられて、何らかの刑に処される」他人事のようにアリーネが言った。

「予想される判決は?」

「斬首か、生き埋めか、火あぶり」

「……」

「そんなことより、遥かに大きな問題があるわ」

「無いだろ」

「あるのよ」

「何だ?」

「うん……その……なんて言うか……」

「だからなに?」

「……おしっこしたい」

「……確かに大問題だな」

 二人は背中で密着している。アリーネが漏らせば、その被害は当然、ティルザにも及ぶ。共に大声を上げて、人を呼んだ。蔵の壁に反響して、声はいやましに響いた。

「やかましい! 何時だと思ってやがる!」入口の外で誰かが叫んだ。見張りがいたらしい。

「トイレに行きたいの。ちょっとここを開けて、縄をほどいて」

「駄目だ」

「何でよ!」

「そんなこと言って、逃げる気だろ。ばればれだ」

「違う。嘘じゃない。本当なんだってば!」

「詐欺師の言うことなど、信じられるか」

 あとはもう、何を言っても叫んでも、言葉は返ってこなかった。

 もがき騒いでいたアリーネが急に静かになった。ティルザはそっと目をつぶり、覚悟を決めた。やがて、その時が来て、ティルザの下着にまで温い水が浸みてきた。二人はしばらく無言のまま、死んだようにぐったりとしていた。

「生きるってきっと、恥を積み重ねていくことなんでしょうね」アリーネが、かぼそい声でポツリと言った。

「気にするな。お前のせいじゃない」ティルザが慰める声で言った。

「怒らないの?」

「まさか。ずっと我慢してたんだろ。お前はよくがんばった。褒めてやりたいぐらいだ」

「優しいのね。ちょっと不気味なぐらい。どうしたの?」

「どうもしない。いつもあたしは優しいだろ。それでちょっと相談がある」

「なに?」

「実はあたしももう、限界に近いんだ」

「待って待って待って待って。止めて止めて止めて止めて」

「何でだよ! 自分はすっかり出し切っといて、あたしには出すなってか」

「だって汚いじゃない」

「お前のだって汚いだろ!」

「教皇の娘が不浄なものを出すはずないでしょ。私のは聖水よ」

「んなわけあるか!」

「嘘じゃない。実際、ある富裕な信者から、そう言われて乞われたことがあるもの。金ならいくらでも出すって」

「そいつはただの変態だ!」

 その時、鍵の外れる音がして、入口の扉が開いた。外の闇を背景に人の影が現れた。首を捻じり目を凝らし緊張して見守る二人に、影が女の声で呼びかけた。

「ああ、ティルザ様。助けに来ました」

「コスティの妹!」

「ソフィアです。遅くなってごめんなさい。見張りを酔いつぶすのに時間が掛かって。でも、無事で良かった」

「無事ではないけど」アリーネが拗ねた口調で呟いた。

「えっ?」

「いや、なんでもない。それより早く縄を」ティルザが言った。

 ソフィアは二人の横に回り、縄の結び目をほどきに掛かった。しかし、それはきつく締まり、彼女の力では微塵も緩みはしなかった。そこで彼女は懐から護身用の短剣を取り出し、それで縄を切りに掛かった。しかし、これも役には立たず、ただ縄の表面の繊維を何本か、ささくれ立たせたばかりだった。

「どうしましょう?」ソフィアが困惑して、今にも泣き出しそうな声で言った。

「剣を私の前に差し出して」アリーネが言った。

「そんなことして、何の意味が?」

「いいから早く」

 アリーネの口から低い声で、呪文らしき言葉が流れ出た。短剣に強化魔法を掛けたらしい。ソフィアが再び縄に刃を当て、擦ると、縄は少しずつではあるが着実にその径を細くしていった。

「急いで。早くしないと」漏れる、と内心で言葉を続けて、ティルザが言った。

 縄が切れた。ティルザがすっくと立ち上がり、礼も言わず無言のまま、一人で駆け出そうとした。すかさずアリーネがティルザの両脚にしがみつき、彼女を床に転ばせた。

「何しやがる!」

「あんた、トイレ行く気でしょ」

「それが何か?」

「させない」

「は?」

「あんたもここで漏らしなさい」

 ティルザは全力で藻掻いた。しかし、どんなに押しても叩いても、アリーネはティルザの両脚を抱え込んだまま、決して力を緩めようとはしなかった。たまりかねたティルザは、開いたままの入口から声が漏れるに構わず、怒鳴り声を上げた。

「こら、てめ、放せ、どういう気だ! お前さっきは漏らすなって言ってただろ!」

「状況が変われば判断も変わる。それだけのこと。だいたいあなた、私一人に恥をかかせて平気なの? 私の知るティルザはそんな薄情な女じゃない。恥も不名誉も常に分かちあうのが本当の仲間じゃない」

「てめえなんざ仲間じゃねえ。無駄にあたしを道連れにするな!」

「そうよ、あなた性根が腐ってるわよ。ティルザ様を放しなさい!」二人の話を聞いて事情を理解したらしいソフィアも、アリーネの身体を掴み、引きはがしに掛かった。

「部外者は黙って見てなさい!」

「部外者とは何よ! 誰が助けてあげたと思ってるの!」

「私、あなたに助けてくれなんて、一言も頼んでないわよ」

「とにかく放せ! いい加減にしないとマジで怒るぞ!」

「お前ら何してる!」だしぬけに、野太い男の声がした。

 女たちが振り向くと、背の高い中年の男と痩せぎすの若い男が、入口に立っていた。騒ぎを聞きつけて、駆けつけたらしい。男たちは、縛った人間の女二人が縄から抜けていることに気づくと、共に腰の剣を抜いて、刃先を先頭に立つティルザに向けた。

「動くな! ん? 後ろの女は――ソフィアか?」

 男たちの視線がソフィアに向いている隙をついて、ティルザが、力の抜けたアリーネの腕から離れ、若い男に掛かっていった。ティルザの右手にはいつの間にか、ソフィアが縄を切るのに使った護身用の短剣が握られていた。

「うぐっ……」

 若い男が気づいた時には遅かった。ほとんど反応する間もなく、腹に短剣を突き立てられた。

「貴様、何をする!」中年の男が叫んだ。

 ティルザは、若者の身体を盾にしつつ、その身体ごと押して、中年の男にぶつかっていった。中年の男は背後にバランスを崩し、若者と重なって仰向けに倒れた。ティルザはすかさず若者の手から落ちた剣を拾い上げ、その剣を若者の背中から中年の背中まで一気に刺し通した。

「あっ……」

 ティルザの股間が温水に濡れた。二人一緒に貫くべく、力を入れた瞬間だった。夜のこととて、その染みが傍から目につくことはなかったが、アリーネもソフィアもこれまでの状況と今のティルザ自身の様子から、そのことを察したに違いなかった。

 気まずい空気が漂い、沈黙が落ちた。雰囲気を変えるべく、アリーネが不自然に明るい声を上げた。

「さすがティルザ、大の男二人をものともしない。見事なものね。じゃ、今のうちにとっとと逃げましょ」

「待て」先に行きかけたアリーネの腕を取って、ティルザが凄んだ。「てめえ、このまま済むとでも思ってるのか?」

「ん? 何かあったの?」

「お前のわがままのせいで、私までこのざまだ。今日という今日は許さねえ。覚悟しろ。死なない程度にタコ殴りにしてやる」

「あんた、聖職者に手をかける気? 地獄に落ちるわよ」

「それがどうした。死んだ後のことなんて知るかよ。ほら、歯、食いしばれ。いま謝れば、一発だけ思いきり引っぱたいて、それで許してやる」

「何で私が謝らなきゃいけないのよ。意味わかんない」

「その言葉、忘れんなよ。途中で泣いたって、もう止めてやらないからな」左右の肩を回しながら、ティルザは一歩踏み出した。

「……ただではやられないわよ。どこでも噛みついて、引きちぎってやる」ティルザの目を見据えながら、アリーネは半身に身構えた。

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